もし、命に関わる究極の状態に追い込まれた時、自分はどう行動するだろうか?たとえそれがすぐには起ないにしても、そのようなことは、状況の違いはあれ、遅かれ早かれ、いつかは誰もが遭遇することになるのです。そして、そのような緊急事態に追い込まれた時、我れ先に逃げる人もいれば、何もできなくて固まってしまう人もいれば、他人を助ける人もいます。
タイタニック号事件が起きたのは、1912年4月15日。奇しくも時差を考えるとほぼ同日の4月16日に、セウォル号事故が起きました。セウォル号事件が人災であったことは周知の事実ですが、タイタニック号も、船の豪華さや速度などの話題づくりばかりが優先され、安全性や避難装備が軽視されていました。しかも、6度にもわたる警告を無視した結果、史上最悪と言える海難事故が起きてしまいました。このような悲惨な事件を経験していながら、人類はまた、同じ過ちを繰り返してしまったのです。
そのような非常事態下で、逃げることなく、己の身を犠牲にして人を助けることができる人とは、いったいどのようなう人なのでしょうか?それは性別、学歴、職業、経済力、社会的地位、年齢、いずれも関係ありません。では、クリスチャンであることは関係するでしょうか?“クリスチャンであるなら決して状況から逃げたりはしない!”と、あなたは断言できるでしょうか
このようなことは頭で理解して出来ることではなく、「やめなさい!」と言われて止められるものでもなく、「こうしよう」と思っても、改善されることでもありません。ただ、忘れてはならないのは、その現場に関わっていた人たちが、しれぞれ成すべきことにしっかりと対応していたなら、起きずに済んだ事件であったこと、死なずに済んだ人が大勢いたということは事実なのです。
タイタニック号は、誰も救援に向かえない大海原の真ん中で沈没したのではありません。事故当時、ちょうどその周囲20-30キロ四方には、3隻の船がいたのです。ところが、タイタニック号を救助したのは1隻だけでした。最も近い位置にいたマウントテンプル号は、双方の明かりが確認でき、事故による爆発音を2度も確認しておきながら、巻き添えを恐れてか、あえて気づかれないように灯りを消し、ひっそりと逃げ去り、見殺しにしたのです。
次に近いところにいたカリフォルニア号も、タイタニック号の船影を確認し、救難信号も実際に見ている位置にいました。ましかし、彼らはその救助信号を他の船に対する注意信号を勘違いし、やがて消えた船影も、単に離れ去ったのだと、勝手に解釈していました。彼らはそこれ何が起きていたのか?状況把握が全く出来いなかったのです。意識していたにせよ、していなかったにせよ、結果的に見殺しにしたことは、マウントテンプル号と同じでした。
このカリフォルニア号の態度は、現在の私たちクリスチャンの心に訴えかけます。「今は終末時代、再臨も近い!」とは、どの教会でも言っていますが、それに対する行動が伴っていないのが多くの現状です。聖書は、「裁きは盗人のように突如として訪れる」と再三警告してるのも関わらず、終末時代に対する緊迫感は皆無。
カリフォルニア号の船長は用心深い人だったそうですが、それが裏目に出てしまいました。自分たちの安全を第一とし、トラブルに巻き込まれないように、煩わしいことから逃れるように、状況を都合よく解釈してしまっていたのです。教会はカリフォルニア号であってはなりません。多くの人の魂を救える立場にいるクリスチャンが、実のところ何もしていないというなら、今すぐ悔い改めなければならないのです。
そして最後のカルパチア号。この船は、タイタニック号からの遭難信号を受けと直ちに進路をタイタニック号へ向け、救助に向かいました。余計なエネルギーを停止させて最速動力を開き、全速力で氷山の間をくぐりぬけて、駆け付けたのです。向かう途中で救命ボートなど、救出用の備品を確認配置させ、医師を集めて待機させ、見張りも増員し、それらの周到な準備を、客室に混乱を与えないよう、細心の注意を払いながら、周到に行いました。そして、706名の遭難者救出に成功したのです。
カルパチア号のロストロン船長の優秀さは、その責任感や決断力は勿論ですが、彼は非常事態において何をすべきかを熟知し、その必要に応じて正しい優先順位で、能率よく、無駄なく、決然と行動したところにあります。そして、すべての命令を下した後、彼はその場を離れ、頭と垂れて祈り続けました。ロストロン船長は篤い信仰を持つクリスチャンだったのです。
神様は、タイタニック号事件という悲惨な状況で、ロストラン船長を遭難者救助の器としてに用いられました。人を救うために神に用いられる人材とは、この世に流されることなく、人の言うなりになることなく、真に正しいことのために立ち上がる人のことです。そして神様はまた、このメッセージを聴いてくれた人が、人生にポジティブな行動に出ることを望まれます。メッセージは単なる聖書解説や情報提供ではなく、神様がくださる人生に向き直るための原動力なのです。
