小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

相楽総三と赤報隊を考える  10

2008-09-09 23:22:46 | 小説
 新政府の年貢半減令は、なにも赤報隊にだけ出されたものではなかった。
 備前、芸州、長州の三藩に、1月14日付で下された指令書の中に、赤報隊宛の御沙汰書とほぼ同じ文章で、租税半減措置がうたわれていた。それは相楽の建白書が契機となっているのかもしれない。
 さて、赤報隊である。
 正月15日、赤報隊は松尾山本陣を出発して、夕刻高宮に着いた。16日番場、17日柏原、18日は関ヶ原で昼休みをとり、美濃竹中陣屋に到着。20日赤坂、21日加納宿と、中山道を東進している。
 官軍の総督本隊は、21日に京都を発って、この日大津に着いたところだから、はるか後方にいる。
 23日、赤報隊は鵜沼に泊る。
 その23日、東山道鎮撫総督の岩倉具定に従って大津に滞陣していた香川敬三が、具定の父の岩倉具視に宛てた手紙の一節に、「年貢半減」の文言が出現する。

「…昨日も言上仕候、年貢半減等之義奉伺処、今以御沙汰不被為在、甚苦心仕居候」

 年貢半減について問い合わせしているのに、返事をいただけなくて困っている、という内容である。いったい、なにを困っているのか。どうやら、年貢半減令は取り消されるという噂を香川は察知して、岩倉具視に真意をただしているようである。
 これに対して岩倉具視の答えは、
「散財穀之筋ニ而半減と申事は不可之御事ニ候」
 というものだった。財政上、実行不可能だというのである。
 26日、こんどは岩倉具定が父の具視宛に手紙を書き、年貢半減に言及している。
 いったん朝命で認めたものを、いまここで撤回というのは、なかなか言い辛いことですよ、ほかのところではどう処理しているのか、ぜひ教えてほしい、といった内容である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。