JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

「第52回京の冬の旅」に行ってきました①

2018-01-07 | 御朱印めぐり
毎年恒例の「第52回京の冬の旅」が始まりました。

観光客の少なくなる冬場の京都で普段非公開の寺院を見せてもらえるイベントで今年も1/6(土)~3/18(日)まで行われます(一部公開期間の異なる寺院あり)。中には他の機会も含め初公開だったり、ほとんど公開されたことのない寺院が含まれる場合もあり、貴重なチャンスとして知られています。

今年は幕末・明治維新や大河ドラマの主人公・西郷隆盛ゆかりの寺院がテーマで計15カ所が公開されます。その中でも目玉は「京の冬の旅」初公開であり、他の機会も含めほとんど公開実績のない相国寺の塔頭「豊光寺」と「林光院」だと思います。この他「京の冬の旅」初公開となる泉涌寺の舎利殿、東福寺の経蔵、出町柳の常林寺、伏見の大黒寺あたりが注目です。

しかしながら通常公開されている東福寺や泉涌寺の塔頭なども合わせて回っていると1日では到底回りきれませんから2日に分けた方が良さそうです。本来であれば場所の近いところをまとめて豊光寺・林光院・常林寺あたりで1日、東福寺・泉涌寺・大黒寺で1日が回りやすいのでしょうが常林寺と泉涌寺舎利殿は1/10(水)からの公開であり、ルート作りがなかなか難しいです。

#1/10以降に2回回る手もあるんですが、昨年妙心寺の塔頭・養徳院は当初4種類の御朱印をやっていたもののみんな4種類全部を頼むために対応が限界となり期間途中から1種のみとの制限がかかりました。こういうケースもあるため早めに行った方が良さそうです。幸い京阪電車沿線の寺院が多く、相国寺も京阪出町柳から歩いても行ける距離ですから何とかなりそうです。あとは塔頭寺院や沿線寺院を組み合わせて回ってみたいと思います。


[京の冬の旅のルール] ※いずれも一部例外がありますので公式サイトで確認を。
・拝観時間は10~16時(最終受付) 
・拝観料は1カ所600円 
・スタンプラリーを行っており達成するとお茶などのサービスが受けられます


7日は相国寺の2つの塔頭と東福寺の即宗院をメインにします。まずは相国寺から。JR京都駅からですと地下鉄で今出川下車が最寄りです。

「同やん」こと同志社の隣が相国寺になります(京都では同やん、立ちゃん、学生さんという呼び方が今も残っており、それぞれ同志社・立命館・京大の学生を意味しますが同やんと立ちゃんは大学そのものを指すこともあります)。

JRで事故があってダイヤが乱れ、地下鉄今出川駅の到着が10時になってしまいました。相国寺に急ぎましょう。

相国寺は1382年に創建された臨済宗相国寺派の大本山です。足利家の庇護を受けたことで知られ、山外の塔頭寺院である金閣寺と銀閣寺は観光寺院としてあまりにも有名です。しかしながら相国寺自体が特別拝観時以外は拝観できず、山内の塔頭寺院を見ることができるチャンスも非常に少なくなっています。

では最初は林光院から。

1418年に室町3代将軍足利義満が4代将軍義持の弟義嗣の菩提を弔うために創建、場所を転々として現在の位置に落ち着いています。境内には名梅とされる「鶯宿梅」があり、鳥羽・伏見の戦いで戦死した72名の薩摩藩士の墓があります。お隣の同志社はかつて薩摩藩邸でしたので近所の縁もあったのでしょうね。

もちろん鶯宿梅はまだ咲いておらず、3月以降になると思います。

村上天皇の時代、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之の娘紀内侍の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したというのが鶯宿梅の言われですが、接ぎ木を繰り返し現在も林光院で花を咲かせています。

鶯宿梅はオエノンの梅酒の名前としても有名ですよね。

本堂は現在の滋賀県蒲生郡日野町にあった仁正寺藩の藩邸を大正時代に移築したものだそうで水墨で描かれた障壁画も見所です。その一つが「虎図」でして、今年の京の冬の旅のメインビジュアルになっています。妙にきれいだと思ったら藤井湧泉という画家さんが昨年完成させたばかりだそうです。虎と龍が対峙する形で配置されていますが、他にもブドウなど仏教寺院ではほとんど見られない題材も絵になっており、いくつかの部屋をじっくり鑑賞してみてください。

林光院は玄関および庭園のみ撮影可能です。


お次は豊光寺へ。

豊光寺は1598年に相国寺92世・西笑承兌が前年に没した豊臣秀吉の追善のため創建しています。その後衰退、ようやく明治15年に再興されています。鎌倉時代に作られた本尊の釈迦如来像など創建以前の文化財が多く残されています。

