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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

炎暑関西行(4):絵画を中心に(京博・常設展)

2008-07-17 23:45:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 平常展示

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 京博の平常展示で、いつも一番楽しみにしているのは中国絵画。今期は、夏らしく、墨竹と山水でまとめている。展示室内にひんやりしたマイナスイオンが充満しているかのようだ。

 中でもいいなあ~と思ったのは、李唐の『山水図』2幅。私は、とりわけ左側、画面の9割以上を岩山が占めている秋景(または秋冬の景)が好きだ。刷毛で擦り付けたような岩肌の表現が面白い。樹木はちょびちょびと申し訳に生えている程度。智積院蔵『瀑布図』もいい。横長の画面に、一反木綿が寝そべったような、幅広の瀑布が描かれている。周りの黒い岩と対比的な、水の白さが、水流の多さと速さを物語る。高度感は全然違うんだけど、応挙の『大瀑布図』(相国寺蔵)を思い出してしまった。「水の変態を描く」のは中国絵画の伝統的な画題であるそうだ。馬遠の『十二水図』(北京故宮博物院蔵)を見てみたいなあ。

 清の余筆『岳陽大観』『天池石壁図』対幅は、大画面に広大な風景をあらわしつつ、湖面の波や木の葉、小さな船中人物などを丹念に描いている。品のある作だと思うけれど、中国のレストランや土産物屋で、いくらでも類例を見ることができそうだ。現代中国人の芸術的な嗜好って、清朝から連続しているのに対して、日本人は、宋代くらいで止まっているような気がする。

 日本絵画では、「数ある競馬図の中でも最も有名、かつ最も優れた作」と評される『賀茂競馬図屏風』が楽しい。よく見ると、なんだかあやしい振舞いに及ぶ人々も描かれている。江戸中期以降の祭礼図に比べると、「帯刀率」が異様に高い。女性と見まごう若侍も、ふんどし姿の下郎も、みんな刀を差している。画面中央には、大鎧で勢揃いした武将たちの後姿も描かれていて、まだ戦国時代からそう遠く隔たっていないことを感じさせる。騎手のポーズには、大倉集古館の『随身庭騎絵巻』に通ずるものがあるかも。

 狩野尚信の『禁苑郭公図屏風』は、滑空するカッコウが、くいっと頸を起こした一瞬の表情に味がある。5月に見た『李白観瀑図』に続き、注目。長沢蘆雪の『蓬莱山図』は、え、これが江戸絵画?と思うような新しい感覚に満ちてる。ロートレックの商業ポスターみたいな。
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炎暑関西行(3):アジャンタ・シーギリヤ壁画模写(京博)

2008-07-16 23:40:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特集陳列『杉本哲郎 アジャンタ・シーギリヤ壁画模写-70年目の衝撃-』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 杉本哲郎(1899~1985)が、昭和12~13年(1937~38)に制作したインドのアジャンタ壁画模写(3点)とスリランカのシーギリヤ壁画模写(7点)を展示する。法隆寺金堂壁画模写のような巨大な作品ではないので、2部屋を使って、わずか10点という展示には、正直なところ、なんだ、これだけ?と拍子抜けした。

 この作品の価値を知るためには、少し落ち着いて解説を読まなければならない。インドのアジャンタ壁画は、早くから日本人に注目された。大正6年(1917)、国華社は東京帝国大学教授の指導の下、壁画の模写を実施した。しかし、この模写は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失してしまう(うーむ。東大構内に保管されていたのかなあ。東大、焼けてるもんなあ)。

 そこで、再び模写を制作するため、現地に渡ったのが杉本である。交渉の末、ようやく模写の許可が下りたのが、第1窟の「パドマパーニ(蓮華手菩薩)像」。高い宝冠を頂く菩薩のまわりを、諸仏、童子、供養人、怪物(?)、動物などが取り囲む。愁いを帯びた、伏目がちの菩薩の表情、腰のひねりなどが、法隆寺金堂壁画に似ていなくもない。色彩は、やわらかく、澄んだ暖色系である。実は、現在の壁画は、拙劣な補修の影響で、すっかり色が変わってしまった。けれども大正期に撮影された写真を見れば、杉本の模写が、もとの色彩を正しく伝えていることが確認できる。

