近江屋新助の供述どおりなら、彼は刺客と顔を合わせていない。だから刺客が十津川郷士と名のったかどうか、直接に知りえなかったはずである。なにしろ取り次いだのは藤吉であるからだ。
今井信郎はそれにしてもなぜ一貫して松代藩の者と名のったと主張したのであろうか。
刑部省口書では「松代藩ト歟認有之偽名之手札差出」と供述、「歟」という字が入っているところを見ると、いささか確信はゆらいでいる。おそらく今井の思い違いであって、実際に名のった者のうしろに彼はいたのだ。彼が龍馬暗殺の主犯でなくて、あくまで共犯者であったことは、これでもわかる。
ところで今井が、もし十津川藩の者と名のったと言っていれば、のちに谷干城から嘘つきよばわりされることもなかったかもしれない。谷は松代藩の者だったら取り次ぐはずはなく、十津川の者というから安心して二階へ上げたはずだと講演で述べたのであった。
藤吉と慎太郎は即死ではなかったから、どちらかが虫の息で刺客は十津川郷士の名札(名刺)を差出したと明らかにしたのであろう。
しかし不思議なのは、その名刺の存在である。現場から発見されていないのである。事件の証拠物件たる遺留品が消えているのだ。
名刺は、藤吉あるいは龍馬の手に渡っているわけだから、事件現場に残されていなければならない。流血淋漓の現場で、鮮血に濡れた名刺は、血と一緒に拭い去られでもしたのであろうか。それとも誰かがひそかに持ち去ったのか。持ち去ったとすれば、なんらかの意図がはたらいたのである。
刺客が十津川郷士を偽称したことは、十津川郷士にとってはやりきれない思いであっただろう。前述した天満屋事件で、三浦休太郎を討つべく、新選組に護衛されていた三浦の宴席に、真っ先に斬り込んだ中井庄五郎は十津川郷士だった。中井は陸援隊士だったが、おりょうさんによれば「坂本のためならいつでも一命を捨てられる」という男だった。
同志をだしぬいて「お先に御免」と斬り込んだ彼には、十津川の名をかたられたという憤怒があったに違いない。その激情が彼を闘死させた。天満屋事件で襲撃側の死者は中井だけだった。
今井信郎はそれにしてもなぜ一貫して松代藩の者と名のったと主張したのであろうか。
刑部省口書では「松代藩ト歟認有之偽名之手札差出」と供述、「歟」という字が入っているところを見ると、いささか確信はゆらいでいる。おそらく今井の思い違いであって、実際に名のった者のうしろに彼はいたのだ。彼が龍馬暗殺の主犯でなくて、あくまで共犯者であったことは、これでもわかる。
ところで今井が、もし十津川藩の者と名のったと言っていれば、のちに谷干城から嘘つきよばわりされることもなかったかもしれない。谷は松代藩の者だったら取り次ぐはずはなく、十津川の者というから安心して二階へ上げたはずだと講演で述べたのであった。
藤吉と慎太郎は即死ではなかったから、どちらかが虫の息で刺客は十津川郷士の名札(名刺)を差出したと明らかにしたのであろう。
しかし不思議なのは、その名刺の存在である。現場から発見されていないのである。事件の証拠物件たる遺留品が消えているのだ。
名刺は、藤吉あるいは龍馬の手に渡っているわけだから、事件現場に残されていなければならない。流血淋漓の現場で、鮮血に濡れた名刺は、血と一緒に拭い去られでもしたのであろうか。それとも誰かがひそかに持ち去ったのか。持ち去ったとすれば、なんらかの意図がはたらいたのである。
刺客が十津川郷士を偽称したことは、十津川郷士にとってはやりきれない思いであっただろう。前述した天満屋事件で、三浦休太郎を討つべく、新選組に護衛されていた三浦の宴席に、真っ先に斬り込んだ中井庄五郎は十津川郷士だった。中井は陸援隊士だったが、おりょうさんによれば「坂本のためならいつでも一命を捨てられる」という男だった。
同志をだしぬいて「お先に御免」と斬り込んだ彼には、十津川の名をかたられたという憤怒があったに違いない。その激情が彼を闘死させた。天満屋事件で襲撃側の死者は中井だけだった。