小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

龍馬・いろは丸の謎  10

2010-02-01 16:55:52 | 小説
 さて、賠償金金額は、いろは丸代金3万5630両、積荷代他4万7896両198文の合計8万3526両198文であった。
 この船代金に目をつけたのが岩橋轍輔だった。実は大洲藩はいろは丸の購入代金を全額支払っていたわけではなかった。未払い残金が2万7280両あった。売主のボーディンと岩橋は直接交渉して、その支払を紀州藩が肩代わりすることで合意を得るのであった。一部即金、残りを二年割賦でまとめているから、岩橋を切れ者と評した意味がおわかりいただけるだろう。土佐側に一括弁済するより、余裕が生じるのである。
 すると、賠償金のうち、いろは丸の船代から紀州肩代わり分が差し引かれることになり、賠償金総額は5万6246両198文となる。岩橋はここからさらに1万3526両198文をまけさせた。だから当初の賠償総額から、1万3526両198文を減額して7万両なのである。ところが7万両というのは計算値であって、上述のように紀州藩立替分を差引くと、実質的に土佐側に支払われる金額は4万2720両となるのである。
 岩崎弥太郎の11月22日の日記に、こんなことが書かれている。
「…(中島)作太郎云、過日紀州之償金八萬余金之処、私以独断減却七萬、正金四萬両已受領…」
 金額を正確に記しているわけではないが、4万2720両は受領したものと見える。『岩崎弥太郎伝』(岩崎家伝記刊行会編纂・東京大学出版会発行)は、この手紙を引用後に、「残りの三万両は回収したかどうか明らかでない」と書くが、残りもなにも、これが紀州より支払われた金額のすべてである。
 しかもである。この金額には、大洲藩がオランダ商人に支払った前金が含まれている。前金の額は単純計算では8350両。(3万5630両ナイナス2万7280両)
 大洲藩にこの船代前金を返却すると、土佐側に残る金額は、3万4370両となる。実際はもっと少なると思われる。雑費が生じているのだ。たとえば、調停役の五代に千両渡の礼金を渡したともとれる史料などもある。
 いろは丸賠償金は、こうして仔細に点検してみると、巷説よりかなり縮小してくるものなのである。


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