30分de一巻では、イスラエルに立てられた王に焦点を当てて、そこに神様がどう働かれたのかという視点から話して来たが、南北合計42人の王の中で、サウル、ダビデ、ソロモン、ヨシアともう一人、取り上げるとしたら誰だろうか??
ユダヤ歴史において名君と誉れ高い王がもう一人いる。この王の時に南王国は大きな危機的状況の中にあった。その危機とは、北王国を滅ぼしたアッシリアが、南王国まで下って来て、エルサレムを包囲したのである。この絶体絶命のピンチからユダ王国を守ったのが、ヒゼキア(神は我が力)という王である。
彼に関する記録は、列王記、歴代誌以外にも、イザヤ書で4章にわたって記されている。また、ヒゼキヤの名前は、「箴言」にも登場する。箴言25章から29章迄の5章は、ヒゼキヤが国を治めるための教科書として、書記官に命じてソロモンの言葉を再編集させたものである。
ヒゼキアが優れていた点は、イスラエル民族の精神(内面)的改革と、のど元まで迫って来ている敵国の魔の手から国を守った具体(外面)的改革の両方を実践した事である。彼の「国家再建」テーマが、この後に登場するエズラ・ネヘミヤへと受け継がれて行く。彼は非常に優れたリーダーシップと信仰を持った人物であったが、ダビデやソロモンと同様、人間的な弱さも持っていた。
彼が犯した失敗は、アッシリヤの脅威に対して、神殿の財宝や、門や柱に付いていた金を剥がしてまで、金銀財宝を貢いで国を守ろうとしたことである。しかし、国を守ることが出来たのは、金銀財宝ではなく、神による奇跡であったにも係らず、ヒゼキアは晩年にまた同じ失敗を繰り返してしまう。
それは、ヒゼキアが病の床にあった時、バビロンからの使者が遠路はるばる贈物を持って見舞いに遣って来た時(それは明らかな政治工作だったにも係らず)、無防備にもヒゼキアは、バビロンの使者達に神殿の宝物や武器までも全部見せてしまったのである。
神がヒゼキヤに病を与えられたのは、より頼むべきは、金銀財宝ではなく、神なのだということを彼に教えるためだった。そして、ヒゼキアの病を癒し、寿命を延ばされたのは、イスラエルを救うためであった。このヒゼキアの生涯から私達は何を学ぶ事が出来るだろうか?
礼拝中心の生活 彼の改革の中心は、国力や税制の見直しではなく、礼拝の見直しだった。それが結果的に、のど元まで迫って来ているアッシリアの魔の手から国を守ることが出来た原因。イスラエル民族の内面的改革と、敵国から国を守った外面的改革。このイスラエルの「国家再建」テーマをヒゼキアは実践した。
人事を尽くして天命を祈る 彼がアッシリアの攻撃に備えて水路をつくったように、自分達の能力で出来る事は、力を尽くしてしたからこそ、神への祈りは強固なものとなる。
ヒゼキアの改革の後に訪れたのは平和ではなく、アッシリアの攻撃だった。病の床で、継承者の育成や、バビロンへの対応を神に問われた等々、ヒゼキアは繰り返し、神に試された人物であった。私達Cの究極的目的は神の御国到来。神の器は、その為に徹底的に練られる。しかし、それも長い目(永遠の観点)で見たら、感謝なこと。
私達は、終末時代を生きる最後のクリスチャンとして、神の御国建設成就に向かって、あらゆる困難も最終的には祝福に繋がっていくんだという信仰に立ちつつ、今年2017年も、主にあって乗り切って行こう
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ユダヤ歴史において名君と誉れ高い王がもう一人いる。この王の時に南王国は大きな危機的状況の中にあった。その危機とは、北王国を滅ぼしたアッシリアが、南王国まで下って来て、エルサレムを包囲したのである。この絶体絶命のピンチからユダ王国を守ったのが、ヒゼキア(神は我が力)という王である。
彼に関する記録は、列王記、歴代誌以外にも、イザヤ書で4章にわたって記されている。また、ヒゼキヤの名前は、「箴言」にも登場する。箴言25章から29章迄の5章は、ヒゼキヤが国を治めるための教科書として、書記官に命じてソロモンの言葉を再編集させたものである。
ヒゼキアが優れていた点は、イスラエル民族の精神(内面)的改革と、のど元まで迫って来ている敵国の魔の手から国を守った具体(外面)的改革の両方を実践した事である。彼の「国家再建」テーマが、この後に登場するエズラ・ネヘミヤへと受け継がれて行く。彼は非常に優れたリーダーシップと信仰を持った人物であったが、ダビデやソロモンと同様、人間的な弱さも持っていた。
彼が犯した失敗は、アッシリヤの脅威に対して、神殿の財宝や、門や柱に付いていた金を剥がしてまで、金銀財宝を貢いで国を守ろうとしたことである。しかし、国を守ることが出来たのは、金銀財宝ではなく、神による奇跡であったにも係らず、ヒゼキアは晩年にまた同じ失敗を繰り返してしまう。
それは、ヒゼキアが病の床にあった時、バビロンからの使者が遠路はるばる贈物を持って見舞いに遣って来た時(それは明らかな政治工作だったにも係らず)、無防備にもヒゼキアは、バビロンの使者達に神殿の宝物や武器までも全部見せてしまったのである。
神がヒゼキヤに病を与えられたのは、より頼むべきは、金銀財宝ではなく、神なのだということを彼に教えるためだった。そして、ヒゼキアの病を癒し、寿命を延ばされたのは、イスラエルを救うためであった。このヒゼキアの生涯から私達は何を学ぶ事が出来るだろうか?
