○馮小剛(フォン・シャオガン)監督『唐山大地震』(土浦セントラルシネマ)
見たかった映画をようやく見ることができた。映画は、1976年、中国河北省唐山市で起きた大地震を題材に、ある家族の別れと再会(再生)を描く。2008年の四川大地震もエピソードに取り入れられている。中国では2010年に公開され、興行収入が歴代1位となるヒットを記録した。翌年、日本でも封切られるはずだったが、2011年3月11日、東日本大震災の発生。ああ、これは当分公開延期になっても仕方ないなと感じた。
驚いたのは、まさに当日、天井の崩落で死者を出した九段会館では、この映画の試写会が行われる予定だったという事実だ。このことに触れた報道は少なかったし、私もずいぶん後になって知った。たぶん「エキサイトレビュー」のとみさわ昭仁氏の記事(2011/3/16)を読んで知ったのではないかと思う。それから4年間、ぜったいこの映画は見なければならないと思い続けてきた。
この春、ようやく念願がかなった。主人公は、1976年の中国に暮らす四人家族。方大強(ファン・ダーチアン)と李元妮(リー・ユェンニー)の若夫婦には、姉の登(ドン)と弟の達(ダー)という幼い双子がいた。7月28日、一帯を襲った大地震によって、家族の幸福は引き裂かれてしまう。妻をかばって命を落とした夫。瓦礫の下に埋まった姉弟のどちらかしか助けられないと迫られて「弟」を選んだ母。命は助かったが、片腕を失った達(ダー)。死体置場で息を吹き返したものの、母や弟とはぐれ、新しい養父母に引き取られることになった登(ドン)。
大地震のスペクタクルな映像はよく出来ている。命を根こそぎ薙ぎ倒す、容赦のない暴力的な描写だ。これは確かに東日本大震災をリアルに経験した直後に観るのはつらいな、と思った。しかし、この映画の見どころは、むしろ地震のあとの長い長い時の経過の描き方である。
中国の社会そのものが大きく変わっていく時代だった。1976年9月9日(唐山大地震から1ヶ月半だ)毛沢東死去。映画にはあまり描かれていなかったけど、四人組の逮捕、裁判、そして、改革開放の80年代が始まる。息子を育てながら働く母親が、工場をリストラされて仕立て屋の個人商店を始めるのも、そんな社会背景があるのだろう。彼女が、大学くらい出なければ嫁の来手がないと言って、必死で息子を勉強させようとするのも。
若い世代はもっと自由だ。達(ダー)はハンデキャップをものともせず、商売に成功して、故郷に戻ってくる。母親に新しい家を買おうとするが、母親は頑なに引っ越しを受け入れない。夫と娘(の霊魂)が戻ってこられなくなってしまう、というのだ。毎年、お盆(だと思う)には紙銭を燃やしながら、あなたたちの戻ってくる家は、……だよ、と語りかけ続けてきた母親。ふと、論語の「いますが如くす」という一節を思い出した。死者は、どこか遠い天国にいるのではなくて、すぐ近くにいて、ときどき帰ってくる。だから生きる者の「場所」はとても大切なのだ。生きる者の都合だけで、死者の記憶の残る「場所(家)」を変えるわけにはいかない。たぶんこの感覚は、ある年代以上の日本人にも共感されるのではないかと思う。
若い世代は場所にとらわれず、必死に生きる。登(ドン)は養父母のもとを出て、杭州(たぶん)の大学で医学を学ぶ。恋をして妊娠するが、中絶を望む恋人と別れ、未婚の母となる。のちに外国人の夫を得て、娘を連れてカナダに移住する。2008年、四川大地震が起きる。達(ダー)は救援物資を持って、登(ドン)は医療技術を役立てようと「唐山救援隊」に参加し、姉弟は32年ぶりの再会を果たす。未曾有の大災害が、引き裂かれた家族を再び引き合わせる。ただし「再会」の直接的な描写を避けているところは面白いし、好感が持てた。どう描いてもウソっぽいものな。
映画は、弟が姉を母親に引き合わせるところがクライマックスである。二人は抑えきれない感情をぶつけあう。母親が「謝らなければ」と膝をついたものの、娘を責める言葉がほとばしり出てしまう。それから、母と娘は家族の写真を見せ合い、それぞれが過ごしてきた年月の幸福と不幸を語り合う。「対不起(ごめんなさい)」という普通の言葉が、いかにも重たく、感動的に耳に残る。長い歳月の中で、憎み合ったり許したりしながら生きていく人間を描くのは中国映画の得意とするところで、やっぱり面白い。そして、あの東日本大震災から4年というのは、日本人がこの映画を見るには、ちょうどよい頃合かもしれない(被災の記憶を背負って生きていく人々の長い人生を考えるためにも)とも思った。
