小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

忍者芭蕉の妻(仮題)のために  7  

2004-12-08 00:09:42 | 小説
 駒込大円寺の庵室から火が出たのは、12月28日午前11時過ぎとされている。そして火勢の衰えたのが、あくる日の29日午前5時頃という。この大火で大名屋敷73、旗本屋敷166、寺社95が羅災した。焼死者は湯島天神、柳原土手、鎌倉河岸、深川の各所で830人。しかし、武家屋敷の死者は公表されていない。だから死者の実数はこの数をはるかに上回るはずだが、不明だ。
 芭蕉は川のなかで冷水に身を浸しながら、夜明けをむかえたというけれど、すでに昼前から大騒ぎになっているのだから、なぜもっと早く避難していなかったのだろうか。急火だったというのが腑に落ちない。駒込からの延焼というより、多発的な火事だったのではないか。そう考えれば、芭蕉の油断も納得がいくのではないか。この火事、お七の放火とだけ決めつけられない謎がありすぎる。
 明けて天和3年正月8日の町触に、こんな項目がある。
「放火した者があったら訴え出よ。たとえ一味であってもその罪を許し、褒美を与える。訴えた者に悪党仲間が仕返しをせぬよう保護すること」
 当時、すでにお七などではない、社会的不満分子による放火説があった。財政難に陥っていた幕府は、たとえば町奉行所の同心80名、船手組の役人50名をリストラし、旗本の本俸を救済するなどの措置をとっていた。そのリストラ組の中に放火犯がいるのではないかというような噂があった。私は真実はこの噂の方にあると思う。
 芭蕉庵は意図的に狙われたのである。この火事は火元がひとつではない、便乗多発的というか、複数箇所で放火があったとみた方がよい。そう、私は思っている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。