今日の聖書箇所『テトス3:1-9」から、3つのポイントをまとめます。
全の人の行動は、何かしらの「信仰(考え)」を土台としている。
全て誤った人の行動の背後には、必ず何かしらの「嘘(誤解)」がある。
「思考パターン(物事の見方・考えから)」を変化させることによって、人生は新しくすることができる。
つまり、私たちの思考パターン(価値観・信念)を前向きに刷新したいという意識なし、ただ毎週教会で説教を聞いても、成功論の本を読んでも、表面的な言動だけを変えよいとしても、それは結果的に無駄に終わってしまいます。
それは、旅客機の自動操縦プログラムを北にセットしたまま、いくら強引に南にハンドルを切っても、ハンドルから手を話せば、すぐ北に戻ってしまうように、航路指定のプログラム自体を変えないまま、いくら考えても、喋っても、行動しようとしても、もがいても、少し時間が経てば、また元に戻ってしまうのです。
この運行プログラムパターンを変更することを、聖書ではメタノイア(方向転換)と言います。これを日本語の聖書で「悔い改め」と訳されているのです。悔い改めとは、「悪いことをやめて、良いことする」という意味ではなくて「方向転換」。その人の一番奥深い所における人生観を変えることなのです。これがイエス/キリストによる救いと直結しているのです。つまり、悔い改めのない救いはなく、救いのない悔い改めはないのです。
今日本では、多くの精神疾患やいじめ、社会的圧力等に潰されて、自ら死を選んでしまう人が数多くおられます。しかし、一度、今の自分と、自分の周囲のことから目を離して、実は自分には、人の命を救う使命がる。そういった力が備わっているということに気付く事が出来れば、今日の聖書の言葉にあるように、新たに生きる力を、別の所(HS)から、必ず受け取る得る事が出来るのです!
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。(テトス3:6)
人生を前向きに方向転換させ、悔い改めることで、私たちは新たに生まれ変われる力を、聖霊様から受け取ることができる。それが、私たちの真の希望です。どんな人生をもプラスに変える力、自分のためだけではなく人のために生きる力、それがイエス・キリストを信じるすべての人に注がれる偉大な神様の力なのです
今週の教会ご飯/夏っぽい?クラムチャウダー
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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タイタニック号事件が起きたのは、1912年4月15日。奇しくも時差を考えるとほぼ同日の4月16日に、セウォル号事故が起きました。セウォル号事件が人災であったことは周知の事実ですが、タイタニック号も、船の豪華さや速度などの話題づくりばかりが優先され、安全性や避難装備が軽視されていました。しかも、6度にもわたる警告を無視した結果、史上最悪と言える海難事故が起きてしまいました。このような悲惨な事件を経験していながら、人類はまた、同じ過ちを繰り返してしまったのです。
そのような非常事態下で、逃げることなく、己の身を犠牲にして人を助けることができる人とは、いったいどのようなう人なのでしょうか?それは性別、学歴、職業、経済力、社会的地位、年齢、いずれも関係ありません。では、クリスチャンであることは関係するでしょうか?“クリスチャンであるなら決して状況から逃げたりはしない!”と、あなたは断言できるでしょうか
このようなことは頭で理解して出来ることではなく、「やめなさい!」と言われて止められるものでもなく、「こうしよう」と思っても、改善されることでもありません。ただ、忘れてはならないのは、その現場に関わっていた人たちが、しれぞれ成すべきことにしっかりと対応していたなら、起きずに済んだ事件であったこと、死なずに済んだ人が大勢いたということは事実なのです。
タイタニック号は、誰も救援に向かえない大海原の真ん中で沈没したのではありません。事故当時、ちょうどその周囲20-30キロ四方には、3隻の船がいたのです。ところが、タイタニック号を救助したのは1隻だけでした。最も近い位置にいたマウントテンプル号は、双方の明かりが確認でき、事故による爆発音を2度も確認しておきながら、巻き添えを恐れてか、あえて気づかれないように灯りを消し、ひっそりと逃げ去り、見殺しにしたのです。
次に近いところにいたカリフォルニア号も、タイタニック号の船影を確認し、救難信号も実際に見ている位置にいました。ましかし、彼らはその救助信号を他の船に対する注意信号を勘違いし、やがて消えた船影も、単に離れ去ったのだと、勝手に解釈していました。彼らはそこれ何が起きていたのか?状況把握が全く出来いなかったのです。意識していたにせよ、していなかったにせよ、結果的に見殺しにしたことは、マウントテンプル号と同じでした。
