見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

たまには時代劇/柳生十兵衛七番勝負

2006-03-04 21:51:06 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK金曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負』(再放送)

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/

 先週、家に帰ってふとテレビを付けたら、見た記憶のある時代劇(のクライマックスシーン)をやっていた。昨年の4月にも同枠で放映されていた『柳生十兵衛七番勝負』ではないか。実は、初回を見て大いに気に入り、このブログに「今後に期待。来週も見るぞ!」なんて書いておきながら、結局、続きはほとんど見られなかったのである(4月の社会人は忙しい)。今度の再放送では、無事、第2回を見ることができた。しかし、3月の社会人はさらに忙しい。何が起こるか分からないので、来週は録画をセットしておこうと思う。

 この作品がとても印象的だったので、昨年は、ずっと「金曜時代劇」の枠を気にしていた。しかし、正直なところ、どうしても見たいと思うほどの作品はなかった。この『柳生十兵衛七番勝負』って、かなり、群を抜いた名作なんじゃないかと思う。

 久しぶりに上記のサイトを見に行ったら、「4月6日より続編放映開始!」だそうだ。うわ~びっくり!! これは今年の4月も忙しいぞ。

 それから、正月に広告を見かけて、気になっていたステラMOOK『NHK時代劇の世界』は3月18日発売だそうだ。「伝説の<天下御免>」の記事がとても気になる。たぶん同意してくれる同世代人は多いに違いない。これも待ち遠しい。
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金・ガラス・錦・仏の荘厳/金沢文庫

2006-03-03 22:59:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
○金沢文庫 企画展『仏の荘厳~飾り讃えるもの~』

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm

 入口を入ってすぐ、待っているのは、秦野市の金剛寺に伝わる観音・勢至菩薩立像である(上記サイト参照)。あまり見た記憶のない仏様だ。鎌倉時代初期に遡ることが近年確認されたそうだ。展示位置が低いので、胴長の印象を与えるのが惜しい。腰を低くして、少し下から眺めるのがよい。向かって左側、両手で蓮の茎を支えた勢至菩薩(たぶん)の腰のひねり具合が優雅である。額に沿って流れる巻き毛も。

 2階に上がると、称名寺の釈迦如来、海岸渡寺の十一面観音の「光背」が飾られている。本来の主役が不在で、大きな「光背」だけがあるというのも不思議な光景だ。会場の過半を占めるのは「幡」の断片である。鎌倉時代から江戸時代まで。シルクロードふうの唐草文もあれば、和風な山水文もある。縞、亀甲、チェック、三角形を連ねた鱗文など。それから、ガラス棒を並べてつないだ「玉すだれ」。以上、全て称名寺ゆかりの重宝である。

 このほかでは、伊勢原市・宝城坊(日向薬師)の、大ぶりな飛天像残欠。顔が想像できないほど損傷しているが、肉厚なつくりが、昔日の東ぶりの華やかさをしのばせる。

 あと、灌頂の儀式で使う「香象」(象のかたちの置物)。ほしいと思った。
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勉強立身熱のゆくえ/立志・苦学・出世(竹内洋)

2006-03-02 23:07:22 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋『立志・苦学・出世:受験生の社会史』(講談社現代新書) 講談社 1991.2

 折りしも、今朝の新聞に「勉強冷めた日本」という見出しが躍っていた。(財)日本青少年研究所と(財)一ツ橋文芸教育振興会が行った調査『高校生の友人関係と生活意識-日本・アメリカ・中国・韓国の4ヶ国比較-』に関する記事である。ちょうど読み終わった本書の内容を補完するような調査結果であった。

■勉強冷めた日本 米中韓7割超…高校生意識調査(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060302ur02.htm

 著者は近代日本の受験現象を3つの時代に区分する。ひとつは明治30年代半ばまでの前受験の時代。次は明治30年代から昭和40年代までの受験の「モダン」時代。そして昭和40年代以降、受験の「脱モダン」時代である。

 前受験の時代にも立身出世熱はあった。しかし、明治10年代までは人材選抜の合理化が不十分であり、勉強立身は抽象的な願望にとどまっていた。

 著者は、人材選抜の類型を、「属性主義←→業績主義」「恣意性小←→大」という2軸の交差によってできる4つの象限で表す。家格によって官職が決まる江戸時代の人材選抜は「属性主義&恣意性小」の類型だった。幕末以降、業績主義による登用が始まるが、業績や能力を測る客観的基準はなく、登用者の恣意(人的つながり、偶然のキッカケ)による面が大きかった。明治19年、帝国大学を頂点とする学校序列ができ、明治20年に官吏の任用試験制度ができたことで、いよいよ「試験と学歴の時代」が始まるのである。

 考えてみると、近代の日本は、学校(と就職の一部)にだけ「業績主義&恣意性小」の関門を設けながら、社会人になったあとは、江戸時代そのままの「属性主義&恣意性小」でやってきた。年功序列と終身雇用が裏切られることは、数年前まで、まず無かったと思う(実は、大学受験という、人生でたった一度の”上昇”チャンスを輝かせるための巧妙な仕掛けだったのかもしれない)。

