見もの・読みもの日記

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戦闘集団から領主へ/中世武士団(国立歴史民俗博物館)

2022-03-22 21:04:14 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立歴史民俗博物館 企画展示『中世武士団-地域に生きた武家の領主-』(2022年3月15日~5月8日)

 本展は、中世武士団を戦闘集団ではなく「領主組織」という観点から捉え、13世紀~15世紀を中心に、地域支配の実態と展開を明らかにする、とウェブサイトの企画趣旨にちゃんと書かれていたのに、私はこれを読まずに、武士団=戦闘集団という先入観で見に行ったので、会場でけっこう戸惑ってしまった。

 冒頭には、当然、戦う武士団の姿が提示される。荒涼とした合戦風景を描く歴博本『前九年合戦絵詞』を久しぶりに見た。東博でも時々見るが、東博本と歴博本はともに祖本からの派生本(模写本)なのだな。本品は13世紀後半の成立だが、源平合戦(12世紀末)の戦闘の資料と考えられており、描かれた武士は、静止した馬上から前方の敵を射ている。「合わせ弓」の登場により矢の飛距離が伸びたので、離れた位置から敵を射ること(馬静止射)が可能になったとのこと。あれ?流鏑馬みたいに走りながら射た(馳射)のではないのか?と思ったが、調べてみると、現在の流鏑馬は中世から連続しているものではないことなどが分かり、興味深かった。

 『蒙古襲来絵詞』(複製展示)には、疾走する騎馬武者の軍団が、馬上で弓を構えている図が描かれる。鎌倉時代の騎射戦は一騎打ちではなく集団戦として行われたとのこと。先頭武者は弓も構えず刀も抜かず、旗を持って駆けている。命知らずか。『後三年合戦絵詞』は江戸時代の模本で、千切れた死体が転がる凄惨な光景が鮮やかな絵具で描かれている。なお、図録を見ると、会場展示には、比較的マシな場面が選ばれている気がする。『男衾三郎絵詞』(東博所蔵)には、通行人を鏑矢で脅す、迷惑な武士の姿が描かれる。しかし武力(暴力)に関する展示はここまで。

 続いて、武士団の生活、所領の経営や本拠の形成について見ていく。彼らは列島各地に複数の所領を持つのが一般的だった。たとえば、下総国千葉氏の所領は伊賀や大隅、肥前にもあった。これは中山法華経寺が所蔵する聖教の紙背文書の研究から、近年、明らかになったことだという。

 鎌倉幕府の御家人になった武士は鎌倉に常駐を求められたが、都市生活を嫌い、実際に常駐した武士は少ないというのも面白かった。武士の屋敷について、高い土塁と深い堀に囲まれたイメージは15~16世紀の所産で、12~13世紀にはまだ開放的なつくりだったことが発掘調査等から分かってきている。あとで常設展(総合展示)を見に行ったら、深い堀に囲まれた武士の館の模型があったので、ははあ、これは中世後期か、と思って眺めた。

 さて、かつて中世武士団による支配の拠点として重視されたのは武士の屋敷(居館)だったが、近年は、このほか河川や道路、物資の集散地、田畑の水利灌漑施設、寺社などの施設によって、所領支配の「本拠」が構成されたと考えるそうだ。おお、歴史の見方がずいぶん変わっているのだな。

 地域領主である武士団は積極的に交通・流通(陸上および水上)の掌握・保護を図った。本展では特に石見国益田のミナトに着目し、日本海航路と和船の造船・航法、外洋航路と唐船の往来などを紹介する。ひとくちに日本海の船と言っても、出雲地方のものはボウチョウ型、若狭湾以東はドブネ型と言い、異なるらしい。まさか「武士団」の展示を見に来て、和船の類型を学ぶとは思わなかったが、面白かった。和船は帆も積んでいたが、基本的には漕走で、沿岸をゆっくり移動する方式だったので、列島各地に無数のミナトが誕生したというのも、言われてみれば納得した。

 第2展示室は、いきなり立派な2躯の天王像が立っている。佐賀県小城市の円通寺(開基:千葉宗胤)に伝わる木造多聞天立像と木造持国天立像である。どちらもかなり洗練された慶派の作風。多聞天は、右手に三叉の戟を握り、左手に宝塔を掲げる。丸い兜を被り、眉根を寄せて口を結ぶ。持国天は、右手の剣を振り上げ、左手は腰に置き、口を開け、大きな目で前方を睨む。ちなみに2009年の佐賀県立美術館の『運慶流』にも出陳されていたものだ。四天王でなく、多聞天と持国天の二天だけがセットにされたのは、法華経・陀羅尼品と関係があり、日蓮の法華経信仰が千葉氏を通じて持ち込まれたのではないかという。

 このほかにも、小城市の三岳寺や円明寺、益田市の医光寺から、13~14世紀の仏像が出ていた。そもそも、なぜ武士団が仏神像の造立や寺社の創建・保護をおこなったのか。武士団は、宗教者集団による地域社会の救済活動を支援することで「撫民」の姿勢を示し、支配の正当性の確保に努めたのである。その後、南北朝内乱を契機に戦乱が増加すると、地域社会の人々は武士団に安全保障を求め、武士団を中心にまとまるようになった。さらに室町時代になると、室町将軍の支援を得て所領保全を図ろうとする武士団が多く現れ、京都から最先端の文化を導入することで、地域社会に対して自らの権威を演出するようになった。本展は、その一例として石見国の益田氏を取り上げている。

 私は元来、日本の武将とか合戦に全く興味がなかったのだが、2010年の同館の企画展『武士とは何か』は面白くて、ちょっと意識が変わったことを覚えている。本展では、その後の研究の進展や広がりを知ることができた。また10年くらい先に、次の発信を楽しみにしている。


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