このカリフォルニア号の態度は、現在の私たちクリスチャンの心に訴えかけます。「今は終末時代、再臨も近い!」とは、どの教会でも言っていますが、それに対する行動が伴っていないのが多くの現状です。聖書は、「裁きは盗人のように突如として訪れる」と再三警告してるのも関わらず、終末時代に対する緊迫感は皆無。
カリフォルニア号の船長は用心深い人だったそうですが、それが裏目に出てしまいました。自分たちの安全を第一とし、トラブルに巻き込まれないように、煩わしいことから逃れるように、状況を都合よく解釈してしまっていたのです。教会はカリフォルニア号であってはなりません。多くの人の魂を救える立場にいるクリスチャンが、実のところ何もしていないというなら、今すぐ悔い改めなければならないのです。
そして最後のカルパチア号。この船は、タイタニック号からの遭難信号を受けと直ちに進路をタイタニック号へ向け、救助に向かいました。余計なエネルギーを停止させて最速動力を開き、全速力で氷山の間をくぐりぬけて、駆け付けたのです。向かう途中で救命ボートなど、救出用の備品を確認配置させ、医師を集めて待機させ、見張りも増員し、それらの周到な準備を、客室に混乱を与えないよう、細心の注意を払いながら、周到に行いました。そして、706名の遭難者救出に成功したのです。
カルパチア号のロストロン船長の優秀さは、その責任感や決断力は勿論ですが、彼は非常事態において何をすべきかを熟知し、その必要に応じて正しい優先順位で、能率よく、無駄なく、決然と行動したところにあります。そして、すべての命令を下した後、彼はその場を離れ、頭と垂れて祈り続けました。ロストロン船長は篤い信仰を持つクリスチャンだったのです。
神様は、タイタニック号事件という悲惨な状況で、ロストラン船長を遭難者救助の器としてに用いられました。人を救うために神に用いられる人材とは、この世に流されることなく、人の言うなりになることなく、真に正しいことのために立ち上がる人のことです。そして神様はまた、このメッセージを聴いてくれた人が、人生にポジティブな行動に出ることを望まれます。メッセージは単なる聖書解説や情報提供ではなく、神様がくださる人生に向き直るための原動力なのです。
今日の聖書箇所『テトス3:1-9」から、3つのポイントをまとめます。
全の人の行動は、何かしらの「信仰(考え)」を土台としている。
全て誤った人の行動の背後には、必ず何かしらの「嘘(誤解)」がある。
「思考パターン(物事の見方・考えから)」を変化させることによって、人生は新しくすることができる。
つまり、私たちの思考パターン(価値観・信念)を前向きに刷新したいという意識なし、ただ毎週教会で説教を聞いても、成功論の本を読んでも、表面的な言動だけを変えよいとしても、それは結果的に無駄に終わってしまいます。
それは、旅客機の自動操縦プログラムを北にセットしたまま、いくら強引に南にハンドルを切っても、ハンドルから手を話せば、すぐ北に戻ってしまうように、航路指定のプログラム自体を変えないまま、いくら考えても、喋っても、行動しようとしても、もがいても、少し時間が経てば、また元に戻ってしまうのです。
この運行プログラムパターンを変更することを、聖書ではメタノイア(方向転換)と言います。これを日本語の聖書で「悔い改め」と訳されているのです。悔い改めとは、「悪いことをやめて、良いことする」という意味ではなくて「方向転換」。その人の一番奥深い所における人生観を変えることなのです。これがイエス/キリストによる救いと直結しているのです。つまり、悔い改めのない救いはなく、救いのない悔い改めはないのです。
今日本では、多くの精神疾患やいじめ、社会的圧力等に潰されて、自ら死を選んでしまう人が数多くおられます。しかし、一度、今の自分と、自分の周囲のことから目を離して、実は自分には、人の命を救う使命がる。そういった力が備わっているということに気付く事が出来れば、今日の聖書の言葉にあるように、新たに生きる力を、別の所(HS)から、必ず受け取る得る事が出来るのです!
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。(テトス3:6)
人生を前向きに方向転換させ、悔い改めることで、私たちは新たに生まれ変われる力を、聖霊様から受け取ることができる。それが、私たちの真の希望です。どんな人生をもプラスに変える力、自分のためだけではなく人のために生きる力、それがイエス・キリストを信じるすべての人に注がれる偉大な神様の力なのです
今週の教会ご飯/夏っぽい?クラムチャウダー
ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI
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