 杉本は「one subject(1画面)」という許可を「1主題」だと頑張り通して、主画面に連続する「ミトゥナ(男女抱擁)像」の模写を黙認させた。さらに「one pose」という申請を認めさせて、第17窟の人物像(第1窟のパドマパーニ像とよく似たポーズ)の模写にも成功した。こうして、杉本の粘り勝ちの結果、われわれは大小3点のアジャンタ壁画模写を見ることができるのである。続いて杉本はスリランカに渡り、シーギリヤ壁画の模写を作成。昭和13年(1938)7月21日、計10点の模写は、恩賜京都博物館に寄贈された。→全10点の画像はこちらから。会場には、当時、博物館の床に広げられた壁画の模写を、杉本と関係者が見守る白黒写真も展示されていた。

 さらに「あ!」と思ったのは、昭和14年(1939)、杉本は京都大学の満州史跡調査隊に同行して白塔子に赴き、慶陵(契丹族のつくった遼国の皇帝陵)の壁画模写を作成している。かつて京都大学総合博物館の『文学部創立百周年記念展示』で見た『キタイの武人像』は、どうやらこの調査隊の将来品らしい。あれ?でもあのとき私が見たのは、写真複製だと思ったんだけど…。

 杉本は、慶陵から持ち帰った将来資料と壁画模写図の展覧会を、山科の毘沙門堂で開いた。その後、昭和20年1月、資料は満州の国立中央博物館に寄贈されたが、終戦の混乱で、所在不明になってしまったという。こうした経緯と時代背景を知って眺めると、わずか10点の模写とはいえ、よくぞ歴史の荒波を潜り抜けて、われわれの時代に伝わったものだなあ、と感慨深い。

※慶陵調査については、以下。

■参考:京都大学ニュースリリース(2006/05/30)
http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_news/documents/060530.htm

■参考:鳥居龍蔵を語る会(徳島大学埋蔵文化財調査室)(2007/04/21)
http://mai-bun.hosp.med.tokushima-u.ac.jp/hyousi/torii/toriiryuuzou62.html
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炎暑関西行(2):建築を表現する、他(奈良博)

2008-07-15 23:25:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
■奈良国立博物館 特集陳列『建築を表現する-弥生時代から平安時代まで-』
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2008toku/kenchiku/kenchiku-1.htm

 『国宝 法隆寺金堂展』は、あまり期待もしていなかったので、こんなものか、という感じで終わって、次に進む。絵画や造形資料に表現された「建築」に着目した特集陳列である(7/13で終了)。

 素朴な絵画の記された絵画土器、埴輪、家形環頭(刀の束が家のかたち)など、古代の資料は、めずらしいものばかりで、よく見つけてきたなあと感心する。隅のケースにさりげなく展示されていたのが、国宝『信貴山縁起絵巻』(飛倉の巻)。おお、こんなところに!と思って、びっくりした。鉢に導かれる米俵の列は、意志を持った生き物のようだ。これほど生彩に富んだ絵画資料って、同時代の世界中を探しても、なかなか無いのではなかろうか。

 『華厳五十五所絵』は、善智識を尋ね歩く善財童子の姿を明るい色彩で描いた、絵本のような楽しい絵巻で、これも私の大好きな作品である。今回は「建築」に着目ということで、初めて見る箇所が開いてあった。十層(?)にも及ぶ、中国風の高層楼閣(→敦煌の莫高窟の正面に似ている)が描かれており、説明によれば、最下層には山海の珍味、二層には楽器、三層には宝石、四層には艶やかな美女たち、そして五層以上では、仏弟子たちが修行に励んでいるという。「そんな環境で修行できるのかね?」と言い合って笑った。

■特集展示『繍仏と染織の美』
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2008hei/2008hei_65_shubutsu.htm

