小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

刃傷松の廊下の「真相」  4

2006-10-31 20:39:55 | 小説
 周知のとおり、松の廊下で刃傷事件を起こした浅野内匠頭は、即日切腹となった。この断罪のすばやさは、たぶんに朝廷への気遣いがはたらいている。早まった措置ではなかったかと後で問題となるのだが、将軍綱吉にしてみれば東山天皇の顔色をうかがうような思いで、はやばやと内匠頭を切腹させたのであった。綱吉はまったく読み間違えていたのだ。天皇はむしろこの即日切腹に怒りを感じていた。
 京に戻ってきた勅使(と院使)を叱責し、参内を禁じたほど本気で怒っていた。
 勅使の柳原資廉(すけかど)、高野安春の2名、それに院使の清閑寺煕定(ひろさだ)の3名が内匠頭の接待対象だった。(東山天皇の父の霊元上皇が院政をしいていたから院使が混じっているのである)
 この3人は3月11日に伝奏屋敷に着き、翌12日に登城して綱吉に天皇・上皇の挨拶礼を伝え、13日には城内で能を楽しんでいる。事件の日の14日は儀礼の最終日だった。内匠頭はこの一日をやりすごせばよかったのだが、それができなかったことになる。
 両使3名に、事件とその処置を伝えたのは阿部豊後守と秋元但馬守であった。内匠守は「不届きにつき」切腹を申しつけられましたと、あたかも「この処置でよろしゅうございましょうか」というふうに報告している。両使はこれに対しなんの意見も述べなかった。もしも両使が、即日切腹とはいかがなものか、とでもとりなしていれば事態はもっと違った展開になったかもしれない。いや、たぶん少なくも即日切腹を回避させることは充分に可能だった。
 天皇の怒りの理由はそこにあったのだ。天皇には、吉良の方が悪いに決まっているという確信のようなものがあった。

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