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「荒野にて・・」30分de一巻 Vol-4

2016年09月11日 | Good News
民数記は、シナイ山からモアブ平原までの旅の記録。律法書の中の歴史書。原題は、本書1章1節からの言葉「荒野にて・・」本書を通して「イエス様のメッセージとは何か?」に焦点を合わせて読む!

何故、ここで人口調査(二度)が行われたのか?それは、400年間の奴隷生活で、烏合の衆と化した民衆を、荒野に導き、カナン先住民との戦いに備えるために、民を組織化し、軍隊化する必要があった。また、この調査は後に、カナンの地における領地分配の基礎資料となった。

彼らは、契約の民であって、途中で何があっても、どんな誘惑に落とされようが、あなた達はわたし(神)の保証の内にいる」と言う事を、民に自覚させるための人口調査。この記録は、天国に入るための命の書。これが今、私達に伝えられている本書の主題テーマである。

彼らの40年間にわたる荒野の旅は、私達クリスチャンの人生の象徴である。救われた私達異邦人も、キリストを受け入れられていないユダヤ人も、今は天国に入る前の段階の荒野の過程の中にいる。

ユダヤ人は40年どころか、未だに1900年以上、茨の地を放浪している。しかし、その彼らが最後に救われる。何故か!? それは、彼らが毎週、心と霊と力を込めて祈っている御言葉があるからだ。その重要な御言葉が本書の中に有る!!

神は民の必要を満たされた!この事を忘れてはいけない。私達はいつも思い出して感謝する必要がある。今でも与え続けて下さっている神に感謝!!さて、本書の内容は、以下の大きく3つに分けられる。

シナイ山にて (1章1節~10章10節)

シナイ山からカデシュバルネア (10章11節~19章)

カデシュバルネアからモアブの平原 (20章~36章)

約束の地に入れなかった旧世代(1章~25章)、 約束の地に入れた新世代(26章~36章)とも分ける事が出来るが、民の移動の行程については、カデシュバルネアと3つの山(シナイ山/十戒、ホル山/アロン死す、ネボ山/モーセ死す)の位置関係を中心に見ると分かり易い。

エジプトを脱出した時の民の数は約60万人。しかし、これは20歳以上の成人男子の数で、女性・子供・老人は含むと、おそらくその数は4倍以上、少なくとも200万人以上いたと考えられる。ところが、この人達のほぼ全員、モーセも、アロンも、ミリアムも、約束の地には入れなかった。(例外はヨシアとカレブのみ)

この“601728人対2人”の差はいったいどこにあったのか その答えは新約聖書にある。旧約はイエス・キリストの光に照らして読むことが大切だが、その具体的方法が、新約に引用されている旧約箇所を確認することである。ここが、ミソだ



いったい誰が、神の声を聞いたのに、反抗したのか。モーセを指導者としてエジプトを出たすべての者ではなかったか。いったい誰に対して、神は40年間憤られたのか。罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。いったい誰に対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことが私達に分かるのです。

このへブル3章16-19節を読めば明か。それは“信仰対不信仰”の差。ちなみにヨシアはエフライム族、カレブはユダ族。この二人が、北王国と南王国を継承する。

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

クリスチャンであれば誰でも知っている、この第一コリント10章13節の御言葉は、その前の10章1〜12節に記されている荒野での出来事から引用された適応(教訓)である。

神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ルターがスモールバイブルと読んだ、おそらく聖書中最も有名な御言葉、ヨハネ3章16節は、その前の14〜15節で語られている青銅の蛇事件(21章4〜9節)の出来事から引用された御言葉である。言うまでもなく、命を回復させる青銅のヘビはイエス・キリストの予表である。

メリバの泉事件:モーセの失敗。自我にとらわれ感情的になった。神の権威の乱用(神の権威の印である杖を道具に使った)神の絶対的聖を汚してはならない!

バラム事件:本書の22〜24章(+25章&31章)の実に5章、新約にも黙示録を含め3度登場する占い師。第二ペテロでは、「バラムが歩んだ道」、ユダ書では「バラムの迷い」、そして黙示録では「バラムの教え」。彼はミディアン人、モアブ人の娘を使ってイスラエルを誘惑し、多くの民を偶像礼拝に陥らせた。この事件でユダヤ人2万4千人が殺された。

バラムの迷いとは、貪欲と二心を表す。信仰を持った後は荒野に入る。行けども行けども砂と岩ばかり..。しかも、自分達の前にはいつも敵が立ちはだかっている。信仰の霊的戦いの難しさ!