 もうひとつの特集展示は、繍仏(刺繍で表した仏)と染織工芸(これも7/13で終了)。中宮寺の『天寿国繍帳』を、久しぶりに見た。聖徳太子の妃・橘大郎女が、太子の追善供養のために作らせたという悲しい伝承とは裏腹に、朗らかな童心に満ちている。中世の種子曼荼羅は、黒々と色褪せない梵字(種子)の刺繍が目に残る。「種子には毛髪が用いられている」が解説の決まり文句で、ちょっと怖かった。

■平常展『仏教美術の名品』

 最後は、いつも駆け足の平常展を、友人と無責任な論評を交わしながら、ゆっくり鑑賞。印象的だったのは、第7室(檀像)にあった、シャープな造形の十一面観音像。海住山寺蔵のこれだったかな? とりわけ「側面観」が美しいのである。短い解説に熱が入っていて、「これ書いた人、好きなんだろうなあ」と微笑ましかった。
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炎暑関西行(1):法隆寺金堂展(奈良博)

2008-07-14 21:52:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『国宝 法隆寺金堂展』

http://www.narahaku.go.jp/

 法隆寺金堂の諸像を公開する展覧会。法隆寺には、先だって5月に行ってきたばかりなのだが、仏像好きの友人たちと話が盛り上がり、出かけることになった。

 内容には、あまり期待をしていなかった。同時に、あまり混まないだろう、とタカをくくっていた。東京から赴く私と友人、京都在住の友人がもうひとり、お昼前に落ち合って、食事でもしてから、ゆっくり入館すればいいだろうと思っていた。そうしたら、土曜日、11時過ぎの奈良博には、既に15分待ちの列。「ええーっ。なんでこんなに人がいるのかなあ」と他人事に驚く。とりあえず、昼食抜きで入館。

 展示室のコンセプトは”仮想金堂”らしい。左右には、金堂壁画の復元模写全12面が並び、中央の空間には、釈迦三尊・薬師如来・阿弥陀三尊像の台座(前二者の仏像は来ていない)と天蓋。そして、見どころである日本最古の四天王像。

 正直なところ、展示室のつくりには感心しなかった。「四天王が横一列に並んでるの、変だよね」という不満が第一である。それから、正面中央の阿弥陀三尊像。これは、確かに金堂の仏様であるのだが、鎌倉時代の作で、飛鳥時代の四天王とそぐわないこと甚だしい。法隆寺金堂といえば、やっぱりあのアーモンド形の目をした釈迦三尊、薬師如来像でなくちゃ~。本物が借りられないのなら、写真パネルでもよかったのに。壁画を取り囲む柱・梁もどきの装飾が、大仰にエンタシスを表現しているのも、ちょっとやり過ぎ。

 個人的にいちばん嬉しかったのは、入ってすぐ、2枚の飛天図を確認したこと。昭和24年の火災で、奇跡的に焼け残った飛鳥時代の原品である。よく見ると、ガラスが嵌まっていなくて素通しだった。しかも、かなり強い照明が当たっていたけど、大丈夫なのかなあ。大半の観客が、復元模写に気をとられて、原品2点(重要文化財)に注目していなかったのはもったいない。

 復元模写も、こんなふうに細部をしげしげ眺めるのは初めてのことで、いろいろ発見があった。たとえば、第6号壁(阿弥陀浄土図)は、三尊像のほかに、大小さまざまの諸仏が描かれていることが分かった。また、顔立ちと上半身の美しさが印象的な金堂壁画だが、引きで見ると、全身のプロポーションはあまり美しくない。胴長すぎるし、足(足首から先)の描き方が稚拙であると思う。四天王像は、増長天・持国天の出来がよく、広目天・多聞天の造形はちょっと落ちるというのが、私と友人の一致した見解。

■参考:東京大学総合研究博物館「法隆寺金堂壁画」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/HORYUJI/HOME.HTM

 ところで、写真(↓)は、近鉄奈良駅の隣、東向き商店街の骨董屋のショーウィンドウに飾られていたもの。どう見ても、法隆寺金堂の天蓋に付属している化仏である。店内には、鳳凰もあった。古都の奥深さに呆然。


