○根津美術館 コレクション展『菩薩 救いとやすらぎのほとけ』(2015年3月7日~4月6日)
引っ越し直後の週末、駆け込みで間に合った! 「菩薩」に焦点をしぼった仏教美術展。菩薩(ぼさつ)とは「悟りを得たにもかかわらず、あえて人間界に降りて人間の苦楽に向き合い、救済の手をさしのべるほとけ」のこと。観音、文殊、普賢、地蔵など、私たち(日本人)にとっては、信仰の上でも美術史的にも、なじみ深く慕わしい諸尊が多くいらっしゃる。
冒頭には、飛鳥~奈良時代の小さな銅造仏が4躯。所蔵館が注記されていないということは、根津美術館のコレクションなんだな、こんな作品も持っているのか、と驚く。それから仏画。普賢、文殊、地蔵菩薩と続く。根津美術館の仏画といえば、私は高麗の被帽地蔵菩薩像が好きなのだが、見回すと今回は出ていない。どうやら日本の仏画に限定しているようだ。にもかかわらず、このコレクションの厚み。
室町時代の地蔵菩薩像(1幅)は美丈夫(武闘派のイケメン)でいいなあ、とうっとりする。一方、同じ室町時代の『地蔵菩薩霊験記絵巻』は、コロコロした人物、赤系の彩色が目立つ。塀に仕切られた火焔地獄に、木戸を開けて出入りするのが、なんともシュール。炎に包まれた怪獣たちもかわいい。
彫刻も数件。飛鳥時代の木造彫刻だという観音菩薩立像には驚いた。後世の調和のとれた仏像とは、かなり雰囲気の異なる相貌。日本製かなあ。どうなのかなあ。平安時代の菩薩立像には「定朝風」という解説がついていたが、比叡山・横川の聖観音に似ていると思った。展覧会のポスターになっていた地蔵菩薩坐像は、王朝の優雅さを残す鎌倉時代の作。照明が明るすぎて、はじめ、ポスターと同一作品だということが分からなかった。
展示室2も引き続き、日本の中世・近世の菩薩図が続く。最後に巨大な弘法大師像が掲げられていて驚く。実は4月5日と6日だけ「大師会」(※益田鈍翁によってひらかれた歴史ある茶会→こちら)の茶会にあわせて、五鈷杵、弘法大師御影、そして空海自筆(と伝える)『崔子玉座右銘』が飾られていた。すごい。
それから、いつも同じ仏像が飾られている展示室3を覗いたら、何だか違うものが置かれている。尼浄阿が14年かけて書写した大般若経六百巻とそれを収めた春日厨子が、修復完了記念に公開されていた。浄阿は八条院にも仕えた女房で、摂関家の女性たちや自分の親族を弔うために大般若経を奉納したのだそうだ。展示されている第六百巻の奥書に「廻向貴賤事」とあって、筆頭に八條院の名前がある。その少し先に「僧信西」とあったのが気になる。
3階は、北野天神絵巻(根津本)と「暮春の茶」で行く春を惜しんだ。
引っ越し直後の週末、駆け込みで間に合った! 「菩薩」に焦点をしぼった仏教美術展。菩薩(ぼさつ)とは「悟りを得たにもかかわらず、あえて人間界に降りて人間の苦楽に向き合い、救済の手をさしのべるほとけ」のこと。観音、文殊、普賢、地蔵など、私たち(日本人)にとっては、信仰の上でも美術史的にも、なじみ深く慕わしい諸尊が多くいらっしゃる。
冒頭には、飛鳥~奈良時代の小さな銅造仏が4躯。所蔵館が注記されていないということは、根津美術館のコレクションなんだな、こんな作品も持っているのか、と驚く。それから仏画。普賢、文殊、地蔵菩薩と続く。根津美術館の仏画といえば、私は高麗の被帽地蔵菩薩像が好きなのだが、見回すと今回は出ていない。どうやら日本の仏画に限定しているようだ。にもかかわらず、このコレクションの厚み。
室町時代の地蔵菩薩像(1幅)は美丈夫(武闘派のイケメン)でいいなあ、とうっとりする。一方、同じ室町時代の『地蔵菩薩霊験記絵巻』は、コロコロした人物、赤系の彩色が目立つ。塀に仕切られた火焔地獄に、木戸を開けて出入りするのが、なんともシュール。炎に包まれた怪獣たちもかわいい。
彫刻も数件。飛鳥時代の木造彫刻だという観音菩薩立像には驚いた。後世の調和のとれた仏像とは、かなり雰囲気の異なる相貌。日本製かなあ。どうなのかなあ。平安時代の菩薩立像には「定朝風」という解説がついていたが、比叡山・横川の聖観音に似ていると思った。展覧会のポスターになっていた地蔵菩薩坐像は、王朝の優雅さを残す鎌倉時代の作。照明が明るすぎて、はじめ、ポスターと同一作品だということが分からなかった。
展示室2も引き続き、日本の中世・近世の菩薩図が続く。最後に巨大な弘法大師像が掲げられていて驚く。実は4月5日と6日だけ「大師会」(※益田鈍翁によってひらかれた歴史ある茶会→こちら)の茶会にあわせて、五鈷杵、弘法大師御影、そして空海自筆(と伝える)『崔子玉座右銘』が飾られていた。すごい。
それから、いつも同じ仏像が飾られている展示室3を覗いたら、何だか違うものが置かれている。尼浄阿が14年かけて書写した大般若経六百巻とそれを収めた春日厨子が、修復完了記念に公開されていた。浄阿は八条院にも仕えた女房で、摂関家の女性たちや自分の親族を弔うために大般若経を奉納したのだそうだ。展示されている第六百巻の奥書に「廻向貴賤事」とあって、筆頭に八條院の名前がある。その少し先に「僧信西」とあったのが気になる。
3階は、北野天神絵巻(根津本)と「暮春の茶」で行く春を惜しんだ。