アブラハム は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15章6節)
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会社に書き置きしておこうかと真剣に悩んだ時期がありました。この毒麦は麦と根が同じなら、同じクリスチャンだと言うことです。終末時代が、まさかこんなに早く来るとは思いませんでしたが、御言葉を聖霊の導きによって読んでいきたいと思います。
信仰の対象が違うと言うことはもう、話にならないというか、もう勝手にしてくださいということです。仏像やお経がそんなに拝みたいなら勝手にしろ❗️と私も言いたい。
私はイエス様を信じていますから、これからもきちんと線引きをしていきたいと思います。聖書の神様は、人間が作った神様ではありません。イエス様を受け入れるためには、聖霊による悔い改めが必要です。なので偶像にはまってしまっている人達にはそれは不可能なのです。
日本人は本当に仏教系の新興宗教にはまりやすい。サタンに抱え込稀てしまっていますから、彼らは酷い目にあうでしょう。なんかモヤモヤしてた思考がはっきりしました。amen、hallelujah!!
しかし、振り返ってみると、自分に愛がないこと、親切心もないことを改めて実感させられた5月でした。
確かにこの世のクリスチャン以外の人々は、神様との関係を自ら持とうとせず、もしくは、偶像を信じていることを自ら選択しているのですが、私たちクリスチャンが周りの人々を愛していたら、やはり、本当の愛=イエス様の十字架と復活を伝えたいと願い、行動するはずです。
しかし、現実は、クリスチャンでさえ自己中心的になってしまい、「私は、私。あなたは、あなた」と福音を伝えることに躊躇してしまっていることを私自身、悔い改めなければなりません。
私は、周りの人をクリスチャンにすることはできませんが、神様の素晴らしさ、先週のメッセージにあったように「福音はお得」と伝えていこうと決断したのですから、愛をもって行動できるように神様から勇気を与えていただけるよう願い求めていきます。
今年、神様からいただいた御言葉は、
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。
隣人を自分のように愛しなさい。」(マルコによる福音書 12章29-31)
ですが、もうすぐ、1年も半分過ぎようとしているのに日々の生活の中で、実践できていない自分を思い知らされています。しかし、日々、成長させてくださる神様を信頼し、弱いところに働かれる神様の力を受け、諦めずに隣人を自分のように愛していこうと気持ちを新たにしていただきました。
感謝です
「…あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば…」(ペトロの手紙I 3章15-16節)
後半、なんでイエスでなければダメなのかという問いがヤフー知恵袋にあり、そこから3通りの例を聞きました。この質問は頭の理解ではダメで、霊で理解するほかはない、その通りですね。
いつも思うことですが、人間が人間を創ったのでしょうか。その場合、設計図は誰が描いたのでしょうか。私は、人間、その命、こればかりは神の作品でしかありえないと考えます。その人間が罪を犯したとき、人間が人間を赦すのでしょうか。同じ罪びとが他を裁くのでしょうか。麦と毒麦を選別するのは神の役目です。
私たちの救いのための福音、Good Newsは神様側から人間に下された方法と習いました。私たちはそれを信ずるだけなのです。なんと簡単なことか。しかもその有効性は私たちの信仰にあるのでなく、信仰の対象である神の側にあると言います。
ローマ書3:22 even the righteousness of God, through the faith in Jesus Christ, to all and all who believe.
もう一つ浮かぶのは讃美歌に歌われている哀歌3:22、23 The steadfast love of the Lord never ceases. His mercies never come to an end. They are new every morning. Great is Thy faithfulness, oh Lord.
ローマ書には、イエスキリストの父への信仰が、哀歌には偉大なるは父の信仰と謳われています。みことばが、あちこちに飛び交い、結ばれ響き合っているメッセージでした。