小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

おはんの短刀は切れ申すか 10

2007-05-20 23:24:15 | 小説
 龍馬の『新政府綱領八策』には「諸侯会盟の日を待って云々 ○○○自ら盟主と為り」という有名な伏字があった。政権の代表者は諸侯の会議で選出するわけだから、龍馬がこれを文書化した11月の時点では、むろん盟主は未定である。だから、○○○なのである。たまたま三文字だから、龍馬は誰それを想定していたなどという推測にうつつを抜かしても仕方がない。
 龍馬の文言で刺激的なのは、むしろ「強抗非礼 公議に違う者は断然征討す」という箇所である。しかも彼は、それは「権門貴族」といえども容赦しないと公言した。
 さて、この小御所にいる「貴族」の中山忠能、正親町三条実愛、中御門経之、それに岩倉具視は「討幕の密勅」作成に関与した者たちである。密勅は薩長両藩主にだけ出されたのだが、さらにここには、その請書に署名した大久保がおり、西郷がおり、むろん島津久光がいる。
 井上勲流に言えば、「密奏と宸裁の仮構をともなった偽勅」(『王政復古』中公新書)によって、作成者とこれを受け取った者の間には共同正犯が成立しているのである。この時点で、見合わせ沙汰書がだされているとしても、そんなことはおくびにも出さずに、慶喜の処遇を議論しているのである。容堂にすればいい面の皮なのだ。もとより、15才の天皇は何も発言されない。
 しかも武力で御所を固め、外部はもとより内部の会議参加者にも無言の圧力をかけ、あまつさえ議事の流れを変えるためには刀を使うぞと恫喝するような会議が、「公議」といえるだろうか。言えるわけがない。だから容堂は動いた。
 小御所会議の三日後、この会議のいわば、いかがわしさを告発する意見書を容堂は出している。「議事公平ノ体早々御顕肝要」というわけだ。 


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