JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

香川移動運用報告③

2022-07-06 | 移動運用結果報告
7/2(日)高松→女木島→高松→神戸
今日は始発の船に乗って女木島に向かい、いつもの山の上から出てみます。女木島13時20分の船で高松に戻り、三宮行きの高速バスで引き上げます。

朝起きて屋島を見たら雲がかかってなく、お天気は持ちそうな気配です。

今日は高松港周辺でサンポートトライアスロンがあるので午前中は市内で交通規制が敷かれるそうです。なので少し早めに宿を出ています。電車で向かいましょう。

8時の船に間に合いました。しましまの「めおん」で女木島に向かいましょう。

8時20分に女木島到着。バスの乗車券を買ってバスに乗ります。バスを運行していた鬼ヶ島観光自動車は今年春に整備不良や乗務員の点呼未完などの違反が見つかり3/24から122日間の事業停止処分を受けており、まだ解除されていません。このため代わりのバス会社が運行を引き受けています。鬼ヶ島観光自動車は社長が車の整備などをほぼ一手にやっていたのですが、社長が亡くなられて何もできないまま運行を続けていたのが実情です。

引き継いでいるのはマルイ観光バスという会社です。高松市に広域合併で吸収された塩江町や国分寺町などのコミュニティバスの受託運行を行っており、小型のバスを持ってたので適任だったと思われます。

「おにの館」という交流施設でバスの乗車券を売っています。販売機を据え付けていました。発車後に車窓の風景を紹介するテープを流しており、どうも臨時で引き継いだようには思えない感じです。


いつもの場所で設営です。

展望台の床が補修されていました。まだまだ使えそうで有り難いです。

今回24KGに接続するケーブルを更新しました。低損失にしたことで少しは飛ぶのではないかと思います。昨日の試し撃ちでははっきり効果が出なかったので実戦で確認してみます。

アンテナを上げ9時にスタート。まずは50MHzからです。Esが開いているようで、何と沖縄のJS6EAQ局がはっきり59で聞こえます。ワンコールで取ってもらえました。EAQ局はいつもtwitterでお世話になっていますが、QSOは久しぶりでした。

もちろん九州本土もGWで聞こえます。この女木島のロケーションは素晴らしいとしか言い様がないです。

一方で東方向はあまり聞こえません。いつもなら東海3県は普通にQSOできるのですが今日は聞こえる局が僅か。3エリアも少ないです。後で分かったのですが雨だったそうです。

一段落ついて144です。うーん・・・あんまり聞こえません。3エリアのラグチューみたいなQSO(コンテストで何であんなにダラダラ
やるんですかね?)は聞こえますが、そんなの待っていたら時間がないので放っておきましょう。

50MHzは北方向のEsも出てきました。8エリアが開いています。どうやら8からは4~6エリア中心で開いているみたいでワンコールで取ってもらえます。向こうも出ている局を探しているようなのでCQを出したら結構できました。36って探さないとなかなか取れませんからhi

144で何と30県の局とQSOできました。ケーブルを低損失にした分で聞こえてきたみたいで、先方もPでしたので驚きです。改善した効果はあったようです。

一方の430は大阪までQSOできていますが、目立った改善効果がないです。もっと飛ばすには八木しかないんですかね?


帰りのバスは12時40分発です。12時10分で終了です。片付けましょう。女木島からは50MHzで48局、144MHzで12局、4730MHzで19局の計79局でした。


バスが待機場に引き上げてしまったので運転手さんに聞けなかったのですがどうも鬼ヶ島観光自動車からバス路線を引き継いだ可能性が高いと思われます。鬼ヶ島観光自動車が四国運輸局の指示通りの改善を行うには人がいませんし、コストもかかります。なので事業譲渡したのかも知れませんね。

帰りの「めおん」が来ました。

高松港に戻りました。急ぎうどんを食べましょう。こういう時に便利なのが駅前の「めりけんや」です。「岡じま」まで行くには十分な時間がないし、味もそこそこなので有り難いです。

「めりけんや」は冷やかけが売り切れだったので冷やしぶっかけです。


駅で酒を買って14時15分発の神戸行きバスに乗ります。

今回からしばらく帰りの高速バスの音楽は松田聖子さん(1980年のデビューから1985年の神田正輝さんとの結婚頃まで)のアルバムにしてみます。

聖子さんは1978年の「ミスセブンティーンコンテスト」九州大会で優勝したことがデビューのきっかけとされています。しかしながらお父さんや学校の反対に遭い東京の本選への出場は辞退しています。これで終わりのはずでしたが、聖子さんのテープを聴いて衝撃を受けたCBSソニーのプロデューサー若松宗雄さんがスカウトを決意、お父さんから何度も反対されながらも最後は上京の了承をもらい1980年4月1日に「裸足の季節」でデビューします。この曲は資生堂の「エクボ洗顔フォーム」のCMに起用され話題となります。

さらにグリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCMタイアップ曲「青い珊瑚礁」が60万枚を売り上げる大ヒットとなり、同期デビューの河合奈保子さん、柏原芳恵さん、岩崎良美さんらを引き離してポスト山口百恵さんの一番手となります。その後も快進撃は止まらず「不世出のアイドル」とも呼ばれる存在となります。聖子さんのデビューまでのエピソードはネットとかに転がっていると思いますが、結果的に「なるべくしてスターになった人」なのだと思われます。


記念すべき初のオリジナルアルバム「SQUALL」は1980年8月1日に発売されています。「裸足の季節」「青い珊瑚礁」の2曲を軸に全曲を三浦徳子さんの作詞、小田裕一郎さんの作曲で揃えています。このコンビは杏里さんの「CAT'S EYE(1983年)」もヒットさせた実績があります。

また「青い珊瑚礁」で初めて編曲を担当し、聖子さんの全盛期をずっと支えることになる大村雅朗さんも4曲の編曲を担当しています。長く活躍した歌手はアレンジャーを固定する傾向が強く、松任谷由実さんはご主人の松任谷正隆さんですし、竹内まりやさんも山下達郎さん、杏里さんは小倉泰治さん、aiko姉さんは島田昌典さんが長らく担当しています。博多っ子の大村さんは同郷の聖子さんを妹のようにかわいがったそうですが1997年に46歳の若さで亡くなられています。

「SQUALL」は「南の海」がイメージで、のちの絶頂期に松本隆さんのラインで作られた曲とは詩や曲が異なるため「SQUALL」の収録曲がベスト盤に収録されるケースは少ないようです。デビュー当初のごく短期間だけに終わってしまった伸びやかで力強い高音が今聴いても鮮烈ですし、伸ばした母音をきゅっと上げる聖子さん得意の歌い方がデビューアルバムからふんだんに使われているのが分かります。

「裸足の季節」「青い珊瑚礁」の2曲がやはり強烈で、あとの曲がやや霞んでいますが、伸びやかなボーカルが印象的な1枚です。当時はまだアナログのマスターテープに録音されLP盤にカッティングされており、デジタルレコーディングやCDではありませんから、CDの開発があと3年早ければ、と思ってしまいます。

バスは高松市内の渋滞で遅れ、所定の緑PAではなく淡路島南PAでの休憩となりました。トイレと自販機しかない緑よりも売店のある淡路島南の方が絶対便利です。

8分ほどの遅れで三宮到着。JRが人身事故でダイヤ乱れになっていますがすぐに新快速が来ました。これで帰宅しましょう。


今回は2日間合わせ50MHzで48局、144MHzで14局、430MHzで20局の計82局でした。次回高松は10月はじめ頃に丸亀市手島で考えています。よろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする