小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

北原白秋姦通事件  11

2006-10-16 20:36:33 | 小説
 俊子の実家に出した白秋の手紙がある。日付は大正3年7月15日、福島塩子宛(俊子の母)の手紙の中で、白秋はある事実を告げている。
「…(俊子は)未だに人の妻女たる覚悟なくまたその務め何ひとつ尽くし不申す態度軽薄のため夫以外の男とも風聞たち我意暴慢益募り、女だてらに夫に離別を迫り、はては両親の面前にて茶碗箸を庭上にたゝきつけ候など、全く普通人間のする事ととは思はれず…云々」
 「夫以外の男とも風聞」がたったと、さすがに婉曲的に伝えているが、俊子は橘某という学生と情を通じたらしいのである。それにしても、修羅場の一端が垣間見える手紙である。
 父島から麻布に、俊子に遅れて帰った白秋は、そこで彼女の不倫を知ったのである。食事の席でそのことに話題が及ぶと、彼女は逆に居直るようにして茶碗を投げ捨て、「別れましょうよ」と言い放ったもののようだ。
『雀の卵』に白秋は書いている。「私が先の妻と別れた時、私は憤怒と侮蔑とに燃え上がりました」と。「ガタガタ慄へました」とも書いている。一般的には貧乏な生活に派手好みの俊子が耐えられなくなって離婚したとみなされ、こういう事情が背景にあったと理解している人は少ないような気がする。告訴沙汰になり、入獄まで経験して名声を汚し、かつ高額の示談金まで払って一緒になった女である。その女に裏切られたわけである。白秋の屈辱感と無念さを、ほんとうにわかりうる人はいかほどか。
 さて、ところで俊子のことである。彼女はいわば魔性の女であったろうか。性的にどこかだらしなく、もっとはっきりいえば淫蕩な女であったろうか。白秋に自ら離縁を迫ったというけれど、本心だったろうか。
 
 棄てられると外に罵りて泣く吾妹棄てられるは誰が事ぞ言へ

 いざ離縁となると、俊子は「棄てられる」とわめいたのである。


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