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携帯電話

 私は携帯電話をもう13、4年使っている。今のボーダフォンがデジタルフォン(愛知県では「東海デジタルフォン」)として開業したときに、初めて携帯を買った。弟の会社の関係で、安く手に入ると薦められて買ったのだが、その時には10万円近くもした。あれば便利に越したことはなかったけれど、特別必要でもなかったから、ただの見栄で買っただけなのだが、それにしても当時の電波状況は最悪で、少し郊外にいくと全く通じなかった。「糸電話」に毛が生えた程度のものだったが、うれしそうに持っていたのを思い出す。バカだ。
 その後、IDO(今の au)に代えてしばらく使っていたが、やっぱり DOCOMO でしょう、と訳の分からぬいい訳をして寝返って以来、ずっと DOCOMO を使っている。一年ほど前から FOMA に進化して TV 電話も使えるようになったが、一度も試したことがない。その間、機種にしてみれば、車で轢いたり、水の中に落としたりして10台近くとっ代え引っ代えしてきたのだが、ここ何年かは Panasonic に落ち着いている。Panasonic 製が、私には使い勝手が一番よいため、愛用している。今は電波状況がすこぶるよくなって、よほどの山間部に行かない限りは電話がつながる。バスを運転していて、業務連絡が入ることも度々なので、仕事上は欠かすことができない。もちろん、車を停めて電話に出るのだが、まだまだ携帯で話しながら運転している人々をよく見かけるので、「おいおい!」とその度に叫んでいる。あれは見ているだけで危険だし、実際注意力が散漫になって、絶対にやってはいけないことだと思う。塾バスを運転する者たちにも、携帯で連絡が入ったら車を停めて出るように常々言っている。
 塾生たちも携帯電話を持っている者が実に多い。高校生は全員持っているし、中学生も半分以上持っている。そんなもの必要じゃないだろうと思うのだが、必需品らしく授業が終わるとすぐにメールチェックをしている。一日中学校で顔をあわせているんだから、何もメールしなくてもと思うのはもう年寄りの考えなのかもしれない。授業中に鳴らす生徒が時々いて、「今度からは必ずマナーモードにしておけ」ときつく言うが、そういう者に限っていつまでたっても同じことを繰り返すので困ってしまう。習慣になるまで何度も言い聞かせなければならないのが面倒だが、約束は約束だ、守らせるようにしなければいけない。
 最近は小学生でも携帯を持っている者が多くなった。塾に通う途中が心配だから、ということも言えなくはないが、私の塾はほぼ全員をバスで送迎するため、その心配はない。首から携帯を提げている子を見ると、こんな小さな子に買い与えなくてもいいのにと思うが、見ていると上手に使いこなしているので、小さいうちからこういったIT機器を使いこなす能力を身に着けることもこれからの時代は必要なのかもしれないと思ったりする。私の子供たちは、二人とも中学に入ってから持たせた。最初はいらないと言っていたのに、しばらくすると肌身離さず持ち歩くようになったのには笑えた。必要か不必要かなどと考える間もなく、友達関係から持たざるを得ないのが現代の事情なのかもしれない。
 子供たちは慣れるのが早くて、すぐに使いこなせるようになる。厄介なのは、年寄りだ。私も1年ほど前に父と義母に何かあったときにすぐに連絡が取れるよう、老人向けの携帯電話を持たせた。自宅と、私と妻の携帯の番号を入力して、ボタンひとつでかかるようにしてあるのだが、なかなか持ち歩いてくれない。使わないから、使い方を忘れてしまうという悪循環を繰り返しているのだろうが、最近では埃をかぶったまま充電器にさしっぱなしになっている。かけることもかかってくることもめったにないため、基本料金だけ払っているが、宝の持ち腐れのような気がしないでもない。

 ここで、私の素敵な携帯電話の写真を載せておく。ただの携帯電話だが、ストラップが自慢だ。ゴジ健さんから頂いたものだが、昭和55年の50円玉と5円玉が結び付けられた、ゴジ健さん手作りの世界に一つのものである。私の今の楽しみの一つは、松井がHR.を打ち、ホームランメールがこの携帯に届いて、硬貨をカチカチ鳴らしながら携帯を開くことである。今年はまだ3度しか届いていないが、少なくともあと40回はぜひとも開かせてほしいものである。
 
 
 
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