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「これらが言葉である・・」30分de一巻 Vol-5

2016年09月17日 | Good News
申命記には「繰り返し命じる」と言う意味があります。出エジプトを経験した世代は、ヨシュアとカレブを残して既に死に絶えてしまいました。長い放浪生活の後、遂に約束の地、カナンに入る約1ヶ月前、新世代に向けてモーセが繰り返し、神様の御言葉を語ったのが本書の内容です。

エジプトからカナンの道のりは僅か約2週間なのに何故、40年間もかかってしまったのか?それは、イスラエルの民の神への不従順に他なりません。だからこそ、モーセは繰り返し、繰り返しイスラエルの民に向かって神様の御言葉を語ったのです。(それが本書の現代「これらが言葉である」)

そのモーセの教えによって、ユダヤ人は今でも律法を重視しています。しかし、クリスチャンは、律法を成就したイエス・キリストを信じることによって救われています。

さて、申命記の内容大きくは4つのパートに分けることができます。

1-11章:過去の経過
12-26章:律法の本質
27-30章:将来について
31-34章:世代交代(モーセからヨシュアへ)

申命記は新約聖書での引用が多い書巻です。マタイ4章1-11節で、イエス様が荒野で悪魔から誘惑を受けた時にも、申命記の御言葉によって、悪魔に打ち勝ちました。

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(8:3)と書いてある」(マタイ4:4)

イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』(6:16)と書いてある」と言われた。(マタイ4:7)

すると、イエスは言われた「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』(6:13)と書いてある」(マタイ4:10)

イエス様はここで「…と書いてある。」と、聖書の引用を強調されています。それは、御言葉の権威の明言であり、現在完了形で書かれているこの言葉は、現代にける御言葉の有効性を現しています。

2章7節に荒野での生活に対する神の憐れみが記されています。

「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この40年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった」

何一つ不足のなかった荒野での生活とは?29章4節に、更にこういった記載があります。
「わたしは40年の間、荒れ野であなたたちを導いたが、あなたたちのまとう着物は古びず、足に履いた靴もすり減らなかった」

これこそ神様の奇跡です!私たちの生活は荒野とは異なりますが、神様が共にいてくださり、私たちに必要なものを全て与えてくださっています。そのことを認めることが、現代にも神様の御言葉の有効性が現れていること、神様の奇跡が日々行なわれていることなのです

奇跡(神様の働き)を信じないで、イエス様の教えだけを守ろうとする人々は、律法家や宗教学者と同じです。

御言葉を日々の生活に適応する大切さ。そのことについて、クリスチャンとして、イスラエルの人々を見習うべき点があります。イスラエルの人々が日々、祈り、実践している御言葉が本書の中にあります。

6章4-9節「 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

この祈りは「シェマー(聞け)」の祈りと言われています。額に黒い箱(テフリン)をつけているイスラエルの人々がいます。この箱の中には、この6章4節が書かれた小さな巻物が入っています。

ところで、第二列王記にもこの御言葉が書かれています。22章8節に書かれている主の神殿で見つかった律法の書とは「申命記」です。そして、その時の王様がユダのヨシヤ王です。ヨシヤは申命記を読み、それを元に宗教改革を実践した王様です。

「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった」(2列王記23章25節)

4章24節:熱情の神
神様は、人間を本気で愛しておられます。私たちは、その愛に本気で応えるために神様が嫌われる偶像崇拝をしてはなりません。たとえば、夫が妻以外に、妻が夫以外に愛する人がいたら、家庭は成り立たなくなります。それと同じように地球にいる私たちが地球を創ってくださった神様を愛さなければ、地球が滅んでいくのと同じです。

(28章)私たちは主に従うのか?従わないのか?祝福か呪いか?生か死か?いつでも、神様から二者択一を迫られているのです。

31章6節:神様はいつも私たちと共におり、見捨てることをしません。
31章11節:だから、私たちは、主の御前に集まり、御言葉を聞く必要があります。
30章14節:そして、御言葉を心と口に携え、実践しましょう。

このように神様は、イスラエルの民と同様に私たちにも神様を選ぶように働かれています。

モーセ五書のまとめ
創世記:(神の民の)始まり
出エジプト記:(神の民の)成立
レビ記:(神の民の)聖別
民数記:(神の民の)訓練
申命記:(神の民の)自立  (Repot by Mimita)



