小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

済州島物語 14

2006-05-07 22:10:14 | 小説
 消息不明の人物、漢皇子(あやのみこ)は大海人皇子(おほしあまのみこ)つまり後の天武天皇ではないかという説がある。おもてむきは斉明天皇と舒明天皇の間の子となっている大海人は、実は斉明と高向王の子であって、天智天皇とは異父兄弟になるという説だ。
 実の兄弟であるはずの天智天皇と天武天皇には、年齢の問題などもふくめて奇妙な矛盾点のあることは、誰しも気づくことである。しかし、それは別の問題としてみたい。要するにそれだけ漢皇子は謎めいていると理解していただければ足りる。
 漢皇子はたぶん母親の斉明の再婚前に済州島に渡ったと私は想像している。そして、斉明天皇の7年に耽羅から来朝した王子「阿波伎」その人を「あやのみこ」の姿に重ねてみたい。この済州島の王子は母のいる国に来たのである。耽羅の朝貢が斉明天皇の時代に始まるというのは、そういうことであった。
 斉明天皇が耽羅と百済のために、異例の海外出兵を決意した理由は、もはやくだくだしく述べる必要はないだろう。さらに、いまひとつ興味深いことがある。 
 斉明天皇が渡海の拠点とするために、九州に設けた滞在施設、朝倉宮のことだ。正式な名称は朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)であった。タジマモリが常世すなわち済州島から持ち帰った橘の文字をあえて冠した宮であったのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。