西笑承兌は豊臣・徳川の外交ブレーンとして主に中国との折衝に尽力した高僧で、相国寺中興の祖です。足利10代将軍・義稙や西笑承兌の肖像画、明治維新で活躍した山岡鉄舟の書などが展示されています。

林光院は玄関のみ撮影可能です。


目玉と思っていた二つの塔頭でしたが、意外と早く回り終えました。午後から予定の東福寺を回っても時間が余るので伏見の大黒寺を先に回ってみます。出町柳から京阪電車が一番早いです。

途中の出町商店街にマツヤというお店があります。このお店、昔から満月の「阿闍梨餅」を販売しています。デパートや土産物売り場ではないお店としては唯一です。ここで売っているのはあまり知られていないので穴場なんです。

#私が学生の頃は田中大堰町にある満月の本店でも普通に買えたのですが・・・誰が広めたかなぁ(汗)


京阪電車に乗りましょう。特急に乗って丹波橋下車です。

丹波橋は近鉄との乗換駅で、乗降が多いため現在は特急停車駅になっています。ただ乗り換えではないお客は多くないと言われています。

少し坂を下ってゆくと大黒寺に着きます。

真言宗東寺派の寺院で1615年に薩摩藩の祈祷所となり藩主島津義弘の守り本尊(大黒天)に因んで「大黒寺」となっています。以後も薩摩藩との縁が深く寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩士の墓があります。

伏見は大阪からの三十石船が到着する京への玄関口であり、薩摩藩も大黒寺のすぐ西に伏見屋敷を構えていました。奄美や琉球で作られた砂糖は京菓子に不可欠ですから薩摩にとって砂糖の有望な売りさばき先でしたし、逆ルートでもたらされた昆布は琉球料理に欠かせない食材となりました。物流の要である伏見に拠点を設けるのは薩摩にとって必然だったと考えられます。

大黒寺は伏見の五福巡りで大黒天として長年親しまれていますが京の冬の旅としては今回が初公開となります。本堂の内部と書院での資料公開が行われています。西郷隆盛の使った机が残され、実物を触ることができます。学生ボランティアの女の子が説明していましたが、説明漏れの資料の中に日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎元帥の書がありました。寺田屋事件70周年とありますので1932年に書かれたものと推定されます。東郷元帥(1848-1934)は鹿児島の出身であり、西郷隆盛の援助で英国に留学していますから縁が深いのでしょうね。

大黒寺の山門には大黒様と島津家の丸に十の紋があります。細かいけど薩摩藩の影響が残っています。

大黒寺は境内のみ撮影可能です。


大黒寺の向かい側は金札宮です。

伏見では最も古い神社とされ、御朱印がいただけます。


大黒寺と金札宮の間の道を少し南に行くと伏見大手筋の商店街です。伏見では有数の賑やかな商店街です。

少し外れたところにこんな懐かしいパン屋さんもあります。

パッケージがレトロです。メロンパンは「全糖」とあります。サッカリンなどの人工甘味料を使ってません、という意味でしたがもはや死語なのか「ぜんとう」で仮名漢字変換しても「全糖」と出ませんよね。ちなみにメロンパンは関西独特のもので、メロン味の生地ではなく形も丸くありません。中には白あんが定番。


近くのラーメン屋が休業だったので近鉄の桃山御陵駅ガード下にある「大中ラーメン」へ。

寂れた高架下の人気店で、最近四条河原町のBAL近くに出店しました。豚骨ベースで味を自分好みに調整できるのが有り難いです。麺固め・ネギ多めが私流ですhi

お腹がいっぱいになったので東福寺に戻りましょう。京阪伏見桃山駅から電車に乗ります。

伏見桃山駅はホームの両脇が踏切になっており、しかも7両がギリギリ停車できるホームなので踏切から電車を触れそうなくらい近くに停まっています。大迫力で撮影できます。

というかこの電車(1000系電車と言うそうです)って子供の頃からずーーーーーーっといますよね。車体を切り接いだ跡とか波打った外板とか疲れが見えるんだけどまだ走り続けるんでしょうね。


長くなりましたので本日はここまで。続きは明日以降アップします。

今回回った寺院の御朱印情報です。(御朱印料は特記ない限り300円)
・相国寺林光院 4種を授与。本堂売店で書き置きのみ。オリジナル御朱印帳袋あり。
・相国寺豊光寺 2種を授与。本堂で観光協会スタッフが授与。書き置きのみ。
・大黒寺    1種を授与。特別拝観以外でも対応。直書き。
・金札宮    1種を授与。書き置きのみ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小豆島から帰ってきました | トップ | 「第52回京の冬の旅」に行っ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

御朱印めぐり」カテゴリの最新記事