○平川克美『喪失の戦後史:ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来』 東洋経済新報社 2016.9
声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」が企画した全六回の講演をもとに戦後史を中心とした話をまとめたもの。著者の名前や発言は、SNSを通じて以前から知っていたが、著書を読むのは初めてである。そして著者紹介を見て、経済に関する本を多数書いているということも初めて知った。
書き出しによれば、戦後の日本の経済を追いながら、日本人の価値観の変遷、特に家族に対する考え方の変化を中心に戦後史を語ることが本書の眼目である。そして経済を眺める指標として、著者が重視するのは「人口動態」である。第二講には、西暦800年を起点とする超長期的な人口動態のグラフが示される。著者が「驚いたこと」は、今日(2009年以降)急激に人口が減っていることではない。「本当に驚くべきことは、日本の歴史が始まってから、2008年に至るまで一度も人口が減ったことがなかった」ことであり、人口減について「日本人は誰も、これまで歴史の中で考えてきたこともない」のだという。冷静に考えると、飢饉や戦乱で日本の人口が激減したことは何度かあったはずだ。しかし「自然に人口が減っていく」というのは、確かに歴史上、はじめて経験する事態ということになるだろう。「現在の日本に続く、すべてのシステム、考え方は人口増を所与として考えられてきた」という指摘は首肯できる。
そして「経済的に苦しい時代ほど、実は子どもをたくさん生んでいる」というのも、感覚的に同意できる。将来に対する不安が増大すると子供は増える。経済的に豊かになったことが少子化につながっているので、「金目」で人口は増やせない。う~ん、これは半分真実で、半分間違っているように思う。経済的援助が充実したからといって、三人も四人も生もうという女性は少ないかもしれないが、一人目を生む選択の後押しにはなるのではないか。
さて、家族形態は、そのエリアの共同体(会社、国家)のフレームワークになっているのではないか、と著者は述べ、「Y軸:親子関係が自由主義的か権威主義的か」「X軸:兄弟関係が平等か不平等か」の組み合わせによって、4つのパターンを例示する(エマニュエル・トッドに教えてもらった、との説明あり)。親子が自由主義的で兄弟が平等=フランスの一部。親子が自由主義的で兄弟が不平等=英米。これらの国は核家族が絶対で、個人という概念が生まれやすい。親子が権威主義的で兄弟が不平等(長子相続が原則)=日本。ドイツ、スウェーデンもこれに近い。親子が権威主義的で兄弟が平等=中国・ロシア・ベトナム・キューバ。大家族を形成する国で、社会主義化した国は全部ここ。うまく説明がつきすぎて、ちょっと眉唾な感じはある。でも、いい悪いでなくて、伝統的な家族形態に似せた政治形態が国民にとっていちばん居心地がいい、というのは分かる気がする。
日本の権威主義的家族主義の価値観はかなり堅牢で、敗戦によって表面的には否定されたが、内面に残り続けた。これが完全に払拭されるには、高度経済成長期以後の、社会の構造的変化を待たなくてはならなかった。
高度経済成長は、貧しさと旺盛な食欲(購買欲)、そしてGHQが主導した「自由な空気」によってもたらされた。1973年にエンゲル係数が30%まで落ちることで、高度経済成長は終わり、日本経済は相対的安定期に入る。1973年は石油ショックの年でもあり、経済学者の下村治は「もはや経済成長は望めない」と予測していた。ところが、石油ショック以後、再び成長軌道に乗った日本経済に、世界の投資マネーが押し寄せる。73年までの日本経済は「ものづくりの資本主義」であったが、これ以降「マネー資本主義」が始まる。
74年から90年までの間、週休二日制が定着し、コンビニエンスストアが生まれ、労働派遣法が成立し、人々の生活スタイルと価値観(労働中心から消費中心へ)を変えていく。核家族化が進行し、個人主義的な生き方が普通になり、さらに80年代後半から90年代にかけて、「金目」が全てと考える人々が出現する。
90年代以降、日本経済は低成長またはマイナス成長が続き、長期デフレの時代となったが、前日銀総裁の白川氏は、このデフレはそれほど悪いものではない、と述べていたそうだ。著者はこれを解説していう。デフレとは物価がどんどん下がっていく状況をいうが、2008年から2015年まで、日本は賃金も上がらないが物価も上がらず、固定化した状態が続いていた。欧州経済危機だのリーマン・ショックだの、世界は激しく動いており、国内では東日本大震災もあったが、一般の日本人は、まあまあ普通に暮らしていられた。これは白川さんの功績ではないだろうか。この評価は、私の実感にかなり近い。
ただ、それは私が安定した職を有していたからで、今の生活に満足できていない人々は「現状を変える」「特権を暴き出す」と主張する政治家に吸い寄せられていまうのだろう。しかし、人口が減少する社会では「縮小均衡」を上手に生きるしかない。人口減少は経済発展の帰結なのだから、昔に戻すことはできない、と著者は断言する。果たしてこれが正解なのかは、もう少し考えてみたい。
