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見もの・読みもの日記

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炎暑関西行(3):アジャンタ・シーギリヤ壁画模写(京博)

2008-07-16 23:40:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特集陳列『杉本哲郎 アジャンタ・シーギリヤ壁画模写-70年目の衝撃-』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 杉本哲郎(1899~1985)が、昭和12~13年(1937~38)に制作したインドのアジャンタ壁画模写(3点)とスリランカのシーギリヤ壁画模写(7点)を展示する。法隆寺金堂壁画模写のような巨大な作品ではないので、2部屋を使って、わずか10点という展示には、正直なところ、なんだ、これだけ?と拍子抜けした。

 この作品の価値を知るためには、少し落ち着いて解説を読まなければならない。インドのアジャンタ壁画は、早くから日本人に注目された。大正6年(1917)、国華社は東京帝国大学教授の指導の下、壁画の模写を実施した。しかし、この模写は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失してしまう(うーむ。東大構内に保管されていたのかなあ。東大、焼けてるもんなあ)。

 そこで、再び模写を制作するため、現地に渡ったのが杉本である。交渉の末、ようやく模写の許可が下りたのが、第1窟の「パドマパーニ(蓮華手菩薩)像」。高い宝冠を頂く菩薩のまわりを、諸仏、童子、供養人、怪物(?)、動物などが取り囲む。愁いを帯びた、伏目がちの菩薩の表情、腰のひねりなどが、法隆寺金堂壁画に似ていなくもない。色彩は、やわらかく、澄んだ暖色系である。実は、現在の壁画は、拙劣な補修の影響で、すっかり色が変わってしまった。けれども大正期に撮影された写真を見れば、杉本の模写が、もとの色彩を正しく伝えていることが確認できる。

 杉本は「one subject(1画面)」という許可を「1主題」だと頑張り通して、主画面に連続する「ミトゥナ(男女抱擁)像」の模写を黙認させた。さらに「one pose」という申請を認めさせて、第17窟の人物像(第1窟のパドマパーニ像とよく似たポーズ)の模写にも成功した。こうして、杉本の粘り勝ちの結果、われわれは大小3点のアジャンタ壁画模写を見ることができるのである。続いて杉本はスリランカに渡り、シーギリヤ壁画の模写を作成。昭和13年(1938)7月21日、計10点の模写は、恩賜京都博物館に寄贈された。→全10点の画像はこちらから。会場には、当時、博物館の床に広げられた壁画の模写を、杉本と関係者が見守る白黒写真も展示されていた。

 さらに「あ!」と思ったのは、昭和14年(1939)、杉本は京都大学の満州史跡調査隊に同行して白塔子に赴き、慶陵(契丹族のつくった遼国の皇帝陵)の壁画模写を作成している。かつて京都大学総合博物館の『文学部創立百周年記念展示』で見た『キタイの武人像』は、どうやらこの調査隊の将来品らしい。あれ?でもあのとき私が見たのは、写真複製だと思ったんだけど…。

 杉本は、慶陵から持ち帰った将来資料と壁画模写図の展覧会を、山科の毘沙門堂で開いた。その後、昭和20年1月、資料は満州の国立中央博物館に寄贈されたが、終戦の混乱で、所在不明になってしまったという。こうした経緯と時代背景を知って眺めると、わずか10点の模写とはいえ、よくぞ歴史の荒波を潜り抜けて、われわれの時代に伝わったものだなあ、と感慨深い。

※慶陵調査については、以下。

■参考:京都大学ニュースリリース(2006/05/30)
http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_news/documents/060530.htm

■参考:鳥居龍蔵を語る会(徳島大学埋蔵文化財調査室)(2007/04/21)
http://mai-bun.hosp.med.tokushima-u.ac.jp/hyousi/torii/toriiryuuzou62.html
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