イエスと共に生活し、イエスの言動や奇跡を目の当たりで見ていながら、十字架の意味も分からず、復活も信じる事も出来ず、イエスが処刑された後、部屋に鍵をかけ、震えながら祈っていた弟子達が、殉教をも厭わない信仰の勇者へと変えられた。その画期的転換のきっかけとなったのが、使徒の最初に記されている聖霊降誕である。
しかし、その前に何故かあまり取り上げられていない重要な出来事があった。それは、イエスが復活されて昇天されるまでの40日間である。何故、イエスは40日間地上に留まられる必要があったのか?その間、イエスは何をしておられたのか?
ルカのエマオの途上の箇所を見てみると、「モーセと全ての預言者から始めて、聖書全体に渡り、ご自身について書かれている事を説明された(24:27)」とある。つまり、弟子達は復活されたイエスから直々、聖書についてまた一から教えられたのである。
確かに、受霊した彼らは殉教などは全く恐れてはいない。しかし、その言動は未だ律法的な部分が多々残っていた。つまり、聖霊の働きの中で、最も時間がかかる作業が、福音に対する正しい理解なのである。(メッセージより抜粋)
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しかし、その前に何故かあまり取り上げられていない重要な出来事があった。それは、イエスが復活されて昇天されるまでの40日間である。何故、イエスは40日間地上に留まられる必要があったのか?その間、イエスは何をしておられたのか?
ルカのエマオの途上の箇所を見てみると、「モーセと全ての預言者から始めて、聖書全体に渡り、ご自身について書かれている事を説明された(24:27)」とある。つまり、弟子達は復活されたイエスから直々、聖書についてまた一から教えられたのである。
確かに、受霊した彼らは殉教などは全く恐れてはいない。しかし、その言動は未だ律法的な部分が多々残っていた。つまり、聖霊の働きの中で、最も時間がかかる作業が、福音に対する正しい理解なのである。(メッセージより抜粋)
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使徒言行録に書かれている出来事は、AD30-60年までの聖書の中では、比較的、短い期間に起こったことです。
しかし、福音がエルサレムから全世界に広がっていく様子とそれに反する勢力との攻防がドラマチックに展開されていきます。
「使徒言行録」と言うと、先ず、思い浮かぶのが、五旬節の聖霊降誕「ペンテコステ」ですが、イエス様が、復活してから天に上げられるまでの40日間にも重要な意味があります。
この40日間が弟子から使徒になる「使徒訓練」の時であり、その集大成がペンテコステ!
「使徒」とは、「遣わされた者」と言う意味があり、「イエス様から直接選ばれ、教えを受け、任命、遣わされた者であり、遣わした者と同じ権威を持つ」者です。
(当時、パウロさんが使徒か、使徒じゃないか、と言う論争は、ここから来るのですね…)
使徒言行録は、イスラエルの国から全世界(当時は、ローマ帝国の支配下にあった地域)に舞台が広がり、鎖国をしていた江戸時代を勉強していたのに、ある時を境に開国して、いろんな国と条約を結び始めちゃった明治維新に突入した日本史のような感覚に近いですが、地域別、人物別に使徒言行録を読むと読みやすいです。
地域別
1-5章:エルサレム
6-9章:ユダ、サマリヤ地域
10章以降:全世界に展開
人物別
1-13章:ペトロが中心
13-28章:パウロが中心
救われると、人生が変わります。
すぐに変わる人もいますが、
ゆっくり変わる人もいます。
でも、救われる前と変わらないと感じているならば、変わったことに気づいていないか、
方向転換がされていないか?
イエス様にしっかり方向転換しましょう♪
見事なざっくり!に真面目に笑ってしまいました。現在進行形の使徒言行録。聖霊行伝とも言えるこの書簡。福音宣教のために人を用いられる神様、宣教に遣わされた使徒たちの歴史。私たちはこの神様のご計画の中で、宣教のバトンを受け継いでいるのだと言う事を改めて思いました。
召された地域での宣教の働き、主に召された役割、主の召しに従う使徒、極悪人(アグリッパ2世)にさえ、救い主を証しする宣教者・パウロ、クリスチャン(キリストバカ)と人々からバカにされた使徒達。主に従っても迫害のまた迫害の連続・・それでも主に従い続ける信仰者。彼らの姿は丁寧に、そしてしっかりと私の大事なところにタッチされました。(ざっくりなのに、ざっくりじゃなかった!!)
