小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

孝明天皇 その死の謎  12

2007-06-25 22:32:47 | 小説
 関白・二條斉敬あての宸翰で、孝明天皇は「列参、実に予は泣涕候ばかりに候義、関白も承知と存じ候」と嘆いていた。
 泣きたくなるほど腹にすえかねていたのである。とりわけ、八・一八の政変で処分された三條実美ら公卿の赦免要求に関しては、許すつもりはないと、はっきりと意思を表明していた。
 もっとも、列参組に「閉門」処分の下ったのは10月27日であるから、処分決定までに、ほぼ2か月の期間を要している。長すぎるのだが、必ずしも天皇の即断でものごとが進まないような事情もあったのであろう。
 話は飛ぶ。孝明天皇が崩御し、10代半ばの新天皇の誕生した慶応3年1月には大赦令が発せられた。過去に処分を受けた公卿たちの赦免が行われた。ところが、岩倉具視、千種有文、久我建通、富小路敬直や、このときの列参組公卿は許されなかった。なぜか。
 二條斉敬は健在だからである。関白から新天皇の摂政に転じている。彼はまだ、岩倉や公卿たちを警戒しているのだ。野放しにはできない、と踏んでいるのだ。千種有文は、この措置に怒り、「二條斉敬に天誅を加えよ」と言い出している。
 私ははじめ、この千種有文を孝明天皇や二條家に生物テロをしかけた黒幕ではないかと疑ったが、考えてみれば、ここで「二條に天誅を」と表だってわめくようでは、以前に「天誅」を企てたことはないという証明かもしれない。大赦令から除外されるいわれはない、と本気で思っていなければ、こんな発言は出てこないだろう。摂政の仕打ちは、自分たちへの報復だろうと、じっと黙している者こそ、あやしいと見なければならない。 


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