小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

刃傷松の廊下の「真相」  1

2006-10-26 14:20:01 | 小説
 史料あさりの醍醐味のひとつに、思いがけないところで思いがけない記述に出会うことがある。このたびも本来の目的を忘れて、その記述の意味に心が吸寄せられてしまった。
『藩史大事典』第6巻「中国・四国編」(雄山閣出版)の津和野藩の略年表に、その記述はあった。
「茲親、勅使馳走役を務め、吉良上野介を斬らんと図るが、多胡真蔭の謀により事なきを得る」
 元禄11年のこととあった。
 茲親とは、津和野藩主亀井茲親隠岐守のことであり、多胡真蔭は江戸家老である。さて、ご存知忠臣蔵の発端となった「刃傷松の廊下」事件は元禄14年のことであるから、その3年前に、すでに状況としては似たようなことがあったのである。このおり、浅野内匠頭と同じ役割をになった亀井茲親が吉良上野介を斬っていれば、浅野内匠頭の刃傷はありえず、忠臣蔵はなかったことになる。あるいは別の物語になったはずだ。
 ところで、浅野内匠頭がなぜ吉良上野介に刃傷に及んだかは今日にいたるまで、真相は明らかではない。当の内匠頭がその理由をつぶさに語っていないからである。
 諸説があって、そのひとつに内匠頭のいわば精神障害説がある。彼の母方の叔父に、やはり乱心して刃傷沙汰を起こした人物(注)がおり、遺伝的なものがあったとする見方などがある。実際、切れやすく短気な殿様だったという証言もあるのだが、こうした説は排除されていいといえるのではないか。同じ勅使饗応役についた津和野藩主も内匠頭同様の行動を起こそうとした事実は、ひとり内匠頭の精神状態に帰せられるべきことではないと言い得るからだ。

注:将軍家綱の葬儀のおり、芝増上寺で永井尚長を斬り殺した内藤忠勝のこと。


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