小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

忍者芭蕉の妻(仮題)のために  4

2004-12-02 22:08:47 | 小説
 江戸における芭蕉のスポンサーは、よく知られているように杉山杉風(さんぷう)であった。蕉門十哲にも入っている杉風は、俳句の上では芭蕉の門弟であったけれども、経済的には芭蕉の庇護者であった、と誰もが言う。それだけの関係だろうか。幕府の隠密仕事の芭蕉へのつなぎ役、それが杉風ではなかったのか。
 杉風は不思議な人物である。深川周辺に幾つか土地を私有していたらしく、藤左衛門と称し、曽良の手紙の中では「左衛門」と呼ばれることもある。通称は鯉屋市兵衛。幕府御用達の魚問屋であった。「幕府御用達」、つまり、ただの魚問屋とは違うのである。たとえば、幕府御用達の呉服店大丸は公儀隠密の着替え所であり、隠密は大丸で旅費を受け取り、ここから諸国に旅立った。隠密のシンジケートには幕府御用達の菓子屋もあった。(なぜ菓子屋がと問うなかれ。本題からはずれてしまう)魚問屋が諜報機関の一端を担っていてもおかしくはないのである。
 余談になるが、女優の山口智子さん(俳優の唐沢寿明夫人)は杉風の末裔筋にあたるらしい。
 杉風の屋号の「鯉屋」から、魚商のイメージをこじんまりと語る人がいるが、大間違いであって、鮭を仕入れたり大掛かりである。魚を介した流通と情報のネットワークを持った人物だったと思われる。
 さて、深川万年橋のたもとの、いわゆる芭蕉庵は杉風の提供によるもので「生け簀の番小屋」であったといわれている。ごく最近、その芭蕉庵跡に行ってみた。現地に行って、初めてわかることがある。
 そこは、なるほど番小屋に最適の場所だった。魚の生け簀、のではない。もっと見張るべきものがあったのだ。
芭蕉の住まいは、いつも極めて重要なポイントにある。たまたま移り住んだというようなものではなかった。

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