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炎暑の京都・祇園祭カウントダウン

2008-07-13 21:55:36 | なごみ写真帖
先週末は、頼まれものの原稿書きで家に籠もっていたので、ネタ切れになってしまった。飲み会も続いて、忙しかったし。この週末は、久しぶりに遠出。関西在住の友人と落ち合って、初日は奈良、それから京都をまわった。折りしも、この2日間は祇園祭の山建て・鉾建てに当たっていることが現地で判明。美術館・博物館めぐりの予定をカットして、町歩きに切り替え。

7/12夜、川床で遅くまで飲んだ帰りの函谷(かんこ)鉾。


7/13朝の長刀鉾。社参に赴く稚児を待つ白馬。


昼過ぎの百足町、南観音山の飾りつけ中。


昨夜はまだ木枠だけだった船鉾も、勇壮な姿が出現。


祇園祭は10年くらい前に来たことがあり、宵々山の日に、丸1日かけて全ての山と鉾をまわった。楽しかったな~。また巡行を見たいと思う。
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中華芸能・三国志映画、2人の趙子龍

2008-07-08 23:53:47 | 見たもの(Webサイト・TV)
 まず、呉宇森(ジョン・ウー)監督、三国志「赤壁の戦い」に題材を取った映画『レッド・クリフ(赤壁)』。7月3日、四川省・成都での世界プレミアに続き、いよいよ7月10日、中国で公開が始まるらしい(ただし前編のみ)。日本での公開は2008年11月1日だそうだ。既に日本語公式サイト(※音が出ます)が立ち上がっているが、まだ情報はあまり多くない。

 中華芸能サイトでは、わずか90秒ほどのベッドシーンが妙に話題になっているようだが(笑)、日本人にとっては、”『M:I-2』のジョン・ウー監督作品”というのが、まず引きつけどころだろう。それから、トニー・レオン(梁朝偉)が呉の知将・周瑜を演じ、金城武が蜀の諸葛孔明を演じる。うん、やや軽佻浮薄で才走った周瑜と、思慮深く落ち着いた孔明で、イメージに合っている。魏の曹操役は、渡辺謙を起用か?という噂もあったが、張豊毅が演じている。名前に記憶はなかったが、写真を見たら思い出した。『さらば、わが愛/覇王別姫』で、レスリー・チャンの恋人役、段小樓(石頭)を演じていた俳優さんだ。

 さらに中華TVドラマ(歴史もの)の愛好者としては、魯粛役の侯勇は『白銀谷』で覚えた俳優さんだし、趙子龍役の胡軍を見れば、なんと言ったって『天龍八部』の喬峰(チャオ・フォン)を思い出す!! 先日、井波律子さんの『中国の五大小説(上)』の感想にも書いたが、私は三国志の登場人物の中では、趙雲子龍が大好きなのである。華やかさはないが、安定感のある働きぶりに惚れ惚れする。胡軍はぴったりの配役だと思う。

 と書いていたら、ほぼ同時並行で、別の三国志映画が作られていたことを知った。李仁港(ダニエル・リー)監督の『三国之見龍卸甲』という作品。2008年4月に韓国・中国・香港・マレーシアなど6カ国で同時公開されたそうだ。趙子龍を主役に据えたドラマというだけで、私にはびっくりなのだが、演じているのは劉徳華(アンディ・ラウ)。え~色男すぎないか? その好敵手をつとめるのが、女優マギー・Q演じる曹操の孫・曹嬰(創作人物)。黒髪をなびかせ、鎧姿で剣を振るうかと思えば、琵琶を弾くシーンは、Gackt謙信を思い出すというネット評あり。YouTubeで予告動画を見て、納得した。

 どちらも、いずれ見たい。

■新浪網:呉宇森作品『赤壁』(中国語)
http://ent.sina.com.cn/f/m/chibi/index.shtml

■新浪網:劉徳華『見龍卸甲』(中国語)
http://ent.sina.com.cn/f/m/jlxj/index.shtml
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さよなら、百貨店/ポスト消費社会のゆくえ(辻井喬、上野千鶴子)

