小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

丹波王朝と絡む伝説

2004-10-03 13:22:47 | 小説
 もうお気づきになられたのではないだろうか。浦島のルーツを探ってゆくと、天皇の反逆者がいたり、天皇家となんらかの確執のある人物ばかりに出会うのである。(如意尼にしても、宮中から逃げ出した)
 浦島伝説の発祥地とされる丹波は、いわゆる大和朝廷とは別の領域だったと、私は思っている。古代史学界ではひとり門脇禎二氏が丹波王朝説を唱えているが、この門脇説を見直すべきである。雄略天皇に父を殺害された後の顕宗、仁賢両天皇は一時身を隠すのだが、その場所は丹波余佐郡。避難させたのは日下部の使主(おみ)。またしても、日下部氏が体制側にさからう。武烈天皇がなくなり、直系の天皇後継者が途絶えてしまったとき、皇位継承者の第一候補に挙がった人物は、なぜか丹波にいた。倭彦王だ。ところが倭彦王は迎えに来た兵士の軍団を、自分を撃ちに来たものと誤解し、遁走して行方不明となった。消息は謎に包まれたまま歴史から消えたのである。結局、越前から第二候補者の継体天皇を迎え、今の天皇家につながっているのだが、この時期、丹波王朝は完全に滅びたと思う。倭彦王の遁走話がその象徴だ。
 浦島伝説には、その底流に丹波王朝の滅亡史がある。
 
 

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