だけれども、何が起ころうとも神様の約束は変わらない!!神様はクリスチャンをこの世の霊的な戦いを、戦い抜く兵士として一人一人数えておられる。荒野で戦い抜くために、自分の名が「天の命の書」に記されている事実を認識しておこう!

実は、ユダヤ人達はこの信仰を今でも忘れずに持ち続けている。それは、彼らが毎週行っている安息日最後の祈り。それは、神に対して絶対的信頼をおいた感謝の祈りである。

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。彼らが私の名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。(6章24〜27節)

主の御名が高く崇められますように。アーメン (Repot by itou)



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19 コメント

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“荒野にて”アプリケーション (Yoko J)
2019-01-25 15:08:49
メッツセージの初めに携挙について話されたが、大事な事は、私達には明日の事はわからない。だからこそ、いつどこでイエス様に会う事になっても準備が出来ていなければならない。そのためになるような御言葉の学びが必要。それは、主題であるイエス様にいつも結びつけられる学び。

『では、民数記はどうであろうか?』
イスラエル人がモーセに率いられシナイ山からモアブまで旅する、人間の反抗の歴史書。400年間の奴隷生活で、アブラハムによって祝福された契約の民というアイデンティティを失ってしまった民が、約束の地“カナン”を獲得するための戦いに備えるための苦難と試練の40年間。結果的にカナンの地へ入る事が出来たのは、ヨシュアとカレブの新世代の二人だけ。

『現代の私達への適用は?』
信仰を持って救われた(エジプトを出た)私達は、砂と岩と敵だらけの荒野の真っ只中であたふたしているが、何が起ころうとも神の救いは変わらないという保証の中にいる。イスラエルの民にマナを毎日降らせ、岩から水を飲ませてくださったように、今も私達に恵みを注いでくださっている神様は、霊的戦いを戦い抜くクリスチャン一人一人を兵士として数えておられ、人口調査記録=天の命の書に記してくださっている。

『新約から紐解く民数記』
ヘブル3:16:不信仰によって安息に入れなかった民 vs. 信仰により入る神の安息
1コリ10:13:試練の時、いつも励まされた聖句は 10:1~12の民数記の出来事を受けての適用。
ヨハネ3:16: Small Bible モーセが荒野で蛇を上げた民数記の出来事を受けて。命を回復させる青銅の蛇=イエス様の予表。このように重要な聖句が民数記からの引用である事に、霊の目が開かれました!

『民数記の中での重要な出来事』
・メリバの泉事件
民数12:3”モーセと言う人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった“→民20:11“モーセは...彼の杖で岩を二度打った”「岩に命じれば」と仰った神の権威を乱用してしまったモーセ。自我にとらわれ感情的になった彼は約束の地に入れる事は出来なかった。絶対的に聖である神を汚す事は出来ない。(レビ記)

20:13“主がこの事によってご自身を聖なるものとして示された。”あの謙遜の極みのモーセでさえ聖である事は出来ず、約束の地に入る事は出来なかった。いわんや、毎日罪をおかしてしまう私達は、聖であるイエス様の十字架無くては、天国へ入る事は不可能である!

民数記の区分(宿営箇所、旧&新世代、三山)、民数記で5章にもわたって記述され、新約で3度も引用されているバラムについてなど、わかりにくいと思っていたこの書の読み方ガイドを頂き非常にスッキリした。

何よりも、黙示録で最後に救われると書かれ、信仰を持ち続け1900年に渡り、今も救い主を探し求めさまよっているユダヤ人が今でも安息日の最後に唱えるのが民数6:24~27である事に感動!彼らのためにますます祈りたいと思う。クリスチャンの礼拝の最後の祝祷としても用いられる箇所。

個人的には、26節の“主が…あなたに平安を与えられますように”の御言葉に主の愛を感じずにはいられない。イスラエル人を祝福する言葉として、モーセに与えられたが、イエス様を送り、異邦人をも救ってくださった主が、どれだけ私達を愛し、恵み、守り、心の平安を願っておられるか・・。この世の現実でどんな荒野を旅していても、主の愛を受けとり、主を見上げて生きていきたい。命の書に名前が記されているという確信を持ち続けられる強い信仰が欲しい。

