小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

土佐藩留学候補生の死 2

2007-07-23 21:37:06 | 小説
 芝増上寺の山門をくぐり、正面の大門に向って少しばかり歩くと、左側に安養院がある。
 この前の日曜日、私ははじめて安養院の墓地を訪ねた。4人の墓があるからである。
 彼らの墓を探しているうちに、思いがけず長岡健吉の墓に遭遇した。立派な墓石だった。ちなみに龍馬が京都の近江屋で暗殺されたとき、そばづえをくったかたちで斬殺された藤吉は、長岡健吉の下僕で、長岡健吉が龍馬につけた用心棒のようなものだった。
 4人の墓は並んでいた。(写真参照)素朴な石碑だが、いちばん左側の小島捨蔵のものがもっともよく原形をとどめていた。上部に「高知藩」と刻まれ、「明治三庚午正月5日暁、自刃」とはっきり読める。その隣が小笠原彦弥、続いて川上友八の碑なのだが、地震のおりにでも倒れたのであろうか、折れたのを重ね置きしている。谷神之助の碑だけ、風化がはげしい。もしも、ここに並んでいなければ誰のものかわからないほどだ。目をこらせば、かすかに「谷」という文字の痕跡がなぞれる。
 谷のものだけ、石質が違うのだろうか、なにか不思議な思いにとらわれる。彼がいちばん若いのに、墓石はまるでほかの3人とは世代が違うぐらい古いのである。
 谷神之助芳叢(よししげ)、立志社の副社長谷重喜の弟だった。谷については以前から関心があったが、いまは谷ひとりに深入りするときではない。4人になにがあったかを考えなければならない。


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