イエス様復活後の”イエス様直々の40日間特別集中セミナー” に参加したい〜〜!と思いましたが、実は今が、”聖霊様による毎日集中セミナー中”であることに気がつき、にんまり😊
さて、今日の一番!
アグリッパ2世に最後の救いのチャンスを、あの天才パウロ先生を遣わして与えていた神様の凄さ、大きさ、愛に震えました。 感謝です。
PS -- 先生がご自分のセージをよく覚えていない人も多いと思うが・・というくだりで。
でもでも先生、10年前のメッセージでも、あのメッセージで私の心が定まったこと、私の死生観がはっきりしたこと、あのメッセージで立ち上がれたこと、父が救われたこと、数えればきりがないほど私にとっての「あのメッセージ」がいっぱいあります。
イエス様と共に歩んだ十字架前の学びと経験、そして十字架があり、40日間の学びがあり、そこに聖霊が降って使徒となった。やはり、どんな事にも過程があって結果があるのだなぁと思った。 私も最後の時に神様の使徒として働く為にも、今はしっかりと学び蓄えておきたい!
迫害が同時に書かれ、教会形成の基本も書かれている。
復活したイエス様が40日間地上に残り、
弟子を再教育し、今まで隠れて脅えていた弟子が
殉教をも恐れない使途となった。
更に、教会に必要な事はバイブルクラス、交わり、パンさき、祈りにある事や
証の手順等今でも適応できる箇所が多くあることも分かった。
また、パウロがアグリッパ王にさえ悔い改めの機会を与えるため伝導していたことが初めてわかり
聖書の奥深い部分を知った。
「2:42」の働きの事、これだけですね。これ以外は不要と改めて思わされました。これが実際の原動力ですね。生きた主と共に、の生活ですね。須藤兄にお伝えしておきます。
「4:12、16:31」イエスを信ずる、これしかないのですね。簡単な事、でも難しい事ですね。メタノイア、ですね。視点を変えてみるというか。振り向いて見て、感じて、そして信ずるほかないと言う事実でしょうね。そして、今までの自分を悔い改める事なのでしょうね。改め続ける、・・、時間がかかることですね。
暫時的聖めですね。私の場合は一度ではすみません、改め続けなくてはダメです。未だ肉を着ています、そしてこの世に生きています。よって、聖書のいう聖めは私は絶望的です。イエス様によって、やっとクリスチャンです。ヨハネ21章にある通りイエス様に従うほかありません。しかし、言われることを守りません。
「時が良くても悪くても、福音を宣べ伝えなさい。」と言われたことを実行するしかありません。その時、聖霊様が働かれてその時、その所で、力が与えられますように。
特によく味わいたい(実際と言う視点で)書簡です。
「28:30」は色んな意味が含まれていると思わされました。それは、現在進行形であるのですね。
あまねくイエス様を信じますように。
前回より、広く詳しく語られていると思いました。
やはりメタノイアが大切で、そのあとにその理解がさせられると思いました。(16:31〜)福音は伝える者が必要で、その初穂は12使徒なのでしょうか。大切なのはバイブル・クラス、交わり、パン裂き、そして祈りだけなのですね。他はその上の事ですね。 教会の行事、教会条例、教団(神学上の立場)等々長く教会生活をしていたらいつの間にかこの事が信仰と思ってしまう罠にはまると思わされています。実際の生活そのものがイエス様の中にある実感が大切なのですね。
イエス様を信じ共に生活する(LIFE)なのですね。
主に従います。40日間のイエス様の集中セミナーという視点で見ていきたいと思いました。
特に26章では、クリスチャンのお証しはとても大切で力あるものと思いました。自分を証しするのでなく、イエス様が自分にどの様にお働きになったかを表明する。その事はとても大切ですね。
田中先生のお陰で聖書が立体的に生きて見えるようになりましした。 感謝!!
イエス様をなお身近に感じ永久に歩いて行きたいと思います。聖霊様助けて下さいませ。
イエス様の愛が世界にあふれますように。
イエス様の正義が満ちますように。