小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

延命院事件

2007-09-17 17:24:58 | 小説
 時代劇には寺を舞台にした淫行場面が挿入されるケースがよくある。寺には、あやしげな隠し部屋があって、そこが破戒僧と信徒のふりをして参詣してきた女人、たいていは大奥の女中の密会の場所であったりする。おそらく、この原型は歌舞伎の外題『日月星享和政談』である。明治初期の初演で作者は河竹黙阿弥。俗に『延命院』とよばれる芝居だ。
 黙阿弥のまるきりのフィクションではない。実話に基づいた戯作である。
 上野谷中の延命院(現存する)に女人の出入りはげしく、その中には大奥の女もいるらしいと噂がたったのは、享和3年(1803)春のことであった。寺社奉行の脇坂淡路守安董は女の密偵を侵入させ、実情を探る。
 そして5月26日には手入れを敢行し、住職日潤と納所坊主柳全を逮捕した。日潤(日道とも称される)らが淫行した女性の数59人。その中には大奥の梅村(40才)や梅村付きの女中(25才)、さらには紀州家書院番妻(30才)などがいた。日潤は死罪、柳全は日本橋で晒後、破門となったらしい。
 事件のあらましは以上のようなものだが、さてその日潤は役者のような美男子で40才、事実、初代尾上菊五郎の息子だったという説がある。深入りして調べたわけではないが、なんとなく後付けの説のような気がしている。
 私の関心事は寺社奉行の脇坂が送りこんだ女スパイにある。播州龍野藩家臣の三枝右門の妹、お椰(や)という女性だとされているが、日頃から諜者としての訓練を受けていた、いわば「くのいち」ではないのだろうか。彼女は最初大奥に勤め、それから延命院に自ら赴き、体をはったオトリ捜査をしている。その手際は鮮やかすぎるのである。彼女のことを笹沢佐保が『女人狂乱』という小説に仕立てているらしいが、「官能小説」とあるから、その主題は私の関心事とは別と判断して未読である。
 彼女の謎は、手柄をたてたあとで自害していることである。なぜ、彼女は死ななければならなかったのか。延命院事件には大奥がらみの裏がありそうだというのが見当なのであるけれども、それには一度、黙阿弥の眼に戻ってみる必要がありそうだ。黙阿弥はなにを史料として使ったのか。『徳川実紀』や斉藤月岑の『武江年表』は、むろん参照されているだろうが、いわゆる一級史料にまだ私は出会っていない。 


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