小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

アメリカ彦蔵と呼ばれた男  1

2008-04-06 00:24:05 | 小説
 幕末、船乗りが大西風(おおにしかぜ)と恐れた季節風で船が漂流、アメリカ船に助けられて米国に渡った少年がいた。13才だった。
 とはいえ、ジョン万次郎のことではない。
 ただし、万次郎とはなにかと縁があった。
 嘉永6年、ペリー艦隊が浦賀に来たとき、アメリカ帰りの万次郎は通訳として控えていた。土佐藩から幕府に召喚されていたのだ。しかし水戸烈公や老中首席阿部伊勢守らの反対にあって、通訳もなにもせずに終わった。
 実はこのペリー艦隊の軍艦で日本に帰ることになっていたのが、少年だった。もっとも、このとき帰っていたら16才であった。運命の歯車は、それから6年、彼を日本に帰らせなかった。
 安政6年、上海でハリスと会った彼は、神奈川の米領事館通訳として、日本に帰ってくる。22才になっていた。
 ジョセフ・ヒコである。アメリカ彦蔵とも呼ばれた彼は、播州の百姓の子、幼名は彦太郎といった。後年、浜田彦蔵となのるようになる。
 ジョセフ・ヒコすなわちジョセフ彦は、嘉永3年に漂流したのだが、入れ違いのように万次郎はその翌年の嘉永4年に帰っていた。
 ジョセフ彦は万延元年、万次郎と会っている。遣米使節団の咸臨丸出発に際し、米領事側の通訳として出向いていた。そのおりに、海軍奉行木村摂津守、艦長の勝海舟、そして乗船する中浜万次郎を紹介されているのだった。ジョセフ彦と万次郎は互いの身の上が酷似しているのに、そのことを語り合う暇はなかったと思われる。万次郎のほうが10才年上だった。
 万次郎と縁があったと書いたのは、このように直接彼らは会っており、自伝にそのことを記しているからである。
 彼には英文で書かれた自伝がある。


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