善通寺駅に戻るとちょうど次の電車の時刻です。お隣の金蔵寺駅に向かいましょう。
金蔵寺駅の近くに76番札所の金倉寺があります。774年に和気道善が創建した天台宗の寺院です。道善の孫が智証大師円珍で、金倉寺は円珍生誕の地になるそうです(空海は叔父にあたるとされます)。
ちなみに「大師」の号は朝廷(現在は天皇)が贈ることになっており、過去に25人が号を受けていますが(法然や隠元は複数の大師号を持っている)、讃岐からは空海や円珍をはじめ5名がいるとのこと。ただ「大師」と言えばほぼほぼ弘法大師空海となるようです。
金倉寺はその後三井寺を再興した円珍の功績もあり醍醐天皇から保護されたことから130以上の僧院を抱える大きな寺となっていたそうです。
しかしながら度重なる兵火により1606年には真言宗の長福寺の下に入るなど大きく衰退してしまいます。そのため高松藩主の松平頼重が金倉寺を再興、30石の寄進を行ったことで復興しています。その後1898年には善通寺の陸軍第11師団長となった乃木希典が宿所としたそうです。
現在の本堂は1983年に建てられたものです。本尊は智証大師作とされる薬師如来で秘仏となっています。
納経所は本堂の隣です。
金倉寺の御朱印です。
金倉寺の御影です。
お次は77番の道隆寺です。多度津駅の近くにありますが、電車は1時間に1本だけ。歩くことにしました。約4km。
雨の中をひたすら歩き続けてようやく道隆寺に着きました。
749年に和気道隆が創建したとされる真言宗醍醐派の大本山です。道隆寺は3世が弘法大師の弟・法光大師、4世が金倉寺ゆかりの智証大師、5世が理源大師と3代続けて大師の号を与えられた高僧が関わっています。
本堂はこちら。広くはない境内です。
道隆寺の御朱印です。
道隆寺の御影です。
ここから多度津駅までは歩いて10分弱です。多度津から高松方面は1時間に2本電車があります。高松に引き上げましょう。
今回の御朱印情報です。
松尾寺 1種を納経所で授与。
善通寺 1種を納経所で授与。
華蔵院 1種を納経所で授与。
金倉寺 1種を納経所で授与。
道隆寺 1種を納経所で授与。
金蔵寺駅の近くに76番札所の金倉寺があります。774年に和気道善が創建した天台宗の寺院です。道善の孫が智証大師円珍で、金倉寺は円珍生誕の地になるそうです(空海は叔父にあたるとされます)。
ちなみに「大師」の号は朝廷(現在は天皇)が贈ることになっており、過去に25人が号を受けていますが(法然や隠元は複数の大師号を持っている)、讃岐からは空海や円珍をはじめ5名がいるとのこと。ただ「大師」と言えばほぼほぼ弘法大師空海となるようです。
金倉寺はその後三井寺を再興した円珍の功績もあり醍醐天皇から保護されたことから130以上の僧院を抱える大きな寺となっていたそうです。
しかしながら度重なる兵火により1606年には真言宗の長福寺の下に入るなど大きく衰退してしまいます。そのため高松藩主の松平頼重が金倉寺を再興、30石の寄進を行ったことで復興しています。その後1898年には善通寺の陸軍第11師団長となった乃木希典が宿所としたそうです。
現在の本堂は1983年に建てられたものです。本尊は智証大師作とされる薬師如来で秘仏となっています。
納経所は本堂の隣です。
金倉寺の御朱印です。
金倉寺の御影です。
お次は77番の道隆寺です。多度津駅の近くにありますが、電車は1時間に1本だけ。歩くことにしました。約4km。
雨の中をひたすら歩き続けてようやく道隆寺に着きました。
749年に和気道隆が創建したとされる真言宗醍醐派の大本山です。道隆寺は3世が弘法大師の弟・法光大師、4世が金倉寺ゆかりの智証大師、5世が理源大師と3代続けて大師の号を与えられた高僧が関わっています。
本堂はこちら。広くはない境内です。
道隆寺の御朱印です。
道隆寺の御影です。
ここから多度津駅までは歩いて10分弱です。多度津から高松方面は1時間に2本電車があります。高松に引き上げましょう。
今回の御朱印情報です。
松尾寺 1種を納経所で授与。
善通寺 1種を納経所で授与。
華蔵院 1種を納経所で授与。
金倉寺 1種を納経所で授与。
道隆寺 1種を納経所で授与。