黙示録までの旅も楽しみです!この学びに感謝して。
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(荒野にて)アプリケーション (Yuko)
2019-01-25 14:50:31
テーマ:天国に入る為の命の書、神の保証の内にある事を自覚する為の人口調査。それが何故、2度も行われたのか?400年間の奴隷生活後、信仰から離れた民を組織・軍隊化する必要があった。

約60万人(20歳以上の男子) +女性・子供・老人を加えると、およそ4倍以上の民が約束の地に入れなかった。約束の地に入れたのはヨシュア(ヘブライム族)とカレブ(ユダ族)の二人」だけ。神はこの二人にユダ王国とイスラエル王国を継承させた。

民数記の出来事が適用されている新約からの御言葉。
*ヘブル 3章/信仰と不信仰の差(神に従う者が祝福を受ける)
*第1コリント10章1節−12節だから13節。
*ヨハネ3章16節、14、15節 青銅の蛇事件(命を回復する)

3つの山/シナイ山(モーセの十戒) 、ホル山(アロンの死) 、ネボ山(モーセの死)

20章 メリバの水事件/モーセが神の国には入れなかった理由ー神の権威の乱用、自我に取られて感情的になった。

バラム(占い師)という人物/22ー24章、25、31章。24:17ではメシヤ預言もしている。ユダ書での信仰の霊的戦い/バラムの迷い。。は興味あり。

信仰を持った後は荒野の道を歩む。神様は私達クリスチャンを霊的戦いを戦い抜く兵士として数えている。
民数記を読んで分かりづらかったのですが、新約からの御言葉との関連性はとても心に残りました。今も信仰を持ち続けているユダヤ人はキリスト再臨前に救われるという根拠となる祈りが、6章24ー27節。私も強い信仰を持ち、荒野の道をさまよいながら霊的戦いに挑戦したいと思いました。

学びに感謝して。
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民数記の感想 (Otomo)
2019-01-16 23:34:41
ハレルヤ!
民数記ようやく読み終えました。きつかったです。全体の概略が先生の講座でよく分かりました。いきなりRaptureの話でびっくりしましたが..。

人口調査が必要だったのは奴隷だった烏合の集から組織化して軍隊化し、約束の土地の配分のためだったとわかりました。40年の荒野にて起きたマナやうずらの話は未だに頭に残ります。

旅程はシナイ山、ホル山、ヘボ山ですね。アロンやモーゼが亡くなった場所です。なぜモーゼが約束の地に入れなかったか、謎でしたがようやくわかりました。自我の感情は神様は受け入れないのですね。

民数記と連なる新約の箇所も読みました。さらに荒野を歩いて行きます。コンビニがあるからましですね。わたしもこのバラムの記事が何回も出てくるのでなぜかわかりませんでしたが、占いの迷いと言うか、二心ですね。

ありがとうございます。
けいすけ先生に恵みと祝福があることをお祈りしてます。申命記をお願いします。 感謝♪
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御言葉に重みが増してきた! (Kimie)
2018-12-31 10:32:22
民数記は反抗の記録である。そこに私達の姿を見る。
なぜ2回の人口調査が必要だったのか?組織化・軍隊化 : 我々もキリストの兵士として数えられていることを認識しよう!

信仰を持った後は荒野の道・・。まさに私の信仰生活そのもの。様々な敵にぶつかってあたふたしている。天国に入るまで何が起ころうと戦う!神の保証の内にいることを自覚しよう!