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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心を尽くして (Mimita)
2016-09-18 10:59:42
「聖書の中で一番大切な御言葉を守っているイスラエルの人々への神様からの祝福」が、心に残りました。
日々の生活の中で、私も、申命記6章4-9節を実践します!
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Thank God!! (kent)
2016-09-22 06:50:12
Today's message reminded me of how the Lord is able to take care of me even in the midst of trials and circumstance when you feel like nothing is working out. When the Israelite were wandering in the desert for forty years, it's a miracle that there where enough food to eat and there clothes didn't weary off. I still struggle living in a new place but definitely know that the Lord is taking care of me and want to thank God for it.
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これが神の言葉! (Mu)
2016-09-22 15:18:50
モーゼ五書の締めくくり総決算第五巻、最後の律法書である申命記。これはモーゼの決別説教。80歳のモーセが、神様の命令でイスラエルの民を罪の場所から引き連れ出し、40年もの間、荒野で「神様に従う」ことを教え続け、しかし自分は約束の地へ入れないと知ったモーセが最後に、新世代に対して神の民として知っておくこととして繰り返し語った渾身のメッセージ。あなたが知らなければならない、守らなければならない神の言葉はこれだ!申命記のテーマは「これらが言葉である」。

イエス様が荒野の誘惑でサタンに立ち向かった言葉はすべて申命記からあり、新約にも引用が多く、厳かで立派な書というイメージはあったものの、内容として私の中に落ちていませんでした。それが「これが神様の言葉だ!」と語られました。イエス様は御言葉の権威をもって語ってくださいます。それは過去に書かれたことが今でも生きていることを教え、神様は今も生きて働いておられていることを繰り返し知らせてくださるため。モーセが血を吐く思いで語った申命記のように、聖書は神様が強く大きな愛を持って、私たちに神様を選ぶこと、共に生きることを語り続けてくださいます。あらためて神様の言葉、聖書をより深く学ぶ意欲を与えられました。
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申命記の感想 (伊東 孝文)
2016-09-29 23:54:54
「これらが言葉である」
律法書の集大成の書。

29:28 啓示されたことは、我々と我々の子孫のもとにとこしえに託されており、この律法の言葉をすべて行うことである。
30:19 生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得る様にし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。

「モーセ5書は、神がイスラエルを選んだことの始まりからの歴史である。 最後の申命記はその民が神を選ばさせるようにするための書である。」

さいごに先生が言われたことで初めて全体像が分かりました。 個々のものにとらわれ過ぎて、ジャングルの木々に埋もれていました。
ホント分かりやすく説明してくださり感謝します。

私達は、新しくならなければならないと思います。
それについて、第二コリント5:17~21を思い出します。
イエス様がおられるから、私達は救われています。

まだ与えられていなかった、旧約の民は、罪を犯したら神に許しの生贄を捧げなければなりませんでした。
私達は、イエス様に悔い改めをお捧げすればよいのです。 ごめんなさいと。 しかし、絶えずまた罪を犯します。 肉体人間はどこまでも矛盾しています。 ここでイエス様を主と仰ぎ一緒に生きていくことを求められています。 祝福と共に。
申命記29:4は今ここにあります。 生きておいでになる主がおられるからです。
全ての良きものはこの方から来ます。
この世界を造られたお方はこのお方です。
心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、私の神、主を愛します。


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祝福への選択 (渡邊由佳)
2016-11-07 06:45:22
モーセ五書の最後を締めくくるのは、モーセによる決別説教だ。 人生の最後に言い残した説教なのだから、当然内容も濃い。 しかし、やはりモーセ五書のテーマは揺るぎなかった。神を選ぶか、選ばないか。祝福を取るか、呪いを取るか。この二者択一は、簡単に思えてもかなり難しい。そこには、悪魔の誘惑もあるし、人間的な価値観や弱さが有るからだ。しかし、その中でも正しい選択をすれば、私達は祝福を受けられ、短時間で目的地にたどり着くことができる。そして、神の祝福を受けるための選択をする方法は、こんなにも細かく聖書に書かれているのだ。日々何かを選択する時は、ちょっと立ち止まって聖書の事を思い起こそうと、強く思った。
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放浪の意味 (Takashi)
2017-01-15 12:29:15
カナンの地まで2週間の道のりを
どうして40年かける必要があったのか

人間はいつも自分中心になってしまう
2週間では人間を神に向かせることはできない
40年かけることで
人間の自我がなくなり
心が神に向けられる
ダメな人間はふるい落とされる。

神は時間をかけて私たちを練り直し
神の子にふさわしいものとしてくださる。
このことを心に刻み歩んでいきたい。
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どっちが楽か (奈都)
2017-02-11 13:20:01
よく日本人は、宗教に寛容だから
無駄な争いも起こらなくて、良いわよね。
と言う言葉を耳にします。

