○J.K.ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』静山社 2000.9
2巻目である。若い頃の私なら、第1巻を読み終えたあと、すぐに第2巻に突入したに違いない。しかし、本読みも中年を過ぎるとグルメになってくる。第1巻の余韻を何度も味わいつくし、しかも手持ちの仕事が一段落して、余念なく一気読みのできるこの週末を待って、第2巻に取り掛かった。
いやー面白い。第1巻を超えるスリリングな展開に釘付けとなった。ハリー・ポッターは普通の少年から一気に神話的なヒーローにランクアップする。私の好きな赤毛のロンも大活躍。その家族たち、ウィーズリー一家も魅力的に描かれている。
読み終えて、しばらく考えた。「ハリポタ」は、イギリスのファンタジーの正統を継いでいるばかりでなく、さまざまなエンターティメントの要素を取り込んでいるように思う。映画とか、ホラーとかミステリーとか。
冒頭、ロンとその兄弟たちが、空飛ぶ中古車フォード・アングリアでハリーを救い出す場面はどう考えたってハリウッド映画だ。後段、「禁じられた森」の中で「野生化」したフィード車が生き物のようにすり寄って来るところは、ディズニーアニメかもしれない。
「ほとんど首なしニック」をはじめ、ホグワーツを徘徊するゴーストたちはゴシックロマンの後裔だが、女子トイレの幽霊マートルは、日本人である我々にもおなじみ、現代の「学校の怪談」のキャラクターであろう。
そして今回、「秘密の部屋」の住人の正体と、「秘密の部屋」へ至る通路の所在をハリーとロンがコンビで謎解きしていくさまは、シャーロック・ホームズばりの、一級の探偵小説である。以下は少々ネタばらしになるけれど、声のみでなかなか姿を見せない「秘密の部屋」の怪物が、実は配管の中を移動していたというのは、まさに「まだらの紐」である!
私は小学校高学年の頃、少年少女向けの海外探偵小説シリーズに夢中になった記憶がある。そう、あれは当時、日本にはないジャンルだった。日本の児童向けミステリーと言えば、江戸川乱歩や横溝正史の成人向け作品を無理やり書き直したものだったが、翻訳ものでは、少年少女の探偵がちゃんと本格的な謎解きをするのだ。
それから、当代随一の人気作家であるロックハート先生のいけすかないキャラと、その熱烈な信奉者であるロンの母親など、ありがちな家庭生活を面白おかしく描くのも、児童文学の楽しい手法のひとつだ。適切な例ではないかも知れないけれど、私は「ゆかいなヘンリーくん」シリーズあたりを思い出す。
このように書いたからと言って、私は「ハリポタ」を剽窃の積み上げであるとして非難しているわけではない。むしろ逆だ。たぶん優れた文学とは、さまざまな記憶の上に成り立つもの...もしくはさまざまな記憶を呼び覚ますものなのだと思う。
そして、とりわけ優れた文学は、たぶん、神話の記憶をどこかに刻印しているのではないかと思う。
以下は完全なネタばらし。「禁じられた森」でハリーとロンを待っていたのは巨大な人食い蜘蛛だった。そして「秘密の部屋」の怪物は、蜘蛛の宿命の天敵、毒蛇バジリスクであることが判明する。バジリスクと対決するハリーを救ったのは、ダンブルドアのペットである不死鳥だった。
この結末には神話的なモチーフがまばゆいばかりに散りばめられている。邪悪なものどうし、互いに天敵である蜘蛛と蛇。邪悪な蛇を噛み殺す、光の化身である不死鳥。それは、ヨーロッパでは、キリスト教が普及する以前の、古い古い記憶であり、東洋人である我々も共有する神話の記憶である。
たぶん世界の各地で、本書を読んだ多くの子供たち・大人たちが、古い神話の記憶に揺り動かされているに違いない、と私は思う。それは本当に幸せなことだ。
2巻目である。若い頃の私なら、第1巻を読み終えたあと、すぐに第2巻に突入したに違いない。しかし、本読みも中年を過ぎるとグルメになってくる。第1巻の余韻を何度も味わいつくし、しかも手持ちの仕事が一段落して、余念なく一気読みのできるこの週末を待って、第2巻に取り掛かった。
いやー面白い。第1巻を超えるスリリングな展開に釘付けとなった。ハリー・ポッターは普通の少年から一気に神話的なヒーローにランクアップする。私の好きな赤毛のロンも大活躍。その家族たち、ウィーズリー一家も魅力的に描かれている。
読み終えて、しばらく考えた。「ハリポタ」は、イギリスのファンタジーの正統を継いでいるばかりでなく、さまざまなエンターティメントの要素を取り込んでいるように思う。映画とか、ホラーとかミステリーとか。
冒頭、ロンとその兄弟たちが、空飛ぶ中古車フォード・アングリアでハリーを救い出す場面はどう考えたってハリウッド映画だ。後段、「禁じられた森」の中で「野生化」したフィード車が生き物のようにすり寄って来るところは、ディズニーアニメかもしれない。
「ほとんど首なしニック」をはじめ、ホグワーツを徘徊するゴーストたちはゴシックロマンの後裔だが、女子トイレの幽霊マートルは、日本人である我々にもおなじみ、現代の「学校の怪談」のキャラクターであろう。
そして今回、「秘密の部屋」の住人の正体と、「秘密の部屋」へ至る通路の所在をハリーとロンがコンビで謎解きしていくさまは、シャーロック・ホームズばりの、一級の探偵小説である。以下は少々ネタばらしになるけれど、声のみでなかなか姿を見せない「秘密の部屋」の怪物が、実は配管の中を移動していたというのは、まさに「まだらの紐」である!
私は小学校高学年の頃、少年少女向けの海外探偵小説シリーズに夢中になった記憶がある。そう、あれは当時、日本にはないジャンルだった。日本の児童向けミステリーと言えば、江戸川乱歩や横溝正史の成人向け作品を無理やり書き直したものだったが、翻訳ものでは、少年少女の探偵がちゃんと本格的な謎解きをするのだ。
それから、当代随一の人気作家であるロックハート先生のいけすかないキャラと、その熱烈な信奉者であるロンの母親など、ありがちな家庭生活を面白おかしく描くのも、児童文学の楽しい手法のひとつだ。適切な例ではないかも知れないけれど、私は「ゆかいなヘンリーくん」シリーズあたりを思い出す。
このように書いたからと言って、私は「ハリポタ」を剽窃の積み上げであるとして非難しているわけではない。むしろ逆だ。たぶん優れた文学とは、さまざまな記憶の上に成り立つもの...もしくはさまざまな記憶を呼び覚ますものなのだと思う。
そして、とりわけ優れた文学は、たぶん、神話の記憶をどこかに刻印しているのではないかと思う。
以下は完全なネタばらし。「禁じられた森」でハリーとロンを待っていたのは巨大な人食い蜘蛛だった。そして「秘密の部屋」の怪物は、蜘蛛の宿命の天敵、毒蛇バジリスクであることが判明する。バジリスクと対決するハリーを救ったのは、ダンブルドアのペットである不死鳥だった。
この結末には神話的なモチーフがまばゆいばかりに散りばめられている。邪悪なものどうし、互いに天敵である蜘蛛と蛇。邪悪な蛇を噛み殺す、光の化身である不死鳥。それは、ヨーロッパでは、キリスト教が普及する以前の、古い古い記憶であり、東洋人である我々も共有する神話の記憶である。
たぶん世界の各地で、本書を読んだ多くの子供たち・大人たちが、古い神話の記憶に揺り動かされているに違いない、と私は思う。それは本当に幸せなことだ。