新約に引用されている御言葉 : 聖書はリンクして読むことが大事!
荒野の行程は3つの山で知る。
気になる話:堕落した預言者バラム事件とメリバの泉でのモーセの神の権威の誤用事件。

唯一、約束の地に入れたヨシュアとカレブ : その民族が後の南王国・北王国へと継承される。
信仰を持ち続けているユダヤ人:民数記 6:24-27
単に暗記して祈っていた御言葉に重みが増してきました!
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"荒野にて” (Chika)
2018-12-31 10:25:32
◻️出エジプト記に続いて、民数記を通してもまた、信仰を持ったクリスチャンが、荒野の道で様々な敵からの攻撃に合いあたふたし、また神に従う者が逆らう者へと堕落していく姿を見させられます。これはとても他人事ではありません!私はどうか???今神様を悲しませていないか???背いていないか???そんな問いでいつも自分自身の霊を見張っていないと、いつ敵からの誘惑に揺り動かされてもおかしくないと思わさせられました...。

徹底して従う者は神からの祝福を受け、従わないものは祝福を受けられない。この天国に入る前の荒野の過程で、何があっても、どんな誘惑に落とし入れられようが、神の保証(命の書)の内にいるのだということをいつも自覚しておくことがとても大切なんだということを、この民数記が教えてくれていることがわかりました。

私たちクリスチャンは、聖書が描くイスラエルの民の姿を通して、いつもイエス様からのメッセージを受け取ることができる。1900年以上、未だに放浪を続けているユダヤ人は、今はイエス・キリストを受け入れられない異端の状態にあるが、聖書には彼らが最終的に救われることが描かれている。毎週民数記6:24~27の御言葉を祈っている彼らのために祈りたいと思います!!
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民数記のまとめ (Chimako)
2018-12-31 10:22:39
タイトル:「荒野にて」シナイ山〜モアブの平地までの旅の記録。
人口調査が2度行われた:群衆を組織化してこれからの戦いにそなえる
テーマ: 神様の保証の内にいるという事を自覚させる。40年間の荒野生活が続いた後、その人々の中で約束の地に入れたのはヨシアとカレブだけ。

<天国にはいるための命の書>
1章〜10章10節:シナイ山にて
10章11節〜19章:シナイ山からカデシュ・バルネア
20章~36章:カデシュ・バルネアからモアブ平地

<他の分け方>
1章〜25章:約束の地には入れなかった旧世代
26章〜36章:約束の地に入れた新世代

<3つの山>
シナイ山:十戒
ホル山:アロンの死
ネボ山:モーゼの死

メリバの水:モーセの失敗(神様の権威の乱用)
二心をもつバラム: 5章にわたって書かれている。新約(黙示録、2ペテロ、ユダ) にも出てくる。

旧約はイエス キリストの光を照らしながら読むこと

<新約に引用されている旧約の個所>
ヘブル3: 信仰対不信仰
1コリント10:13、10:1~12 民数記の適応
ヨハネ3:16、3:14~15 民数記の適応

私達、信仰を持った後は荒野の生活と同じですが、何が起ころうとも神様の約束は変わらず、命の書に私達のなが書かれてあることを確信する。ユダヤ人が安息日に必ず読む御言葉=民数記 6:24~27
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民数記から見た霊の世界 (Ako)
2018-12-31 10:09:47
携挙についてまず語られましたが、キリスト者と自身を思い、信仰あると思っていたのに、軽挙されなかった・・・「あら??」という主人公の女の子。「携挙の信仰がなかったのね...」と、今までの私ならそう思っていたけれど、もっと深い大事なことを忘れてないかと思わされました。私たちの信仰は自分の思いや理想ではないこと。またイエス様の救いの真実、救われている者としてのアイデンティティ。

荒野の生活40年の中で、人工調査2回。400年間もの奴隷生活からの解放、失われた神の選民としてのアイデンディディの復活、イスラエルの民を統括していく40年。今を生きる私たちクリスチャンも同じように、霊的戦いの中で荒野生活であること、そこで神は私たちにあたふたしても、嘆いても、ぐずっても、うずらをくださり、マナを与え続けてくださった事。

私たちクリスチャンの人生は、荒野であっても、主の御手がいつもあり、主の救いの中にあることをはっきりと知りました。そして、この世で生かされている命が、わたしの理想ではなかったとしても、もしくは願いが叶わなかったとしても、それが人生の評価ではなく、神様の評価でもないこと。イスラエルの民ほぼ全員が(大人ではジョシュアとカレブだけ)約束の地へ入れなかった。しかし、モーセもアロンも神の国にいる事実。

神様のご計画は計り知れないほど大きく偉大である!と大きく励まされました。目に見える状況ではなく、神様が何と言われているのか、なぜイエス様が来られたのか、霊の世界を見せられました。感謝です。
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荒野にて祈る! (Chika)
2018-11-17 10:01:21
出エジプト記に引き続き、民数記を通してもまた、信仰を持ったクリスチャン達が、荒野の道で様々な敵からの攻撃に合いあたふたし、また神に従う者が逆らう者へと堕落していく姿を見させられます。これはとても他人事ではありません!私はどうか???私は神様を悲しませてはいないか???背いていないか???そんな問いでいつも自分自身の霊を見張っていないと、いつ敵からの誘惑に揺り動かされてもおかしくないと思わさせられました...