声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」が企画した全六回の講演をもとに戦後史を中心とした話をまとめたもの。著者の名前や発言は、SNSを通じて以前から知っていたが、著書を読むのは初めてである。そして著者紹介を見て、経済に関する本を多数書いているということも初めて知った。
書き出しによれば、戦後の日本の経済を追いながら、日本人の価値観の変遷、特に家族に対する考え方の変化を中心に戦後史を語ることが本書の眼目である。そして経済を眺める指標として、著者が重視するのは「人口動態」である。第二講には、西暦800年を起点とする超長期的な人口動態のグラフが示される。著者が「驚いたこと」は、今日(2009年以降)急激に人口が減っていることではない。「本当に驚くべきことは、日本の歴史が始まってから、2008年に至るまで一度も人口が減ったことがなかった」ことであり、人口減について「日本人は誰も、これまで歴史の中で考えてきたこともない」のだという。冷静に考えると、飢饉や戦乱で日本の人口が激減したことは何度かあったはずだ。しかし「自然に人口が減っていく」というのは、確かに歴史上、はじめて経験する事態ということになるだろう。「現在の日本に続く、すべてのシステム、考え方は人口増を所与として考えられてきた」という指摘は首肯できる。
そして「経済的に苦しい時代ほど、実は子どもをたくさん生んでいる」というのも、感覚的に同意できる。将来に対する不安が増大すると子供は増える。経済的に豊かになったことが少子化につながっているので、「金目」で人口は増やせない。う~ん、これは半分真実で、半分間違っているように思う。経済的援助が充実したからといって、三人も四人も生もうという女性は少ないかもしれないが、一人目を生む選択の後押しにはなるのではないか。
さて、家族形態は、そのエリアの共同体(会社、国家)のフレームワークになっているのではないか、と著者は述べ、「Y軸:親子関係が自由主義的か権威主義的か」「X軸:兄弟関係が平等か不平等か」の組み合わせによって、4つのパターンを例示する(エマニュエル・トッドに教えてもらった、との説明あり)。親子が自由主義的で兄弟が平等=フランスの一部。親子が自由主義的で兄弟が不平等=英米。これらの国は核家族が絶対で、個人という概念が生まれやすい。親子が権威主義的で兄弟が不平等(長子相続が原則)=日本。ドイツ、スウェーデンもこれに近い。親子が権威主義的で兄弟が平等=中国・ロシア・ベトナム・キューバ。大家族を形成する国で、社会主義化した国は全部ここ。うまく説明がつきすぎて、ちょっと眉唾な感じはある。でも、いい悪いでなくて、伝統的な家族形態に似せた政治形態が国民にとっていちばん居心地がいい、というのは分かる気がする。
日本の権威主義的家族主義の価値観はかなり堅牢で、敗戦によって表面的には否定されたが、内面に残り続けた。これが完全に払拭されるには、高度経済成長期以後の、社会の構造的変化を待たなくてはならなかった。
高度経済成長は、貧しさと旺盛な食欲(購買欲)、そしてGHQが主導した「自由な空気」によってもたらされた。1973年にエンゲル係数が30%まで落ちることで、高度経済成長は終わり、日本経済は相対的安定期に入る。1973年は石油ショックの年でもあり、経済学者の下村治は「もはや経済成長は望めない」と予測していた。ところが、石油ショック以後、再び成長軌道に乗った日本経済に、世界の投資マネーが押し寄せる。73年までの日本経済は「ものづくりの資本主義」であったが、これ以降「マネー資本主義」が始まる。
74年から90年までの間、週休二日制が定着し、コンビニエンスストアが生まれ、労働派遣法が成立し、人々の生活スタイルと価値観(労働中心から消費中心へ)を変えていく。核家族化が進行し、個人主義的な生き方が普通になり、さらに80年代後半から90年代にかけて、「金目」が全てと考える人々が出現する。
90年代以降、日本経済は低成長またはマイナス成長が続き、長期デフレの時代となったが、前日銀総裁の白川氏は、このデフレはそれほど悪いものではない、と述べていたそうだ。著者はこれを解説していう。デフレとは物価がどんどん下がっていく状況をいうが、2008年から2015年まで、日本は賃金も上がらないが物価も上がらず、固定化した状態が続いていた。欧州経済危機だのリーマン・ショックだの、世界は激しく動いており、国内では東日本大震災もあったが、一般の日本人は、まあまあ普通に暮らしていられた。これは白川さんの功績ではないだろうか。この評価は、私の実感にかなり近い。
ただ、それは私が安定した職を有していたからで、今の生活に満足できていない人々は「現状を変える」「特権を暴き出す」と主張する政治家に吸い寄せられていまうのだろう。しかし、人口が減少する社会では「縮小均衡」を上手に生きるしかない。人口減少は経済発展の帰結なのだから、昔に戻すことはできない、と著者は断言する。果たしてこれが正解なのかは、もう少し考えてみたい。