2008-07-05 23:08:07 | 読んだもの(書籍)
○辻井喬、上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書) 文藝春秋社 2008.5

 上野千鶴子の本を読むのは久しぶりだ。80年代には熱心に読んだものだが、90年代に入ると、すっかりフェミニズムに興味を失って、爾来20余年、新聞・雑誌の短文さえも読んでいない。だから上野氏が91年に『セゾンの発想』と題して、セゾングループの社史(全6巻)の一部を執筆していたことも、本書を開くまで知らなかった。同書は、外部の研究者に執筆を委嘱し、「取材は自由、情報の隠匿はしない、原稿の検閲は一切しない」という、社史としては異例の企画だったという。でも、”あの頃の西武”だったら、やりかねない、と思った。

 ”あの頃”というのは、70年代後半から80年代前半。まだ、バブル景気(1986年12月~1991年2月)の狂騒は始まっておらず、日本の消費社会は、比較的健全な成長を続けているように見えていた頃。セゾングループは、”消費文化”の象徴みたいなところがあった。本書は、上野千鶴子が辻井喬にセゾングループの歩みを聴き取るかたちで進行する。詩人・小説家の辻井喬氏が、同時にセゾングループの元代表・堤清二氏であることは、もちろん織り込み済みである。

 西武劇場・西武美術館、書店「リブロ」、パルコの広告など、セゾングループが仕掛けた70~80年代の文化戦略は、どれも懐かしい。本書は、その背後にあった経営意図(マイナーブランドだった西武のイメージアップ)が語られているのが読みどころだが、と同時に、辻井氏の個人的な嗜好と切り離せないのが、興味深い。上野氏から、西武の文化事業は何だったんでしょう?と問われて、「自己満足じゃないかなあ」と辻井氏は答えている。

 なるほど、と思わせるのは、欧米と比べた場合の、日本の消費者の特異性である。日本は、ある階層の人々が百貨店に行き、ある階層の人々がスーパーに行くというように、消費者を階層化できない。ふだんカップラーメンで済ませている若者でも、時には高級フレンチを食べに行く。また、牛肉をブロック買いして、1週間同じ料理を食べ続けるような食生活はできない。「日本の食生活における生鮮食品の比率は、アメリカ人でもヨーロッパ人でも理解できない」のだそうだ。これ、笑った。高価な生鮮食品を、毎日、調理の手間をかけて食べるのは、「合理的でない」と欧米人は思うらしい。

 91年のバブル崩壊以降、セゾングループの経営は、さまざまな「失敗」が明らかになっていく。西洋環境開発グループの「サホロリゾート」「タラサ志摩」など。本書のページ数のほぼ半分は、失敗例の丹念な追究に当てられている。私は、ビジネス本をあまり読まないが、成功例の自慢話より、こういう失敗例の分析のほうが、学ぶ点があるように思う。

 辻井氏が現場を去った後、セゾングループはファミリーマートを売却する。これについて辻井氏は「僕ならば、西武百貨店を売ってもコンビニは残すんだが」と感想を述べたという。スーパーとコンビニは生き残る。しかし、百貨店は、もはや時代の使命を終えた、というのが、辻井氏の実感のようだ。確かに、自分のことを考えても、デパートには行かなくなった。若者は新聞を読まなくなり、テレビを見なくなったというが、やがて、百貨店を知らない世代が登場するのかもしれない。
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ビールに笹かまぼこ

2008-07-04 23:05:55 | 食べたもの(銘菓・名産)
最近は7月1日付け人事が増えたので、今週の職場は気分一新。
まあ、スムーズに流れ始めてよかった。

金曜の夜、冷蔵庫の前で祝杯。



仙台土産の笹かまぼこ(ごま豆腐かまぼこ)に、調布の鬼太郎ビール。
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右翼?左翼?/失敗の愛国心(鈴木邦男)

