小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

凌霜隊の悲劇  7

2008-07-03 18:20:52 | 小説
 大砲は一昼夜に1000発から1500発撃ちこまれたと矢野原は記す。
「昼夜の砲声止む時なし、敵は夜に入るほど厳しく発射す」という有様だった。 この破裂音は籠城している者たちの神経を狂わせ、心理的に追いつめたようである。
「厳しく戦争致すときは勇気満ちてあるゆえ格別恐れず、かように籠城し、そのうえ味方は発射せず、番兵ばかりするゆえ、追々勇気おとろえたるは会候の御運の尽きなり」
 として、具体的なことがらを矢野原は書いてはいないが、自殺者なども出たのである。たとえば会津藩士のある妻は火薬庫が爆発すると、7才の子を刺して、自分も喉をついた。
 籠城者は男女あわせて5000人内外。多人数であるから便所はたちまちつかえ、掃除する者もなく、このため道端、屯所の脇など排泄物で足の踏み場もない状態になった。
 大書院を負傷者の病院にあてていたが、そこも糞の臭いやその他の悪臭で充満し、手負いになってここに入ると、2、3日は食事もできないほどだった、と矢野原は書いている。彼が負傷した様子はないから、誰かから聞かされたのであろう。
 凌霜隊では20才の石井音次郎が胸壁から小便に出て戻るときに、小銃弾に被弾した。
 弾は脇腹に入った。血へどを吐いて苦しむ彼の腹を裂いて、弾を取り出し介抱したが、夜が明けると死んだ。
 城を包囲する軍勢は3万余にふくれあがっていた。
 会津が援軍を求めた米沢藩は帰順し、仙台藩は9月15日降伏した。
 その前日の9月14日に城は包囲軍からの総砲撃をうけた。50門の火砲による砲撃だったから、最初の頃の着弾数とは比べものにならない。
 9月21日夜、日向氏より凌霜隊に「降伏する」旨の話が届く。


【追記】澤田ふじ子氏の小説『葉菊の露』では石井音次郎を「石井音三郎」としている。また被弾したのは頭部としているが、改変の意図が私にはよくわからない。


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1 コメント

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凌霜隊の悲劇  7 (パトリオット)
2014-01-14 08:00:46
>>1000発から1500発撃ちこまれ
冬になるのをおそれたからでしょう。

十六橋を完全に破壊して仙台や米沢から援軍がきたら・・・・・・・
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