JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

京都衣笠御朱印巡り①

2023-12-20 | 御朱印めぐり
今年の秋の紅葉鑑賞を兼ねて京都に御朱印巡りに行きましょう。

京都は鷹峯や大原野なども含めほぼ行き尽くしており、特別公開を除けば行きそびれた寺社を少しずつ拾うしかありません。今回は衣笠の寺社を回ってみましょう。


衣笠は京都市北区の衣笠山の麓一帯で、立命館大学がランドマークとなります。エリア内には金閣寺をはじめ有名寺社が点在しています。今や金閣寺は外国人観光客に占領されていますので、のんびり回れそうなところに行きたいと思います。

まずは北野白梅町から。住宅地の中にコンクリート打ちっ放しの建物があります。まわりに溶け込んでいるため見過ごしてしまうかも知れない建物が熊野神社衣笠分社です。

こちらは東山丸太町にある熊野神社の分社で、明治天皇や大正天皇に医師として仕えた福井貞憲の屋敷跡に1983年に建てられたものです。40年になりますが今もモダンな姿です。

正面に小さな拝殿があり、右手奥に社務所があります。

熊野神社衣笠分社の御朱印です。「衣笠」とあり、衣笠分社であることが分かります。


北野白梅町からバスで立命館大学前へ。等持院を目指します。

立命館大学は西園寺公望の私塾を源流とし、広小路(現在の京都府立医大の向かい)で創立しています。その後1939年に西園寺家の邸宅跡地であった衣笠に理工系校舎を開設、広小路にあった文系学部も1981年に衣笠に移転しましたが、学生数の増加で手狭となり、現在は滋賀県草津市や大阪府茨木市にも校舎を持っています。

京都の大学にとって敷地の狭さは共通の悩みどころで、京大は桂に、同志社も田辺に校舎を持っています。

等持院に到着。1343年に足利尊氏が創建した臨済宗天龍寺派の寺院です。その後尊氏は1358年に亡くなり、こちらが墓所となったことから足利氏の菩提寺となっています。

応仁の乱で焼け、1606年に豊臣秀頼の援助で再興しますが1808年に再び焼け、さらに明治になって塔頭が廃寺となって小さくなります。

こちらは石庭です。

庭も拝観できます。立命館の校舎を隠すため高い木で囲まれていますが、それでも隠しきれないようです。

等持院には歴代室町幕府の将軍の木像が安置されています。本来は15代のはずですが、5代の義量と14代の義栄の像はありません。義量は若くして亡くなっているのですが、さらに若く将軍の在位も短かった7代の義勝の像が残されているので理由ははっきりしません。14代の義栄は三好一族が擁立し、入京できないまま就任後1年経たずに亡くなっているため将軍と認めていないのだと思われます。

等持院の御朱印です。


後半に続きます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 移動耳より情報 | トップ | 京都衣笠御朱印巡り② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

御朱印めぐり」カテゴリの最新記事