徹底して従う者は神からの祝福を受け、従わないものは祝福を受ける事が出来ない。この天国に入る前の荒野の過程で、何があっても、どんな誘惑に落とし入れられようが、神の保証(命の書)の内にいるのだという事を、いつも自覚しておくことの重要性を、この民数記が教えてくれている事が分かりました。

私たちクリスチャンは、聖書が描くイスラエルの民の姿を通して、いつもイエス様からのメッセージを受け取ることができる。1900年以上、未だに放浪を続けているユダヤ人は、今はイエス・キリストを受け入れられていない異端の状態にあるが、聖書には彼らが最終的に救われることが描かれている。毎週民数記6:24~27の御言葉を祈っている彼らのために祈りたいと思います!
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荒野にて・・ (Kimie)
2018-11-17 09:56:29
民数記は反抗の記録である。我々の姿を見る。
なぜ2回の人口調査が必要だったのか?組織化・軍隊化 : 我々も兵士として数えられていることを認識しよう!

信仰を持った後は荒野の道。まさに私の信仰生活そのもの。様々な敵にぶつかりあたふたしている。天国に入るまで何が起ころうと戦うー神の保証の内にいることを自覚しよう!新約に引用されているみ言葉 : 聖書はリンクして読むことが大事!

荒野の行程は3つの山で知る。
気になる話:堕落した預言者バラム事件とメリバの泉でのモーセの神の権威の誤用事件。

唯一 約束の地に入れたヨシュアとカレブ : その民族が後の南・北王国へと継承される。信仰を持ち続けているユダヤ人(6:24-27)

今まで単に暗記して祈っていたみ言葉に重みが増してきました。
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荒野の試み追記 (Takashi)
2017-11-18 17:33:05
人口調査が命の書につながっていること、旧世代のイスライルの民から、
新世代の民へ至り、旧世代の民のほとんどがカナンの地に入ることができなかった。
私たちクリスチャンも神の国に入るためには古い自分を脱ぎ捨てる必要があることを感じる。

新約聖書に引用されている旧約部分が重要であるという事、今後聖書通読するにあたりをすごく参考になる。
返信する
乗り越えられない試練は、与えない。 (奈都)
2017-11-18 17:26:43
神に従って生きようとすればする程
辛い事が有るのは事実です。
でもゴールは、確かだし
神様からは、応援して貰える。

キリストの言葉は、滅びる者には愚かだと
言われますが、正にそれ。

それから私の失敗談として。
この御言葉は、つい使い易くて
ノン・クリの人に言ってしまいました。
そしたら誤解を受けてしまいました。
やはり聖書は、ブツ切りで伝えては駄目で
その前後の文脈をきちんと理解して
咀嚼し、相手に一番理解しやすく
伝道すべきですね。
返信する
主の愛を再確認 (なつ)
2017-01-21 19:22:34
荒野を40年さすらい、挙句に出発した時
成人だった者は、ヨシュアとカレブしか約束の地に入れなかった。

今までは、彼等が救われたかどうか
はっきりと分からなかった。
だって、一々神とモーセに逆らって
荒野の真ん中で、肉が食べたいって……。
それエベレスト登頂に行って、寿司を出せと
言ってるのと同じかと。
言うに事書いて、エジプトで奴隷してた方が
マシだったって、酷い言い方ですね。

