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共感力

2015年10月02日 | Good News
人が誰かに自分のことを話しかけるのは、共感して欲しいから。特に相談事の場合、多くの場合、その人が求めているのは、「答え」ではなく、「共感」なのだ。相手に「共感」している姿勢を示さないまま、「これはこうして、ああしなきゃ!」と、いきなり解決方法をアドバイスしても、当然相手は満足しない。話し相手は答えや感想を求める前に、共感を求めているのだ。

夫婦円満の秘訣は、相手の話に「分かるなぁ~」と共感しながら聴くということ。但し、相手の悩みが深く事が深刻な時にこれと同じ対応をしてしまうと、「何が分かるのよ!」と反発されてしまうだろう。良き聞き手となるには、共感性が前提となるが、話しを聞いて、相手の気持ちを感じ取ることができたとしても、相手と同じ体験をしていない限り、安易に「あなたの気持ちはわかります」とは言えないし、また、たとえ自分が相手と同じ体験をしたとしても、その人と同じように感じ受け取るかどうかは判らない。

「私にも分かります」というのは自分側の意見であって、ここで大切なことは、自分がどうのではなく、ただ相手の気持ちに寄り添い、親身になって話を聞くこと。もし相手が「辛いんです」と言ったら、「その気持ち、判ります」ではなく、「辛いんですね…」と、ただ相手の言葉を繰り返す。私たちは自分の意見や感想を言う前に先ず、相手の話しを親身になって聞くことである。



同じ人が同じ話しをしていても、それを聞く側が、全く異なる理解をすることがある。例えばある人が、「会社の同僚が、上司じゃなくて、自分にばかり相談して来るんで困ってるんです」と言ったとすると、その意図は二通り考えられる。「自分は同僚から頼りにされている・信頼されている」という事を言いたい場合と、文字通り、「本当に困っている」場合がある。

前者の場合、聞き手が「それだったら上司の人に相談したら」と言う、また、その人が本当に困っているのに、「この人自慢している」では、話しにならない。つまり、相手が本当に励ましやアドバイスを必要としているのか?単に共感して欲しいのか?相手が言ってることを額面通り受けて、不適切な事を言ってしまうと、相手を慰めたつもりが、嫌われてしまうという事が、世の中には多々ある。

世の中には、自分とはいろいろな面で違っている人がいるんだという自覚。そうした自覚の上で、「自分がして欲しいと思うことは、もしかしたら相手がして欲しいと思っている事とは違うかも知れない」と、相手の立場からものを見て、考えるように務める。それが、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもてあげなさい」という、イエス・キリストが私たちに望んでおられることなのである。 



「この人だったら話を聞いてくれる」、「この人には何でも話せる」、「この人の前だと何だが安心する」と、感じてもらえる関係が築くことが出来たら、悩める多くの人達をサポートできる存在になれ、互いに良い関係の中で日常生活がおくれるのではないか。世の中が混沌・殺伐化しているだけ、このような関係が家の教会のベースに求められている。

言葉にしていなくても、何となく心と心が通じ合い、互いに共感し合える関係。「この人は今、こういう気持ちでいるだだろうなぁ」と、なんとなく伝わってくる。大切なことは、私たちが相手の気持ちにどう共感するかということではなく、相手から「この人になら話せる」、「この人だったら信頼できる」と感じてもらえること。これが私たちが求める共感力である。

共感というのは私のことではなく、相手のことなのだ。パウロが言ったように、「受けるより与える方が幸いである」と言われたイエスの言葉を、いつも思い出して、それを実践することに務める。これは宗教でも何でもない、誰にも適応出来る普遍的な真理。だからこそ教会という存在は、人々に必要とされ、喜ばれ、自然に成長してものなのである。ハレルヤ
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