見もの・読みもの日記

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武具と文書/武士とはなにか(国立歴史民俗博物館)

2010-12-10 22:47:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『武士とは何か』(2010年10月26日~12月26日)

 「武士の世を、終わらせるかえ?」は大河ドラマ『龍馬伝』終盤の決めゼリフだが、本展の趣旨にいう、10世紀から19世紀(中世と近世)には、わたしたち現代人が武士、サムライなどと呼びならわし、その風体や生活様式などに一定のイメージを有する、武人たちとその家々が階層的に存在した。しかし、武士そのものを他と峻別し特徴づけるメルクマール(指標、目印)は、意外なことに明確ではない。そこで本展は、資料に基づき、あらためて「武士とは何か」の再考を迫る。

 プロローグに続くのは「戦いのかたち」。馬具だの鎧だの鏃(やじり)だのを、所狭しと並べた大きな展示ケースの底のほうに、色のかすれた地味な絵巻がちょろりと広げられている。おお、いきなり『前九年合戦詞』(重文)じゃないか! 私はこの絵巻を見に来たのに…。

 以下、しばらくは、刀剣、甲冑、鉄砲など武具の展示が続く。日本刀は、慶長年間を境に古刀と新刀を区別し、新刀は生産が減少すること。逆に甲冑は、江戸時代に入ると、装飾過多な復古鎧の製作が盛んになったことなど、面白いと思った。びっくりした展示品は、武田勝頼の家臣であった屋代正長が、長篠の合戦で戦死したときの死装束だという経帷子。袖も身頃も余すところなく経文で埋められており、擦り切れた大きな穴が、激しい戦闘と武人の面影を今日に伝える。

 武具に続くのは、さまざまな文書。武家が武家であるためには、鎧・旗とともに、身分や所領を証明する文書(譲状、下知状、軍忠状など)を保存する必要があった。ここに日本中世の武士とその家の特色があるという。『香宗我部氏之系図』を典拠に、戦国~安土桃山時代の武将、香宗我部貞親(1591-1660)の生涯を概観したパネルも面白かった。土佐に生まれ、初めは仕官先を求めて、高野山、堺、肥前を転々とし、のちは仕官先の都合で、江戸、信濃、川越…と移り住んでいる。当時の武士って、けっこう「移動」する人々だったんだなあと思った。

 江戸時代には「武士のイメージ」が重視されるようになる。和歌山県立博物館所蔵の『川中島合戦図屏風』は、武田方の高坂、馬場、真田、相木など、懐かしい名前を見つけて、胸が躍る。子ども連れの若いお父さんが「おっ真田幸隆入道だ。小山田様もいる!」とつぶやいていたのが、『風林火山』ファンらしくて、ひそかに嬉しかった。しかし、なぜ和歌山に川中島合戦図?と思ったら、紀州徳川家の祖・頼宣公が、家康の甲州(武田)流軍学びいきに対抗し、越後流軍学者の宇佐美定祐を監修者として描かせたものだという。そんな政治的背景があるとは。美術品としては、長野県立歴史館所蔵の『川中島合戦図屏風』(江戸後期)が斬新なデザインで眼を引いた。軍記→錦絵→屏風絵といった、メディア横断的なイメージの影響関係が見られるというのも面白い。

 武士の系譜の最後に、徳川将軍家に殉じた川路聖謨を取り上げていたのは烱眼。というか、当たり前なのかな。私は、この時代に詳しくないので、初めてこの人物の存在を意識して、感銘を受けた。

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