礼拝中心の生活 彼の改革の中心は、国力や税制の見直しではなく、礼拝の見直しだった。それが結果的に、のど元まで迫って来ているアッシリアの魔の手から国を守ることが出来た原因。イスラエル民族の内面的改革と、敵国から国を守った外面的改革。このイスラエルの「国家再建」テーマをヒゼキアは実践した。
人事を尽くして天命を祈る 彼がアッシリアの攻撃に備えて水路をつくったように、自分達の能力で出来る事は、力を尽くしてしたからこそ、神への祈りは強固なものとなる。
ヒゼキアの改革の後に訪れたのは平和ではなく、アッシリアの攻撃だった。病の床で、継承者の育成や、バビロンへの対応を神に問われた等々、ヒゼキアは繰り返し、神に試された人物であった。私達Cの究極的目的は神の御国到来。神の器は、その為に徹底的に練られる。しかし、それも長い目(永遠の観点)で見たら、感謝なこと。
私達は、終末時代を生きる最後のクリスチャンとして、神の御国建設成就に向かって、あらゆる困難も最終的には祝福に繋がっていくんだという信仰に立ちつつ、今年2017年も、主にあって乗り切って行こう
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自分の人生を振り返って、僕も沢山の失敗を繰り返して来ました。そしてこれからも色々と失敗は来ると思います。でも、今年になって自分が一番変えたいと願っているのは「祈り」です。全てを行う前と後には、絶対に「祈り」を大切にし、自分の力を尽くしたいと思います。それによって祈りが強められ、強力な力となると思いました。
日々祈り、神を見上げなければすぐに間違いを犯してしまう。
ついつい自分があたかも優秀であるかのように錯覚してしまい神をないがしろにしてしまう。
日々の生活の中で、常にへりくだり、神にすがる(祈る)ことをしていかないといけないと感じた。
年末年始、霊の家族と共に礼拝でき、心の憩いの時を持ち、そしてアメリカに戻って2017年のロサンゼルス礼拝を開始した私への励ましの言葉でした。
と同時に、ヒゼキヤの失敗を通して教えられた「(信仰の)継承」もまた、今年の礼拝の重要なキーワードに思っています。
礼拝を通して「生きる」ことを伝える。その内面的・外面的改革のために、今できることに全力を尽くし、祈りつつ「真の礼拝の回復」を目指します!ロサンゼルス礼拝のためにお祈りください。
彼が、神から死の宣告を受けたのは真剣に今後の事、神を信仰する王の継承者を決める為だったのに、よりによってマナセって………。なんでイザヤさんに、相談しなかったのだろう。ヒゼキアさん、賢い人なのに。。
アッシリアとの戦いで、兵糧攻め対策としてギホンの泉からトンネルを掘り、その最終地点がシロアムの池だったとは!?今は御国にいらっしゃるT先生が思いっきり大きな声で、「祭りの終わりの大事な日に、人もし渇かば我に来て飲め!」とメッセージされて、忘れられない御言葉の一つになっております。
アッシリアとの戦いで、ヒゼキア王が地下道を掘り、終着点がシロアムの池。こうやって、聖書を解説して頂くと「うわあ!」って感動と納得が押し寄せます。特に今回のメッセージは、血湧き肉躍る感じでワクワクしながら聞きました。“啓介メッセージに、居眠り無し!!”
「時が良くても悪くても、一歩を踏み出せと」色んな所からメッセージが来ています。歴代誌下の感想を記してみます。
田中先生の言われる祭司の視点と言う目線で見ると、良く分かります。ヒゼキヤを中心にメッセージが語られていました。言われる通り、ダビデ、ソロモンに次ぐ人であると思います。この事に気付かせて頂き感謝です。
このヒゼキヤほどもある人が此の世的になるとは・・。いつも、イエス様と共に歩く心持が大切と思わされます。それにしても、どうしてマナセのような子供がヒゼキヤから出たのでしょう? 言われるように後ぐ者が大切だとの認識が薄かったのでしようか?
