○竹内洋『立志・苦学・出世:受験生の社会史』(講談社現代新書) 講談社 1991.2
折りしも、今朝の新聞に「勉強冷めた日本」という見出しが躍っていた。(財)日本青少年研究所と(財)一ツ橋文芸教育振興会が行った調査『高校生の友人関係と生活意識-日本・アメリカ・中国・韓国の4ヶ国比較-』に関する記事である。ちょうど読み終わった本書の内容を補完するような調査結果であった。
■勉強冷めた日本 米中韓7割超…高校生意識調査(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060302ur02.htm
著者は近代日本の受験現象を3つの時代に区分する。ひとつは明治30年代半ばまでの前受験の時代。次は明治30年代から昭和40年代までの受験の「モダン」時代。そして昭和40年代以降、受験の「脱モダン」時代である。
前受験の時代にも立身出世熱はあった。しかし、明治10年代までは人材選抜の合理化が不十分であり、勉強立身は抽象的な願望にとどまっていた。
著者は、人材選抜の類型を、「属性主義←→業績主義」「恣意性小←→大」という2軸の交差によってできる4つの象限で表す。家格によって官職が決まる江戸時代の人材選抜は「属性主義&恣意性小」の類型だった。幕末以降、業績主義による登用が始まるが、業績や能力を測る客観的基準はなく、登用者の恣意(人的つながり、偶然のキッカケ)による面が大きかった。明治19年、帝国大学を頂点とする学校序列ができ、明治20年に官吏の任用試験制度ができたことで、いよいよ「試験と学歴の時代」が始まるのである。
考えてみると、近代の日本は、学校(と就職の一部)にだけ「業績主義&恣意性小」の関門を設けながら、社会人になったあとは、江戸時代そのままの「属性主義&恣意性小」でやってきた。年功序列と終身雇用が裏切られることは、数年前まで、まず無かったと思う(実は、大学受験という、人生でたった一度の”上昇”チャンスを輝かせるための巧妙な仕掛けだったのかもしれない)。
いま、勤め人の世界では、業績主義が大流行である。しかし、業績や能力をどう測るのかについては、あまり真剣に議論されていないように思う。それでは、早々に客観的基準を定めて、「業績主義&恣意性小」のシステムに移行するのが望ましいのかと言えば、それも考えものだ。人生に1回くらいならともかく、一生涯、”合理的な”人材選抜システムに追いかけられる人生が、果たして幸せであるのだろうか。
ともかくも、こうして成立した受験の「モダン」時代に、受験生の伴走者となったのが受験雑誌である。月刊の受験専門雑誌というメディアは、日本独自の現象で、アメリカやイギリスにはない(ただし、韓国では1970~80年代にかけて創刊された)。惜しむらくは、日本の最初期(大正初年)の受験専門雑誌は、どこの図書館にも残っていないのだそうだ。そうだなあ、典型的な読み捨て雑誌だものなあ。
その受験雑誌の雄『蛍雪時代』が大判になり、カラーやグラビアを取り入れて誌面チェンジしたのが昭和42年(1977)4月号だそうだ。この頃から、学歴という一元的な尺度にもとづく文化威信が崩壊し(→「カッコいい」「オシャレ」「お坊ちゃま・お嬢様」など、異なる価値基準の重視)、日本社会の受験に対する「クール・ダウン」が始まった。
そして、行き着くべくして行き着いたのが、今朝の新聞記事なのではないかと思う。読売新聞の記事(上記サイト)によれば、「『国家の品格』の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、『一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか』と話した」とあるが、私はそうは思わない(それにしても、ずいぶん乱暴な発言だなあ、何が言いたかったんだろう、この人)。それと、どうしてアメリカは、日本ほど勉強熱が冷めないのかなあ(どうして一向に社会が成熟しないのかなあ)。
■(財)日本青少年研究所:上記調査の単純集計結果あり
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/
折りしも、今朝の新聞に「勉強冷めた日本」という見出しが躍っていた。(財)日本青少年研究所と(財)一ツ橋文芸教育振興会が行った調査『高校生の友人関係と生活意識-日本・アメリカ・中国・韓国の4ヶ国比較-』に関する記事である。ちょうど読み終わった本書の内容を補完するような調査結果であった。
■勉強冷めた日本 米中韓7割超…高校生意識調査(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060302ur02.htm
著者は近代日本の受験現象を3つの時代に区分する。ひとつは明治30年代半ばまでの前受験の時代。次は明治30年代から昭和40年代までの受験の「モダン」時代。そして昭和40年代以降、受験の「脱モダン」時代である。
前受験の時代にも立身出世熱はあった。しかし、明治10年代までは人材選抜の合理化が不十分であり、勉強立身は抽象的な願望にとどまっていた。
著者は、人材選抜の類型を、「属性主義←→業績主義」「恣意性小←→大」という2軸の交差によってできる4つの象限で表す。家格によって官職が決まる江戸時代の人材選抜は「属性主義&恣意性小」の類型だった。幕末以降、業績主義による登用が始まるが、業績や能力を測る客観的基準はなく、登用者の恣意(人的つながり、偶然のキッカケ)による面が大きかった。明治19年、帝国大学を頂点とする学校序列ができ、明治20年に官吏の任用試験制度ができたことで、いよいよ「試験と学歴の時代」が始まるのである。
考えてみると、近代の日本は、学校(と就職の一部)にだけ「業績主義&恣意性小」の関門を設けながら、社会人になったあとは、江戸時代そのままの「属性主義&恣意性小」でやってきた。年功序列と終身雇用が裏切られることは、数年前まで、まず無かったと思う(実は、大学受験という、人生でたった一度の”上昇”チャンスを輝かせるための巧妙な仕掛けだったのかもしれない)。
いま、勤め人の世界では、業績主義が大流行である。しかし、業績や能力をどう測るのかについては、あまり真剣に議論されていないように思う。それでは、早々に客観的基準を定めて、「業績主義&恣意性小」のシステムに移行するのが望ましいのかと言えば、それも考えものだ。人生に1回くらいならともかく、一生涯、”合理的な”人材選抜システムに追いかけられる人生が、果たして幸せであるのだろうか。
ともかくも、こうして成立した受験の「モダン」時代に、受験生の伴走者となったのが受験雑誌である。月刊の受験専門雑誌というメディアは、日本独自の現象で、アメリカやイギリスにはない(ただし、韓国では1970~80年代にかけて創刊された)。惜しむらくは、日本の最初期(大正初年)の受験専門雑誌は、どこの図書館にも残っていないのだそうだ。そうだなあ、典型的な読み捨て雑誌だものなあ。
その受験雑誌の雄『蛍雪時代』が大判になり、カラーやグラビアを取り入れて誌面チェンジしたのが昭和42年(1977)4月号だそうだ。この頃から、学歴という一元的な尺度にもとづく文化威信が崩壊し(→「カッコいい」「オシャレ」「お坊ちゃま・お嬢様」など、異なる価値基準の重視)、日本社会の受験に対する「クール・ダウン」が始まった。
そして、行き着くべくして行き着いたのが、今朝の新聞記事なのではないかと思う。読売新聞の記事(上記サイト)によれば、「『国家の品格』の著者で数学者の藤原正彦さん(62)は、調査結果について、『一言で言えば、日本の子どもはバカだということではないか』と話した」とあるが、私はそうは思わない(それにしても、ずいぶん乱暴な発言だなあ、何が言いたかったんだろう、この人)。それと、どうしてアメリカは、日本ほど勉強熱が冷めないのかなあ(どうして一向に社会が成熟しないのかなあ)。
■(財)日本青少年研究所:上記調査の単純集計結果あり
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/