 いま、勤め人の世界では、業績主義が大流行である。しかし、業績や能力をどう測るのかについては、あまり真剣に議論されていないように思う。それでは、早々に客観的基準を定めて、「業績主義&恣意性小」のシステムに移行するのが望ましいのかと言えば、それも考えものだ。人生に1回くらいならともかく、一生涯、”合理的な”人材選抜システムに追いかけられる人生が、果たして幸せであるのだろうか。

 ともかくも、こうして成立した受験の「モダン」時代に、受験生の伴走者となったのが受験雑誌である。月刊の受験専門雑誌というメディアは、日本独自の現象で、アメリカやイギリスにはない(ただし、韓国では1970~80年代にかけて創刊された)。惜しむらくは、日本の最初期(大正初年)の受験専門雑誌は、どこの図書館にも残っていないのだそうだ。そうだなあ、典型的な読み捨て雑誌だものなあ。

 その受験雑誌の雄『蛍雪時代』が大判になり、カラーやグラビアを取り入れて誌面チェンジしたのが昭和42年(1977)4月号だそうだ。この頃から、学歴という一元的な尺度にもとづく文化威信が崩壊し(→「カッコいい」「オシャレ」「お坊ちゃま・お嬢様」など、異なる価値基準の重視)、日本社会の受験に対する「クール・ダウン」が始まった。

 そして、行き着くべくして行き着いたのが、今朝の新聞記事なのではないかと思う。読売新聞の記事(上記サイト)によれば、「『国家の品格』の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、『一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか』と話した」とあるが、私はそうは思わない(それにしても、ずいぶん乱暴な発言だなあ、何が言いたかったんだろう、この人)。それと、どうしてアメリカは、日本ほど勉強熱が冷めないのかなあ(どうして一向に社会が成熟しないのかなあ)。

■(財)日本青少年研究所:上記調査の単純集計結果あり
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/
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規範からの逸脱/教養主義の没落(竹内洋)

2006-03-01 00:26:47 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋『教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』(中公新書) 中央公論新社 2003.7

 本書は、著者の中学時代の回想から始まる。昭和31年(1956)、著者の家に、新制大学を卒業し、新制高校に就職の決まった青年教師が下宿することになった。一部屋分の蔵書とレコードを持って現れた先生は、総合雑誌『世界』を購読し、著者に『三太郎の日記』や『善の研究』を勧めた。その経験は、著者に、大学生というのはこういう書物を読む人たちなのだ、という刷り込みを与えた。

 大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、教養主義はキャンパスの規範文化だった。著者は、教養主義の「奥の院」である文学部の学生に、意外なほど農村出身者が多いことに注意を促す。教養主義は、農村型の修養主義、人格主義、あるいは刻苦勉励主義と親和性を持っていた(→逆に、都市ブルジョア層が多かったのは理学部と経済学部だという。おもしろい!)。農村型の修養主義エートスを基本にしながら、泥臭い故郷に背を向けて、輝ける「西洋」を志向し、知識人に「成り上が」ろうとする心性こそ、日本型教養主義の範型である。

 しかし、1960年代、高等教育の大衆化は、教養主義の空々しさ(教養の多寡によってエリートと非エリートを選別する)を露わにし、教養知から技術知・専門知へ、思想インテリから実務インテリへの転換がうたわれるようになった。また、農村人口の急激な減少は、教養主義を下支えしてきた刻苦勉励的エートスを放逐してしまった。

 全共闘世代がキャンパスの教養主義に対する「家庭内暴力世代」だとしたら、ポスト全共闘世代は、もはや教養主義からの「家出世代」である――なるほど、うまいこと言うな。私自身も、教養主義の完全な没落(1970年代から80年代。ただし大学によって時間差がある)以降に大学生活を送った世代である。著者は、教え子の大学生から「読書で人格形成するという考え方がわかりづらい」という、率直すぎる質問を受けて、とまどった経験を告白しているが、確かに80年代以降のキャンパスでは、人生に悩むとか、人格を修養するなどという行為は「普通からの逸脱」であり、著者が危ぶんでいるように、「過剰な現実適応学生文化」が主流であったことは否めない。

 しかし、我々(80年代の大学生)も今の大学生も、難しい本を全く読まなくなったわけではない。ただ、状況が大きく異なるのは、昔は教養主義が知識人の規範だったのに対して、今日では、技術知や専門知がキャンパスの規範(大学教育の使命)化していることだ。実社会で役に立たない学問、言葉を換えると、金にならない学問は、日に日に排斥されつつある。

 したがって、今日のキャンパスで教養知を求めることは、規範からの逸脱であり、規範に対する果敢な挑戦でさえある(平たく言えば、オタク化戦略である)。そこに、今日の教養主義の生きる途があるかもしれない、と言ってしまったら、正統的教養主義の末裔である著者は、嫌な顔をするかしら。
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