てもこれは、イスラエルの人ごとではなく
私も同じ事を、日々やっていてですね。
だから2回の人口調査は、命の書に名前を書き記す為と聞いたら、ホットしました。

ダメダメな奴でも、主は見捨てないんですね。
だから私も、転んでも転んでも
立ち上がって、ゴールを目指します。

あと出エジプトの行程は、シナイ山で十戒を
ホレプ山でアロンが天に召され
ネポ山でモーセが、天に召され
と覚えるのがコツ。

旧約を読んでも、イエス様に必ずつなげる。
それには新約で、引用されている箇所を
発見する事。

それから、北イスラエルと南ユダの先祖が
カレブ(ユダ族)
ヨシュア(エフライム族)
と、きちんとつながってますね。

以上、感想でした。
返信する
荒野の試み (Takashi)
2017-01-21 19:12:36
エジプトをでて、荒野を40年さまよい、神の試みを受けてカナンの地に行けた者は60万人中、ヨシュアとカレブの2人だけ、それだけ神の国の住人としてふさわしくなるということは人間にとってなんと難しいことなのだろう。

神は日々私たちを神の住人になるにふさわしいように試されている。しかし試練は与えるが乗り越えるための準備もしていてくれる。本当に感謝である。

あのモーセでさえ自我を捨てきれずに神に背いてしまった。結果カナンの地に入ることはできなかった。

私も民数記6章24節から27節の祈りを心にとめておき、命の書から外されないような信仰を持ち続けていきたい。
返信する
御言葉によって・・ (えんぢぇる)
2016-12-27 13:09:48
今回の礼拝レポートは、大分教会の伊東さんが担当してくださいました。今までの信仰キャリアが滲み出ていると言うか、日々の祈りの積み重ねが随所に感じられる、そんなアプリケーションでした。

私たちクリスチャンは日々、御言葉によって新しい者とされ、御言葉によって成長させられて行く。神の御国到来を仰ぎつつ。そんな感動に溢れたメッセージとアプリケーションでした。感謝
返信する
正しい選択 (渡邊由佳)
2016-10-31 11:15:46
この民数記まで、一貫して「正しい選択」と言う事の大切さを教えられている。 クリスチャンになってから、荒野の旅路を歩んでいる私達は、雲の柱や火の柱で行く先を神によって先導されているが、辛い旅路の中でそれに託けて誘惑してくるサタンの罠に常に晒されている。 岩と砂しかない荒野でサタンの甘い誘惑から顔を背けて、神に従って正しい選択をし続けると言うのは、恐ろしく難しい事だ。あの砕かれに砕かれたモーセですら、荒野の旅路でメリバの泉事件を起こしているのだから。こんな中で、神に祝福される選択をする為に私は、常に固く固く神に結びついていなくては、ほぼ不可能であると、改めて確認させられた。
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民数記に感動しました。 (Mu)
2016-09-18 15:18:08
GNSの師の教え:救いのない学びや集会はあり得ない。どんな聖書勉強会であっても、そこに救いがなければならない、どんな学びやメッセージもイエス様に結び付けなければならない!。。。しかし、もし私が「民数記」の学びを任されたとして、どうだろう?「民数記」って人口調査の話で、ただただ部族と氏族と人数が書かれているだけ、だよねぇ、と思った私は浅はかの極致でした。如何に聖書を読んでいないことか!民数記には、非常に深い意味を持つ事件がたくさん記されていました。特に、ヨハネ3:16が、民数記の青銅のヘビから繋がっていること、これは覚えておかなければなるまい!と大発見気分の他、多々「ハッ」と気付かされることを与えられたメッセージでした。ありがとうございます。さぁ、行くぞ申命記!

エジプトから救い出され、約束の地カナンへ出発する前に、「戦士」として備えられなければならなかった民。これは、今、終末時代を目の前にする私たちへの「霊の戦士」としてのメッセージです。絶えず祈り、いのちの書に記された神様の恵みの約束に感謝し、荒野の歩みを続けて行きます。霊の家族と共に。
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レポートありがとうございました! (Mimita)
2016-09-18 10:54:09
itouさん
レポートありがとうございます。
簡潔にまとまっていて、よく解りました
返信する
確信を持って! (Mimita)
2016-09-18 10:49:33
「命の書」に自分の名前が記されていることを日々確信して!
クリスチャンとして生活することを意識して!
神様から与えられた命(この世の時間)を生きていこうと
気持ちを新たにしました
感謝です♪
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ありがとうございました! (kent)
2016-09-16 21:55:07
アーメン!内容凄く良く分かりました!ありがとうございます!

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