見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

沖縄の自己決定/沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか(安田浩一)

2016-08-27 21:05:05 | 読んだもの(書籍)
○安田浩一『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』 朝日新聞出版 2016.6

 著者が取材のために沖縄へ飛んだきっかけは、作家・百田尚樹氏の発言だった。2015年6月、安倍晋三首相に近い自民党の若手国会議員らが開いた勉強会「文化芸術懇話会」において、講師に招かれた百田氏が、講演後の質疑応答で「沖縄のあの二つの新聞社(沖縄タイムスと琉球新報)はつぶさなあかんのですけれども」と発言した。管見の限りでは、これに対する世間の反応は、言論弾圧を煽る不適切発言という批判と同時に、百田氏に賛同を示す声も少なくなったように思う。

 このとき百田氏は、上記以外にもいろいろ、沖縄の「左翼勢力」に対して批判的(というより揶揄的)な発言をしている。もともと普天間基地は田んぼの中にあったのだが、基地の周りが商売になるということで、みんなが住み出したとか、沖縄の米兵が起こしたレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で、沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪のほうがはるかに高い、など。本書の中で著者は、こうした発言の不当性をひとつひとつ、丁寧に暴いていくのだが(詳しくは本書で)、それよりも著者が問題視するのは、発言に潜む「嫌沖」の心理、沖縄に対する差別のまなざしである。

 そこで著者は沖縄の人々に会いに行き、話を聞く。戦後、普天間基地内になってしまった土地にあった集落に生まれ、基地の鉄条網に張り付くように生きて来た老人。1995年、米兵による少女暴行事件に抗議する県民総決起集会でスピーチをした女子高校生のその後。辺野古の基地建設に対する抗議運動の最前線に立つリーダーのひとり、など。

 「沖縄タイムス」「琉球新報」の記者たちが背負う背景と立ち位置もさまざまである。沖縄で生まれ、明るい未来を信じて復帰運動のデモに参加し、日の丸を振った子ども時代の記憶を持つ記者。なんとなく記者になったあと、糸満市に建設された「平和の礎」の除幕式を取材して、戦没者遺族の話を聞くうち、想像を絶する壮絶さに衝撃を受け、取材が続けられなくなってしまった経験を持つ女性記者。沖縄を出て、東京の大学に入学した結果、沖縄への偏見を体験し、新聞記者になろうと決めた若者。どの人の話も興味深く読んだ。

 本書には基地反対の立場をとる人たちの登場が圧倒的に多いが、最後まで読んだ上で、私はそれを「偏向」と断じるつもりはない。途中に、山根安昇が「新報」の副社長だったとき、「僕は日米安保に賛成なんですが、記者としてつとまるでしょうか」と新人記者から質問を受けたエピソードが紹介されている。山根は「賛成でも反対でもどうでもいい。とにかく仕事しろ」と答えた。沖縄では、何を報道するにも、どんな現場にも「安保が染み込んでいる」。そして、真面目に仕事をしていけば、誰もが沖縄戦に行きつく。沖縄のマスコミ人は、保守も革新も戦争のためにペンをとらないことを誓ってきた。「沖縄は戦っていくんですよ。武器とするのは二つ。ひとつは、米国からもらった民主主義。もうひとつは日本国憲法。この二つを高く掲げて沖縄は生きていく」。この言葉には泣けた。

 「重たい」ことにこだわるのは、当世の流行りでないのだろうけど、やっぱり沖縄の戦争体験は格別に重いのだと思う。そして、沖縄の硬直した振舞いを非難し、あるいは嘲笑し、「偏向」と決めつける人々に共通するのは、思想と言動の「軽さ」である。2011年11月、辺野古環境アセスの評価書提出時期をめぐって防衛相の局長が、オフレコ懇談の席で「犯す前にこれから犯しますよと言いますか」と発言したこととか、自民党の小池百合子が米国務省元日本部長のケビン・メアにコンビニの支払いを奢りながら「思いやり予算よ」と発言した(沖縄のある記者がたまたま聞いていた)とか、彼らの世界では気の利いたジョークであるものが、別の世界の人々を限りなく傷つけているという、世界の非対称性を感じる。

 2013年1月、翁長雄志沖縄県知事が県議らとともに上京し、オスプレイ配備反対の建白書を政府に届けるデモを行ったとき、都心の沿道で待ち構えていた在特会などから「非国民」「中国のスパイ」等の罵声を浴びた。しかし、のちに翁長は、本当の意味で失望したのは、罵声を飛ばす差別者集団よりも、何事もないように銀座を歩く「市民の姿」だったと語ったそうだ。この指摘は本当に重い。そろそろ私たちひとりひとりが、無関心を改めなければ、日本は引き返せないところに行ってしまうのではないかと思っている。

 民主主義の基本は自己決定権である。自分たちの(地域の)未来は、一義的に自分たち住民で決めたい。これはあれだ、SEALDs本の『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』で、中国の大国主義に脅かされる香港や台湾の若者たちが語っていたのと同じ主張だと思った。

 なお、琉球新報と山陰中央新報が共同で取材・執筆した『環りの海:竹島と尖閣 国境地域からの問い』(岩波書店、2015)という本があることを知ったのは本書の余得。読んでみたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 張家界・鳳凰古城2016【補遺... | トップ | 留学生の暮らす街/帝都東京... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだもの(書籍)」カテゴリの最新記事