小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

相楽総三と赤報隊を考える  15

2008-09-18 22:13:46 | 小説
 東山道総督府は2月10日付で、信州諸藩に布告文を発していた。高松隊に関してである。概要はこうだ。

 無頼の徒が幼稚な公卿(つまり高松実村)を欺き、当総督の先鋒などと偽り、通行の道々、金穀を貪っている。そのほかいかなる狼藉をしでかすかもはかりがたい。これら無頼の徒は取り押さえて、総督の沙汰を待つように。

 問題は、この布告文の「附」である。
 明らかに相楽らの一行を高松隊と同様に断じているのだ。以下に原文を引用する。

 先達テ綾小路殿御手ニ属シ居候人数 綾小路殿既御帰京ニ相成候後 右之者共無頼之徒ヲ相語合 官軍のノ名ヲ偽リ嚮導隊抔ト唱 虚喝ヲ以テ農商ヲ劫シ追々東下致候趣ニ相聞候 右等モ高松殿人数同様之儀ニ候間夫々取押置可申旨被仰出候事

 総督府執事名義で書かれた布告文は、須坂藩、高遠藩、高島藩、松本藩、上田藩、松代藩、飯田藩、小諸藩、岩村田藩それぞれの藩主宛(連名)に発せられたのであった。
 相楽隊の包囲網ができたわけだ。
 2月17日、追分宿にいた赤報隊を突然、小諸藩兵が襲った。
 明暁7ツ時頃だったと「赤報記」は記す。むろん布告文による赤報隊狩りだった。
 このときの銃撃戦で隊士の金原忠蔵が戦死した。31才だった。本名は竹内廉太郎、下総小金宿の郷士であった。
 赤報隊の面々は、このとき総督府から自分たちを取押えろという通達が出ていることは知っていた。だから占拠していた碓氷峠の関所を引き払って追分宿に泊っていたのであった。無警戒であるはずはなかったが、金原という犠牲者を出した。
 相楽はしかし、このときそこにはいなかった。


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