2008-07-03 23:41:06 | 読んだもの(書籍)
○鈴木邦男『失敗の愛国心』(よりみちパン!セ) 理論社 2008.3

 刺激的な話題を、次々と世に問う「よりみちパン!セ」シリーズ。本書のテーマは「愛国心」だ。著者は「日本のためによかれと思い、四十年間『右翼』をやってきました」という鈴木邦男である。私がはじめて著者の名前を知ったのは、90年代の初め、雑誌「SPA!」に連載されていたコラム「夕刻のコペルニクス」だったと思う。しかし、「なんだ、右翼か!」と思って、ほとんど中味は読まなかった。当時は、左翼の価値が今ほど下落していなかった分、右翼なんてバカの代名詞みたいに思っていたのである。

 著者・鈴木邦男は、1943年生まれ。1960年、浅沼稲次郎・社会党委員長の刺殺事件をテレビで目撃し、犯人の右翼少年が、自分と同じ17歳であったことに大きな衝撃を受ける。高校退学、1年遅れて早稲田大学に進学。授業料値上げをめぐるストライキに反対して、左翼学生と闘う。69年、安田講堂の攻防戦。学生運動の終息。70年に就職。同じ年、三島由紀夫と森田必勝の自決。森田を右翼学生運動に誘ったのは「僕ら」だったと著者はいう。そのことに「やましさ」を感じるメンバーが集まり、「一水会」が生まれる。最初はサラリーマンの勉強会だったが、次第に過激な活動に傾斜していく。

 本書には、1960~70年代の報道写真が、多数、収録されている。まさに浅沼委員長に向かって刃物を構える山口二矢の写真。有名な写真だ。60年安保に反対して、国会議事堂を取り囲んだ大群衆。アメリカ大統領秘書官の車に飛び乗り、角材を振るうデモ隊。あるいは、早大・大隈講堂を背景に、バリケードを取り除こうとする右派学生と、それを阻止する左派学生の争い、など。60~70年代の子供であった私でも、呆気にとられる光景が続く。今の中学生や高校生はどう思うだろう。日本にも、こんな剥き出しの暴力が存在していたことに、ショックを受けるだろうか。でも、真実は知っておいたほうがいい。

 山口二矢、森田必勝に続く著者の転機は、90年にやってきた。長崎市の本島市長襲撃をめぐる「朝生」で、著者以外の右翼の活動家は全員「テロを支持する」と言い、著者だけが「支持しない」と言った。右翼仲間からは批判されたが、著者は、この頃から、テロや非合法活動を棄て、考えの違う人たちとも、積極的に対話を持つようになる。

 その結果、現在の著者の立場は、非常に「ノーマル」である。愛国心を持ったがために凶暴になるくらいなら、ふつうに優しく生きているほうがいい、とか、国家も個人も失敗したらあやまろう、謙虚であろう、とか、とても共感できるけれど、鈴木さん、これって右翼?と首をひねりたくなる。なんだか、微笑ましいオジサンだな。右翼と左翼って、つきつめていくと合一するケースがあるらしい、ということを、最近、感じている。日本の右翼について、もう少し勉強してみたい。
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いま、あらためて<日本主義>を問う(佐藤優、竹内洋)

2008-07-02 00:23:59 | 行ったもの2(講演・公演)
○紀伊国屋書店・第113回新宿セミナー 佐藤優×竹内洋トークイベント『いま、あらためて<日本主義>を問う-蓑田胸喜的なるものと現代-』(2008年6月29日)

 たまたま、紀伊国屋書店のホームページを覗いて、このイベントの告知を見つけた。札止めになるといけないと思って、すぐに電話で予約を入れたが、418人収容の紀伊国屋ホール、満席にはならなかったようだ。しかし、硬いテーマにもかかわらず、かなりの人が入っていた。面白かったのは、私がよく聞きにいく、サヨク(朝日・岩波系)文化人の講演は、女性(おばちゃん)が多いのに、このセミナーは、男性の比率がすごく高かったこと。

