小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

石川啄木殺人事件 ⑦

2005-02-06 20:23:22 | 小説
啄木の歌の中で好きな歌を選べといわれたら、少し迷うけれど私は次の3首をあげる。

 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし15の心
 やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
 函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花

 いずれも地名が読み込まれていて、今日では、なんだご当地ソングの演歌の歌詞と大差ないではないかと思う向きが多いだろう。演歌の歌詞の方が啄木を模倣しているのだ。啄木の歌は通俗性ぎりぎりのところで成立し、大衆性を獲得したのだが、演歌の歌詞にも多大の影響を与えているのだ。ただし啄木をたんなる抒情詩人だと思ったら大間違いである。啄木自身は歌に重きをおいていなかった。彼はなんと一晩に百数首の歌を作ったこともあるが、ほんとうは小説家として大成したかったのである。
 しかしおそらく鋭敏な言語感覚がわざわいして小説という長丁場は彼には不向きだった。小説がうまく書けないことの憂さばらしに、彼はほとんど投げやりに歌を作った。歌はまさしく、啄木の〈悲しき玩具〉だった。
 失意と経済的なひっ迫という現実を逃れるように、性のさすらい人ともなった啄木なのだが、やがて彼は自分を厳しく見つめ直すようになる。
「詩や歌や乃至はその外の文学にたずさはることを、人間の他の諸々の活動よりも何か格段に貴いことのように思う」のは「迷信」だと自覚しはじめるのである。
「詩人たる資格は三つある。まず第一に〈人〉でなければならぬ。
第二に〈人〉でなければならぬ。第三に〈人〉でなければならぬ」と主張しはじめるとき、啄木はホンモノになった。ホンモノという謂いをくだくだしくは言うまい。物書きなどになにほどの価値があろうかと自覚した物書きであれば充分だと、さしあたって書きつけておこう。
 啄木は、かくして我が内なる〈詩人〉を殺したのである。

  こころよく我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ
 

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