見たかった映画をようやく見ることができた。映画は、1976年、中国河北省唐山市で起きた大地震を題材に、ある家族の別れと再会(再生)を描く。2008年の四川大地震もエピソードに取り入れられている。中国では2010年に公開され、興行収入が歴代1位となるヒットを記録した。翌年、日本でも封切られるはずだったが、2011年3月11日、東日本大震災の発生。ああ、これは当分公開延期になっても仕方ないなと感じた。
驚いたのは、まさに当日、天井の崩落で死者を出した九段会館では、この映画の試写会が行われる予定だったという事実だ。このことに触れた報道は少なかったし、私もずいぶん後になって知った。たぶん「エキサイトレビュー」のとみさわ昭仁氏の記事(2011/3/16)を読んで知ったのではないかと思う。それから4年間、ぜったいこの映画は見なければならないと思い続けてきた。
この春、ようやく念願がかなった。主人公は、1976年の中国に暮らす四人家族。方大強(ファン・ダーチアン)と李元妮(リー・ユェンニー)の若夫婦には、姉の登(ドン)と弟の達(ダー)という幼い双子がいた。7月28日、一帯を襲った大地震によって、家族の幸福は引き裂かれてしまう。妻をかばって命を落とした夫。瓦礫の下に埋まった姉弟のどちらかしか助けられないと迫られて「弟」を選んだ母。命は助かったが、片腕を失った達(ダー)。死体置場で息を吹き返したものの、母や弟とはぐれ、新しい養父母に引き取られることになった登(ドン)。
大地震のスペクタクルな映像はよく出来ている。命を根こそぎ薙ぎ倒す、容赦のない暴力的な描写だ。これは確かに東日本大震災をリアルに経験した直後に観るのはつらいな、と思った。しかし、この映画の見どころは、むしろ地震のあとの長い長い時の経過の描き方である。
中国の社会そのものが大きく変わっていく時代だった。1976年9月9日(唐山大地震から1ヶ月半だ)毛沢東死去。映画にはあまり描かれていなかったけど、四人組の逮捕、裁判、そして、改革開放の80年代が始まる。息子を育てながら働く母親が、工場をリストラされて仕立て屋の個人商店を始めるのも、そんな社会背景があるのだろう。彼女が、大学くらい出なければ嫁の来手がないと言って、必死で息子を勉強させようとするのも。
若い世代はもっと自由だ。達(ダー)はハンデキャップをものともせず、商売に成功して、故郷に戻ってくる。母親に新しい家を買おうとするが、母親は頑なに引っ越しを受け入れない。夫と娘(の霊魂)が戻ってこられなくなってしまう、というのだ。毎年、お盆(だと思う)には紙銭を燃やしながら、あなたたちの戻ってくる家は、……だよ、と語りかけ続けてきた母親。ふと、論語の「いますが如くす」という一節を思い出した。死者は、どこか遠い天国にいるのではなくて、すぐ近くにいて、ときどき帰ってくる。だから生きる者の「場所」はとても大切なのだ。生きる者の都合だけで、死者の記憶の残る「場所(家)」を変えるわけにはいかない。たぶんこの感覚は、ある年代以上の日本人にも共感されるのではないかと思う。
若い世代は場所にとらわれず、必死に生きる。登(ドン)は養父母のもとを出て、杭州(たぶん)の大学で医学を学ぶ。恋をして妊娠するが、中絶を望む恋人と別れ、未婚の母となる。のちに外国人の夫を得て、娘を連れてカナダに移住する。2008年、四川大地震が起きる。達(ダー)は救援物資を持って、登(ドン)は医療技術を役立てようと「唐山救援隊」に参加し、姉弟は32年ぶりの再会を果たす。未曾有の大災害が、引き裂かれた家族を再び引き合わせる。ただし「再会」の直接的な描写を避けているところは面白いし、好感が持てた。どう描いてもウソっぽいものな。
映画は、弟が姉を母親に引き合わせるところがクライマックスである。二人は抑えきれない感情をぶつけあう。母親が「謝らなければ」と膝をついたものの、娘を責める言葉がほとばしり出てしまう。それから、母と娘は家族の写真を見せ合い、それぞれが過ごしてきた年月の幸福と不幸を語り合う。「対不起(ごめんなさい)」という普通の言葉が、いかにも重たく、感動的に耳に残る。長い歳月の中で、憎み合ったり許したりしながら生きていく人間を描くのは中国映画の得意とするところで、やっぱり面白い。そして、あの東日本大震災から4年というのは、日本人がこの映画を見るには、ちょうどよい頃合かもしれない(被災の記憶を背負って生きていく人々の長い人生を考えるためにも)とも思った。