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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

青銅器と青銅鏡の宇宙/死と再生の物語(泉屋博古館東京)

2025-07-10 21:32:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『死と再生の物語(ナラティヴ)-中国古代の神話とデザイン』(2025年6月7日~7月27日)

 京都の泉屋博古館所蔵の青銅鏡の名品を中心として、中国古代の洗練されたデザイン感覚、その背景となった神話や世界観を紹介する企画展。「動物/植物」「天文」「七夕」「神仙への憧れ」という4つの観点から、デザインの背景を読み解き、日本美術に与えた影響についても紹介する。

 京都の泉屋博古館が世界有数の青銅器コレクションを所蔵していることはよく知っている。先月、リニューアル開館した京都の本館を訪ねて、刷新された青銅器館(展示ケースや内装を新調)を見てきたばかりである。いま、京都では『ブロンズギャラリー 中国青銅器の時代』(2025年4月26日~8月17日)を開催中なので、ん?東京でも青銅器展で大丈夫なのかな?と思ったが、こちらは「青銅鏡」が中心。ただし『鴟鴞尊(しきょうそん)』など、鏡以外の青銅器もいくつか来ていた。

 はじめに青銅器に表現された、さまざまな動物を紹介。再生の象徴と考えられたセミ、天地をつなぐ龍、怪物あるいは霊獣である饕餮(とうてつ)など。鴟鴞(フクロウ・ミミズク、鴟梟とも)は、古代中国の文献には、不吉の鳥、悪鳥として登場する。しかし古典文献成立期よりさかのぼる殷代には、その姿をあらわした青銅器が副葬品として用いられた。夜行性の猛禽類という性質から、死後の世界と通じ、死者を守る役割が期待されたのではないかという。展示の『鴟鴞尊』は、細身でシュッとした雰囲気。厚底靴を履いたみたいな足元も好き。それ以上に驚いたのは、早稲田大学会津八一記念館所蔵の小さくて素朴な鴟鴞尊7件が並んでいたこと。説明はなかったが、全部(?)土製だと思う。とぼけた顔もあれば凶悪そうな顔もあり、大きく膨れたお腹の上に小さな顔が載っていて、豆狸みたいだった。

 次いで、本格的に青銅鏡にフォーカスする。まずは樹木文鏡や草文鏡と呼ばれる類。古代中国には東方の巨樹・扶桑の伝説があった。扶桑の樹からは10個の太陽が順番に天に昇っていたが、あるとき10個が一度に昇ってしまったので、弓の名手・羿が9個を射落とした。ああ「羿射九日」の伝説だ!鏡とともに展示されていたのは『武氏祠画像石(前石室第三石)』の拓本で、巨樹に向かって弓を引く人物が描かれている。へえ、泉屋博古館は、こんな拓本も持っていたのか?と思ったら、会津八一記念館の所蔵品だった。武氏祠は山東省にあり、後漢末の地方豪族武氏一族をまつった石祠群だという(行ったこと…ないかなあ)。会津八一記念館からはほかにも複数の画像石拓本が来ていて眼福だった。画像石は馬のシルエットがとてもカッコいい。

 それから、古代天文学好きにはおなじみの『淳祐天文図』拓本(コスモプラネタリウム渋谷所蔵)に続いて、複数の方格規矩鏡が並ぶ。中央に方格(四角形)と規矩文(TLV字文)を持ち、TLV鏡とも呼ばれる。方格は大地を、外縁の円形は天空をあらわし、その間に四神や瑞獣、仙人などを配置して、古代中国の宇宙観を表現している。なるほど、鏡が哲学的なプラネタリウムだったことに納得。

 もう少し人間くさい画像鏡には、紙人や神仙が登場する。たとえば、西王母と東王父(東王公)、あるいは琴の名手・伯牙とその理解者である鍾子期(もうひとり、伯牙の琴の師匠・成連先生というキャラもセットらしい)。日本文化への影響例として、尾竹竹坡の『寿老人図』や丸山応挙の『西王母図』が展示されていたのもよかった。Wikipediaの「西王母」の項目を読むと、いろいろ興味が尽きない。七夕伝説とも関係があるのだな。

 最後は舶載・仿製とりまぜて三角縁神獣鏡が多数並んでいたが、「神話的世界観に基づく文様構成が明確には読み取れない」つまり(今日ふうに言うと)「思想が弱い」と説明されていて、笑ってしまった。まあ日本文化って、伝統的にそういうものかもしれない。

 第4展示室は「泉屋ビエンナーレSelection」と題して現代作家の金工作品を展示。久野彩子氏の『time capsule』がよかった。ホール展示の『魁星像』(明代)は、京都で何度か見たことを思い出して、なつかしく眺めた。

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