私達の世界は、空中を支配する者の手の中に有ると思います。特にお金に関しての事は良く見なければいけない事と今年になり気づきました。新しい仕事へ移る事で、収入が減ってしまい、引越し等で出費がかさみ出来ずにいます。
しかし、ここでへブル10章38節の御言葉に完全に立てれば、不思議が起こるとも思いました。そこまでの信仰がまだない自分に気付きます。此の世的に処理をしています。今月の終わり頃にはまとめて献金が出来ると踏んでいますが、信仰的には落第生です。
しかし、このダメな私に合わせて神様は恵みを与えて下さいました。夜寝れる環境と住む所です。感謝です。智慧を働かせれば聖書を読む時間が取れる環境です。昼型となってきました。聖書通読を始めます。
ヒゼキヤは第二列王記20章14~19節を見ると、民の上に立つものとして、神様からの恵みを自分のものとした事と、自分さえ良ければと思っていた事が分かりました。おそらく、即位した時から心の奥底にこの事が流れていたと見えます。今、聖霊様を頂き、気付かせて頂ける私達は、何と幸せな事でしょう!イエス様に目を向けて離さないことが幸せの元だと思います。
力強い主に感謝します。田中先生の労に感謝します。次のエズラ記をお送りくださいませ。イエス様が高く崇められますように。
イスラエルの民の内面的改革(神への礼拝回復)と、外面的な改革(水路建築)を行う事で、
強大なアッシリア軍を神の助けにより撃退し、イスラエルの国を救った。
そのヒゼキヤも神に全面的にゆだねることが出来ず、金銀財宝による、この世の者(物)による自国の安全を考え、失敗。
更に後継者育成にも失敗し最終的にバビロン捕囚につながった。
今まで神に良しとされてきた者でも、ことごとく失敗してきていることを考えると、
我々が神に良しとされることの難しさを感じる。
しかし、神に用いられる者でも、日々神に練られていることを知ると、日々祈りの中で、神から離れることなく歩み続けなくてはいけないと感じる。
又、後継者育成も重要であることも気に留め、歩んでいく必要性も感じた。
継承は王様だけじゃなく、ド庶民の我々でも
本当に難しい問題です。
子供にどうやって信仰を継承させるか
礼拝を形骸化させない為には?
時として、余りの○×さ加減に
神様から徹底的に、試練を受けなさいよ。
などと思ってしまいます。
でもやっぱり可愛い我が子に、なるべく
辛い思いはさせたくないと
ジレンマに陥ります。
でもダビデが、過ちを犯した時
人の剣にかかるより、神に打たれようと
言った言葉。
これにつきますね。
たとえ子供が、何かやらかしても
神に打たれ、神に帰って欲しいです。
【メッセージの感想】
ヒゼキア王からマナセ・・・。
自分も含めて、人間は余りに愚かですね。
神に従えば栄え、逆らえば滅びる。
こんな単純明快な事が、
しかも遠い昔の話では無く、父親の代で
様々な奇跡を起こして下さり、国を救って下さったのを見てたでしょっ?!(怒)
と言いたいけど、私もマナセ君と
大差ない部分があるからな。
神様は神様だから、1度交わした約束は
絶対に違えない方なのです。
アブラハムと契約を結ぶ時、神はアブラハムを眠らせて生贄の周囲を、お1人で回られました。
だから契約を破っても、アブラハムは
裁かれない。
物凄い愛ですよね。
なんで他の偶像を選ぶのかな。
国の存亡が、かかっているのに。
霊の目が塞がれて、サタンの力が魅力的に
圧倒的に見えるんでしょうね。
でもどうせ命をかけるなら、良く分からない起源の神もどきでは無く、真の神に全てをかけて
生きて行きたい。
幻の無い民は滅びる。
この御言葉が、年末からずっと私の中で
小さな火を灯しています。
ある人に、伝えなさいといわれていますが
このメッセージを聞いて、確信しました。
私達は神に祈り、神により頼んで生きていきますが、自分でやれる事はやらなきゃ駄目。
ちゃんと目標をクリアにして
そこに到達する為の作戦を立て
小さな石から乗り越える訓練を始めて
具体的な数字も出して。
そして神と共に、この世の戦いを戦い抜かねば!
ヒゼキア王の様に。
メッセンジャーが、よく言われるように
ピンチはチャンス!
そう信じて我が家の戦いを、戦ってみます。
神の言葉は生きていて、ちからがあり
両刃の剣より鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心の色々な考えや
はかりごとを判別する事が、出来ます。
ヘブライ人への手紙4章12節