見もの・読みもの日記

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この国に暮らす人々/やまと絵の譜(出光美術館)

2009-06-16 22:05:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 日本の美・発見II『やまと絵の譜』(2009年6月6日~7月20日)

 外国人から見たら、日本人が描いた絵は全てJapanese paintingではないかと思うのだが、そこが日本文化の不思議なところ。近代以降「洋画」に対して「日本画」があるように、近代以前は「唐絵」「漢画」に対して「やまと絵」という概念がある。Wikiによれば、古くは「日本の故事人物事物風景を主題とした絵画」の意味で、様式技法とは関係がなかったらしい。しかし、本展は「自ら『やまと絵』の継承者だと主張した江戸時代の浮世絵師たち」に焦点を合わせ、彼らが追求した「やまと絵」の新たなイメージを探っている。

 本展の企画者が、近世の「やまと絵」の出発点に指名したのは、岩佐又兵衛(1578-1650)。光源氏を描いた『野々宮図』と『在原業平図』の2点を展示。前者は、ほとんどモノクロームだが、よく目を凝らすと、源氏の着ている直衣も、従者の小童の衣も、小童の捧げる太刀の束にも、繊細な文様が散りばめられている。黒木の鳥居のゴツゴツと節くれだった感じ、秋風になびく紙垂(しで)、うっすらと背景に浮かぶ小柴垣など、芸が細かい。後者『在原業平図』は、こんな装束があり得たんだろうか?と思うくらい、色合わせがモダンな印象。薄青で表された上半身の立体感も顕著だし。また「立ちあがった業平像」は、描かれた当時、非常に革新的だった、ともいう(→別の展覧会だが、両図の画像はこちら)。

 なお、源氏の装束は冠直衣と言って、これが特別な人にだけ許された晴れ姿だったことは、こちらの記事で。業平は武官らしく、冠は巻纓(けんえい)・老懸(おいかけ)に直衣か。狩衣(脇が開いている)にも見えるが、これって、有職故実的に有りなのだろうか?と考えている。

 又兵衛より一世代下った浮世絵師の菱川師宣(1618-1694)や、18世紀初頭の懐月堂安度は「日本絵 菱川師宣図」「日本戯画 懐月堂安度」というサインを用いている。日本人の「日本」観の成立って、意外とこんなところに現れているのかもしれない。それにしても、描かれた女性の着物柄の美しいこと。

 最古といわれる『江戸名所図屏風』は楽しかった。右隻には上野・浅草の祭礼、左隻には八丁堀・霊岸島の賑わいが描かれる。心なしか、右隻は、母衣を背にした戦国武者・南蛮人の扮装行列、能楽など古風な風俗で、左隻のほうが、歌舞伎・浄瑠璃・軽業など、近代的(?)な感じがする。クグツ、三河万歳、踊念仏? 経師屋、鍛冶屋、湯屋など、細部に注目すればするほど面白い。遠景には江戸城の天守閣が聳える。こういう作品こそ、精細なデジタル画像を公開し、好きなように遊ばせてくれれば、いろんな発見があると思うのになあ。→当面は書籍で。

 第2室では絵巻物が登場。『長谷寺縁起絵巻』(南北朝時代)は、先だって松濤美術館の『素朴美の系譜』にも出品されていたもの。倒れた木に散華する天女、すると木の幹から生ずる蓮華の表現が、素朴で暖かみがあって、かわいらしい。(元の色彩は分からないが)サーモンピンク色の舟とか。『白描中殿御会図』(室町時代)は、似絵の名人・藤原信実筆の原本を写したものといわれ、建保6年(1218)8月の宮廷を描く。ざっと50人ほどの登場人物の特徴を的確に描き分け、名前を注している。ただひとり注のない、琵琶を抱えた人物は順徳天皇か。臣下の最上位にいるのは九条道家。温厚な貫禄の家隆。隅の柱に隠れた気難しげな定家、いかにもダメ御曹司ふう(安倍晋三みたい)の為家…。ちょっとでもこの時代の登場人物を知っていると、実に楽しい。

 冷泉為恭の『雪月花図』双幅には、突飛な連想で申し訳ないが、静嘉堂文庫が所蔵する中国絵画、袁江筆『梁園飛雪図』を思い出してしまった。

※『江戸名所図屏風』に関して、本展のカタログ図版は小さい。細部を楽しむならこちら。
 
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