私も以前はそう思ってました。
しかし本当に、そうでしょうか。
真の神を知り、聖書を読んでいる今は
そうは思わなくなりました。

本来、律法とは罪から人間を
解放するものだと思います。
〇〇をしては、いけない。ではなく
それをすると、あなたが痛いですよ。
と語られた、神の言葉だと思います。

なぜなら神は、私達をつくった方だから
私達より、人間を知り尽くしていらっしゃる
からです。

だからイエス様も、サタンの誘惑に対して
わざわざ神の御言葉を使って、返答しています。これはお手本ですね。
私達も、サタンの誘惑を受けた時
罪から逃れる為に、御言葉で祈るのが
一番良い対応でしょう。
それには普段から、聖書を読み馴れてなければ!
返信する
解釈から適応へ (えんぢぇる)
2017-02-27 08:29:48
Mimita:「シェマー・イスラエル!(6:49)」ユダヤ人が日々、唱えている信仰告白。実はこれがユダヤ人達が優秀であり得ている具体的な理由です。

Kent: Hallelujah!!

Mu:「モーセが血を吐く思いで語った申命記」魂から出た言葉。自分の中で御言葉がこの様に捉えられた時に、御言葉はロゴスからレーマへと変わります。

考文:“「律法」から「福音」へ”ここが救われた者として、また伝道者として、最も必要とされる理解です!(「許し」ではなく「赦し」ここはよく転換し間違える文字なので要注意)

由佳:「祝福か?呪いか?」これは、道徳上の問題ではなく、霊の見分けの問題です。霊の世界においては、光か闇かのそのどちらかであって、グレーゾーンはありません。「光は闇の中で輝いているが、闇は光を理解しなかった(ヨハネ1:5)」これが世の中の現実です。ですが、イエス様はあなたの事を何と言っておられるでしょう?「この曲がった時代で、あなたは光の様に輝く、命の言葉をしっかり保つでしょう(ピリピ2:15-16)」・・こう言われちゃってるんですから、イエス様と共にいるしかないですよね。

考至:「2週間ではダメ、40年かけてやっと神に心を向けられ、それでもダメだった者は振るい落とされる」確かにそれが律法の世界です。それじゃぁ誰も救われないという事が分かったので、神は宣教という愚かな方法によって、人を救おうとお考えになったのです。

奈都:(考至さんの続き・・)「だから、人間にとって“どっちが楽か?”」と言う、非常に重要なポイントに持って行ってくれているのですが、この文面だけでは、「律法が人間を解放する」という誤解を与えてしまいます。

先ず、「人間のための律法が、律法のための人間になってしまった」この点が、2千年間のユダヤ社会における問題であったことはお分かりですね?問題はその次の段階です。それで結局、律法では人間は救われない事が分かった。だから、イエス様が十字架にかかって下さり、律法違反の罰を代わりに受けてくださった。だから、私たちは罪から解放された。

もし、人が613の律法を完璧に守ることが出来たら、解放されるかも知れない。だけどそれは、「善きサマリア人の喩え」にある様に、限りなく不可能である事が分かった。それで、「私を取るか、律法を取るか「どちが楽か?」(直接イエス様はこうは言っていませんが、要はそういう事)という所まで持って行って欲しいのです。

「律法」から「福音」へ。この転換が、福音理解における重要なポイントです。ここを間違えると、2千年前に逆戻りという事になってしまうので、注意してください。この部分で不明瞭な点があったら、次回、東京集会の時に、質問してください。
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申命記は聖書全体の凝縮 (伊東孝文)
2017-04-24 08:07:44
☆聖書全体が凝縮されているものと見えます。

6章4-9節:「我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」この御言葉に尽きると思いました。

29章28節:「 隠されている事柄は、我らの神、主のもとにある。しかし、啓示されたことは、我々と我々の子孫のもとにとこしえに託されており、この律法の言葉をすべて行うことである」は、

コロサイ3章3節:「あなた方は死んだのであって、あなた方の命は、キリストと共に神の内に隠されているのです」とも重なって見えます。

30章14-15節:「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」

30章19節:「 わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く」

が、すべてを語っていると思います。先生が言われるように、民に神を選ばさせています。私達キリスト者は、主であるイエス様を選びお迎えし、従って行く者であることを認識できたことを感謝します。

「神は生きている者の神である」と、イエス様はおっしゃられました。まことに、神と共にこの世を歩む事が全てと思いました。

講解、ありがとうございます。
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生きた交わり (えんぢぇる)
2017-04-24 15:34:09
メッセージのアプリケーションをしてくださる事は、実は、私のためでもあります。

今日、全く違う方から、全く違う場面で、コロサイ3章3節についての証しを伺いました。

これが私への語りかけであることは言うまでもなく、これこそ、主との生きた交わりなのです。

皆さんに感謝します!
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