○加藤寛一郎『一日一食断食減量道』(講談社+α新書)2002.11
この4、5年、じりじりと体重が増えている。正確に言うと、10年前の私の体重は今くらいだった。一度、意識的に減量して、6、7キロ減らした。それでも「標準体重」にはまだ開きがあったのだが、これ以上減らすと、体力(というか、ハードワーク、暴飲暴食などの負担に対する身体的抵抗力)が落ちる気がして、そこで止めた。
それがまた、じりじりと戻りつつある。そろそろなんとかしようと思うのだが、40代半ばのいま、30代の減量と同じ方法は使えない。たとえば生活のリズムが違う。10年前は毎日仕事が定時に終わっていたので、帰ってから、近所の体育館で泳いだり走ったりできた。それでくたくたに疲れても、翌日にさしつかえないだけの体力もあった。今はちょっと心もとない。
そうなると、食事を制限する方法がいちばんいいかもなあ、と考えて始めていたところ、たまたま、新宿駅で電車待ちの時間に入った本屋で、この本を見つけた。
実は私は著者と面識がある。著者は東大航空学科(いまは航空宇宙工学科という)の名誉教授であるが、著者が学生向けの教科書を書き上げ、一般読者向けの「縦書きの本」を書き始めた頃に知り合った。
その後、新しい本が上梓されるたび、私は著者から謹呈を受けていたのだが、この本だけは贈ってもらえなかった。一度、問いただしたところ、「お前もやせろと言っているような内容だから、女性は誰にも贈れなかったよ」と苦笑していらした。
そういうわけで、著者が「断食減量道」を実践する姿を、私は間近でつぶさに見てきた経験がある。
体重を減らすには、摂取カロリーを抑えればいい。これは単純な話である。しかし、専門家が推奨する「一日三食、少量ずつ」に著者は反対する。そもそもそんな食事でがまんできるような人間は太らない。自分を含めて、減量が必要な人間というのは「がつがつ食う」ことを無上の楽しみと心得ているタイプなのだ。それなら、いっそ一日一食とし、その一食を「腹いっぱい」食べる楽しみを許容するほうが、ダイエットとしては長続きするのではないか。ここで私は激しく同意せずにいられない!
一日一食で栄養のバランスがくずれないか。この疑問に対して、著者は、自らスーパーに行くことを勧めている。そうすると、ふだんは気にも留めないのに、無性に食べたいと感じるものがある。それが不足している食品である。「人間は実に優れた制御系で、足りない物は自分で補給するようにに作られている」という著者の言葉に、制御工学に熟達した著者の本業の顔がチラリと覗いている。
私は本書の内容におおむね同意する。ただ、この減量法は全ての人間に適用できるかというと、残念ながらそうはいかないように思う。
私はほとんど病気をしない。これは、言葉を換えると「制御系」として優れているということだと思う。風邪の引き始めや過度の疲労を感じたときは、いちばん食べたいと思うものを食べ、眠りたいだけ眠る。社会人としてなかなかそうはできないときもあるが、なるべく身体の要求に従う。そうすると、大抵の不調は消えてしまう。
だが、多くの現代人は、そもそも「制御系」として既に壊れているのではないか。どう考えても痩せすぎのスタイルを標準的身体として織り込んでしまった若い女性たち。栄養ドリンクにたよる生活を普通と考えるサラリーマン。医者に薬を出してもらわないと安心できない高齢者。こういう人々が自己流で「断食減量道」を試みることは、あまり勧められないと思う。
さて、振り返って私自身だが、ちょっと試してみようかしら。
この4、5年、じりじりと体重が増えている。正確に言うと、10年前の私の体重は今くらいだった。一度、意識的に減量して、6、7キロ減らした。それでも「標準体重」にはまだ開きがあったのだが、これ以上減らすと、体力(というか、ハードワーク、暴飲暴食などの負担に対する身体的抵抗力)が落ちる気がして、そこで止めた。
それがまた、じりじりと戻りつつある。そろそろなんとかしようと思うのだが、40代半ばのいま、30代の減量と同じ方法は使えない。たとえば生活のリズムが違う。10年前は毎日仕事が定時に終わっていたので、帰ってから、近所の体育館で泳いだり走ったりできた。それでくたくたに疲れても、翌日にさしつかえないだけの体力もあった。今はちょっと心もとない。
そうなると、食事を制限する方法がいちばんいいかもなあ、と考えて始めていたところ、たまたま、新宿駅で電車待ちの時間に入った本屋で、この本を見つけた。
実は私は著者と面識がある。著者は東大航空学科(いまは航空宇宙工学科という)の名誉教授であるが、著者が学生向けの教科書を書き上げ、一般読者向けの「縦書きの本」を書き始めた頃に知り合った。
その後、新しい本が上梓されるたび、私は著者から謹呈を受けていたのだが、この本だけは贈ってもらえなかった。一度、問いただしたところ、「お前もやせろと言っているような内容だから、女性は誰にも贈れなかったよ」と苦笑していらした。
そういうわけで、著者が「断食減量道」を実践する姿を、私は間近でつぶさに見てきた経験がある。
体重を減らすには、摂取カロリーを抑えればいい。これは単純な話である。しかし、専門家が推奨する「一日三食、少量ずつ」に著者は反対する。そもそもそんな食事でがまんできるような人間は太らない。自分を含めて、減量が必要な人間というのは「がつがつ食う」ことを無上の楽しみと心得ているタイプなのだ。それなら、いっそ一日一食とし、その一食を「腹いっぱい」食べる楽しみを許容するほうが、ダイエットとしては長続きするのではないか。ここで私は激しく同意せずにいられない!
一日一食で栄養のバランスがくずれないか。この疑問に対して、著者は、自らスーパーに行くことを勧めている。そうすると、ふだんは気にも留めないのに、無性に食べたいと感じるものがある。それが不足している食品である。「人間は実に優れた制御系で、足りない物は自分で補給するようにに作られている」という著者の言葉に、制御工学に熟達した著者の本業の顔がチラリと覗いている。
私は本書の内容におおむね同意する。ただ、この減量法は全ての人間に適用できるかというと、残念ながらそうはいかないように思う。
私はほとんど病気をしない。これは、言葉を換えると「制御系」として優れているということだと思う。風邪の引き始めや過度の疲労を感じたときは、いちばん食べたいと思うものを食べ、眠りたいだけ眠る。社会人としてなかなかそうはできないときもあるが、なるべく身体の要求に従う。そうすると、大抵の不調は消えてしまう。
だが、多くの現代人は、そもそも「制御系」として既に壊れているのではないか。どう考えても痩せすぎのスタイルを標準的身体として織り込んでしまった若い女性たち。栄養ドリンクにたよる生活を普通と考えるサラリーマン。医者に薬を出してもらわないと安心できない高齢者。こういう人々が自己流で「断食減量道」を試みることは、あまり勧められないと思う。
さて、振り返って私自身だが、ちょっと試してみようかしら。