小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

新選組の悲劇  6

2007-01-17 19:39:55 | 小説
 さて、文久3年9月、芹沢鴨が粛清される。この頃には「新選組」という組織名が与えられており、近藤勇は単独の新選組局長になるのだった。
 ちなみに江戸に戻った方の浪士組は、庄内藩お預かりとなって、「新徴組」と名のるが、新選組はそれとセットになったような組織名であった。
 その新徴組の隊員で、大正の時代にまで生きていた中村維隆という人がいる。その中村の談話によれば「近藤勇は芹沢鴨を殺して増長した」ということになる。芹沢鴨の寝込みを襲って愛人と共に斬殺したのは、土方歳三や沖田総司らであったことは定説になっている。こうして新選組は試衛館グループというか多摩剣士団のものになるのだが、以後の新選組にも粛清という暗い血のイメージはつきまとう。
 元治元年(1864年)6月5日、祇園祭の宵宮の前日、三条小橋で起きた襲う者、襲われるもの総勢約70人の大殺陣が京の人々を震撼させた。
 池田屋事件である。
 新選組がその名を轟かせ、その存在を世に認めさせた事件だ。幕臣勝海舟が日記に「壬生浪士の輩、興の余り無辜を殺し…」と激しい不快感を書きつけた事件だ。壬生浪士とはむろん新選組のことである。「無辜」といったのには理由があるが、そのことはあとで触れる。
 池田屋事件とは何であったか。

追記:勝海舟の言葉をうろおぼえで書き付けていたら、語句が違っていたので訂正した。


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2 コメント

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今後の展開が…… (浅葱)
2007-01-18 18:12:00
とても楽しみです。
はじめまして。聖方浅葱といいます。
新選組の山南さんを中心としたブログを開設しております。
ランキングから見つけたのですが、本当に読み応えがありますね~。
どうぞこれからもがんばってください。
また寄らせていただきます。
返信する
こちらこそ よろしく (伊一郎)
2007-01-18 23:53:12
コメント有難うございます。
これからも、ぜひお寄りいたければ嬉しいです。
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