 やっぱり、佐藤優さんの読者って男性が多いのかな。まあ、壇上に現れた同氏は、太めのジーンズに灰色のトレーナーという、もっさりした服装で、女性ファンがつきそうには無かったけど(失礼)。私は『国家の罠』(新潮社、2005)1冊しか読んでいないが、今では、たぶん日本でいちばん多い連載ページを抱えた評論家だそうだ。私はむしろ、竹内洋先生が大好きで、一度、生でお話を聴いてみたくて、この日のイベントに足を運んだ。さわやかなアイボリーのスーツ、ときどき関西訛りがまじる温厚な口調は、文章そのままのお人柄に見えた。

 それにしても、なぜ、このお二人が対談を? 種明かしは、意外にブッキッシュである。竹内洋氏は、2004年、柏書房から『蓑田胸喜全集』を刊行した。全7巻揃いで231,000円の同書は、160~180セットが大学等に校費で売れた。わずかに5人ほど、私費で購入した個人がいて、そのひとりが佐藤優氏だったという。佐藤氏が語るには、東京拘置所に拘留中、五味川純平の『戦争と人間』を読み、脚注(澤地久枝が作成)に出てきた蓑田胸喜に興味をもった。けれども全集を買うお金がなかったので、『国家の罠』の印税が入ってから、ようやく買えて嬉しかった(のちに、この経緯を自ら柏書房の編集者に話したそうで、柏書房が顧客情報を漏らしたのではありません、念のため、とのこと)。

 私が、悪名高い日本主義者・蓑田胸喜(みのだむねき)なる人物を知ったのは、立花隆の『天皇と東大』(文藝春秋社、2005)が最初だった。その数ヵ月後、竹内洋、佐藤卓己編『日本主義的教養の時代』(柏書房、2006)で、再び同じ名前を目にする(そうかー。私が竹内洋先生に会ったのは、この本が最初だったか)。詳しくは繰り返さないが、私は、立花隆の近代主義的な傲慢さを受け入れがたく感じ、蓑田の「哀しさ」を捉えた竹内洋氏に強く共感した。

 この日、竹内氏は、立花隆の本に触れて、(丸山真男的=左翼思想だけでなく)右翼思想も東大に淵源がある、ということを一般に広めたことは彼の功績である。しかし、まともな学者なら誰でも分かっていたことで、独創的見解でも何でもない、と評した。そうだろう。また、立花が蓑田を狂人と断ずるのに「文章にやたら圏点を付けているから」というのは、理屈になっていない、と一笑する。そうそう。立花は、伝統的な漢籍の読み方を知らないんじゃないかと思う。明治人の蔵書に親しむと、圏点(強調したい文字の横に書き入れる点)だらけの本は、めずらしくない。

 ここで佐藤氏が、レーニンの著作にゴシック・イタリックなどの強調記号が多いことを指摘したのも面白いと思った。丸山真男もよく圏点を使う。つまり、意外と”蓑田的”(デモーニッシュ)なのである。「立花さんには、蓑田的なものが見えない」「蓑田的なものとは、知識人を映す鏡であり、知識人が最も”見たくない”と恐れるものではないか」というような意見の交換があり、立花の本にずっと不満を抱き続けてきた私としては、我が意を得た感じで、本当に嬉しかった。

 このあと、大川周明、井上日昭、高畠素之、北吉(北一輝の弟)、権藤成卿など、興味深い名前が次々に挙がり、「全共闘って、右翼か左翼か分からないし、蓑田的でしょ」とか「蓑田を使い捨てにしたのは、”横領する権力”と呼ぶべきもの」という刺激的な発言もあった。

 最後に、蓑田の著作から、おすすめとして、佐藤氏は『国防哲学』、竹内氏は『学術維新原理』を挙げる。そうねえ。図書館の本で読んでみるか。むかしの職場の図書館に、蓑田胸喜全集をリクエストして入れてもらったのは私なんだし。

■参考:紀伊国屋書店「日本主義」ブックフェア
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d05/nihon/
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