小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

相楽総三と赤報隊を考える  21

2008-09-29 19:26:06 | 小説
 大木の無念の涙には、彼らの結末を知っている作家の無念さが投影されている。
 作家は、この場面を亀屋主人の談話に依拠して描写したのだが、その亀屋主人は、大木のほかに西村謹吾も相楽の供をしていたと伝えている。
 談話筆記を読みやすくして引用する。

「西村・大木は一大事と太刀抜き連れたが、相楽が総督の本陣じゃ狼藉するなと叫んだために、無念の涙をのんで彼らの為すままにまかせてしまった。このような卑怯な手段で、其の夜のうちに隊の主なる組長は一人ひとり欺き呼ばれて捕われ、他の伍長以下の者どもは上田・小諸・松本の諸藩へ預けられてしまった。相楽は自分の行動に対しては何ら非のないことを自覚しているから、総督の調べを待って立派に弁解するつもりだったらしいが、どういうものか一言の取調べもなく、そのまま本陣裏の並木へ繋りつけて周りに竹矢来を結んでしまった。」

 相楽を心配して、後をつけるようにして本陣にきた竹貫三郎と小松三郎も捕縛されたのであった。
 竹貫も大木と同じ秋田の出身で24才、小松は土佐出身でほんとうの姓は福岡のようだ。小松三郎は相楽と同じ変名なのである。小松の人物像はよくわかっていない。機会があれば調べてみたいと思うのは同郷というよしみもあるからだ。
 さて、赤報隊一同が本陣ヘ呼び寄せられたのは相楽らが捕らえられた翌日の3月2日であった。
 亀屋主人が「其の夜のうちに…云々」とあるのは思い違いである。
 ついでに言えば、他の史料などとも付き合わせて、西村謹吾が供をしていたというのも、おそらく記憶の混乱だと思われる。
 亀屋主人の談話に依拠しながらも、西村の存在を無視した作家の直観は正しかった、と言える。 


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