小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

忍者芭蕉の妻(仮題)のために  3  

2004-12-01 00:54:14 | 小説
曽良が伊勢長島藩士であったとき、藩主は松平良尚であった。調べてみるものである。その松平良尚は慶安2年に下野那須より入封していた。日光関係の諸役を務めていた元那須藩主が曽良の主人だったのだ。そのことを知ったとき、私はひとりで納得していた。ああ、そうか、「おくの細道」紀行の意味はそれだったのか。
 なぜ、芭蕉と曽良は奥の細道を歩かなければならなかったのか、その謎を解くキーワードは「日光」だった。
 当時、群発地震があった。家康を祀る日光東照宮と家光の霊廟大猷院が激しく破損、その改修を幕府は伊達藩に命じた。命じただけで、費用は出さない。伊達藩とすれば、莫大な経済的負担を強いられるわけだ。(記録によれば実際、全藩士の給与を3割以上カットするなどの措置が2,3年続いている)だから、当初、伊達藩は日光工事を渋るような態度を見せ、幕府の心証を悪くしている。
 押し付け工事にたいする伊達藩の実際の反応はいかがなものか、不平不満が蔓延し、最悪、幕府と緊張関係の生じるおそれはないのか、幕府としては当然気になる。東北の伊達藩の実情を、それとなく探る必要があった。
 日光ー松平良尚ー曽良ー芭蕉のラインがつながるのに、さほどの時間は要していないはずだ。

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