○東京国立博物館 特別展『平安の秘仏-滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち』(2016年9月13日~12月11日)
東博で櫟野寺展があると知ったときは驚いた。福生山(ふくしょうざん)自性院櫟野寺(らくやじ)は滋賀県甲賀市に位置する、天台宗総本山延暦寺の末寺。我が国最大を誇る坐仏の十一面観音(秘仏)のほか、平安時代の木造仏を多数所蔵する。仏像好きには愛されているお寺だと思うが、全国的に、どれだけ知られているか…。
私は、2004年に一度だけ現地を訪ねたことがある(※当時の記録)。「何度かガイドブックで写真を見たことがあった」と書いているけど、何を見たのか忘れてしまった。かなりマニアックなガイドだと思う。『見仏記:親孝行篇』(2002年)に櫟野寺の記事があるというから、直接には、そのへんに影響されたのではないかとも思う。油日の駅から長い道のりを歩き、櫟野寺の集落が見えてきたときのわくわく感は今でも思い出すことができる。のちに職場で、この近隣の出身だという女性に会って「櫟野寺に行ったことがある」と言ったら、ものすごく驚かれたことも、楽しい思い出である。
さて、展覧会の会場は、本館の大階段の裏の特別5室。入口を入ると(正確には目隠しのパネルに沿って少し歩くと)金色に輝く巨大な十一面観音菩薩坐像に正対する。像高3メートル余りとのことだが、高い蓮華座に座っているので、結跏趺坐した膝が、ようやく目の高さくらいにくる。柿の葉のような縦長の光背が、さらに視線を上方に誘導し、光背の頂上までの総高は5メートルを越える。初めて見たときも思ったが、手が大きく、指も太い。目・鼻・口も大きくて、顔の造作がはっきりしている。ただ、正面からの写真だと太めの腹まわりが強調されるが、会場で下から見上げると、もう少しすっきりした印象になる。
会場では、みうらじゅん&いとうせいこうの音声ガイドを、ぜひお使いいただきたい。ご本尊については、表情のはっきりした、頭上の十一面に注目を促す。会場には頭上面全てのアップ写真も展示されているが、「一番の見どころは真後ろの暴悪大笑面。横からちょっと見える」とのアドバイスにしたがって、左側面にまわってみると、確かに少し見える。ほとんどの観客が気づいていないものを盗み見るようなスリル。そして、瞋怒面×3も牙上出面×3も、ぞくぞくしていいわー。
本尊同様、金色の輝きを失っていないのが、おだやかな定朝様の薬師如来坐像と、腹帯地蔵とよばれる、腹のリボン結びがかわいい地蔵菩薩坐像。ほかに、金箔や彩色のほぼ落ちた、大小の木造仏が17体。右手に宝棒、左手に宝塔を捧げ持つ毘沙門天立像はかなり個性的。目の高さに掲げた宝塔をじっと覗き込むポーズを、音声ガイドの見仏コンビが「ワイングラスを持った裕次郎」と表現していて、吹きそうになった。この毘沙門天像が好きだったという、先代住職・三浦皎英(こうえい)さんの思い出話も楽しい。確かに住職さんって、お寺の魅力の一部だと思う。
櫟野寺とその周辺に残る仏像は「甲賀様式」と呼ばれ、細身長身で目の吊り上がった厳しい表情の「前期様式」(11世紀前半)と、ずんぐりした体型でおだやかな表情の「後期様式」(11世紀後半~12世紀)があるという。私は、後期様式のほうが好み。ぽってりした唇が魅力的な吉祥天立像とか、利かん気の金太郎みたいな二重顎の観音菩薩立像とか。あと、ずんぐり体型ではないが、年代的には後期に入るのだろう、両腕を肩から失っている十一面観音菩薩立像や、顎の細い逆三角形顔の吉祥天立像も好きだ。
この展覧会には、本尊を含め、櫟野寺が所蔵する平安仏20体が全てお出ましになっているが、実は、唇美人の吉祥天立像は、ずっと東京国立博物館に寄託されている。それが再び一堂に会したこの会場は「the perfect 櫟野寺」であると、いとうさんいわく。すかさず、みうらさんが、故人となった先代住職・三浦皎英さんを思って「the perfect 櫟野寺 without 皎英 だけどね」と言い直すところが好き。さらっと「コーエイさん上から見てるよね」と言い添えるところも好き。思わず、会場の高い天井をちらっと見上げてしまった。現在の住職は三浦密照(みっしょう)さんとおっしゃるそうだが、私が2004年に拝観したときに案内してくださった方かなあ。
落ち着いた赤と黄色を配した会場の装飾もゴージャスでよかった。ひとつ不満をいうと、グッズの「Tシャツrakuyaji」が購入できなかったこと。売り切れとは考えにくく、未入荷なのだろうか? それから、図録の解説によると、櫟野寺には、平安時代の男神坐像と鎌倉時代の獅子・狛犬像もあるそうで、今回、展示されなかったのは残念。現在、本堂・文化財収蔵庫(宝物殿)の改修をおこなっているというので、それが済んだ平成30年(2018)10月、ご本尊十一面観音の33年に一度の大開帳にぜひ行ってみたいと思う。その頃、私はどこで何をしているかしら。
東博で櫟野寺展があると知ったときは驚いた。福生山(ふくしょうざん)自性院櫟野寺(らくやじ)は滋賀県甲賀市に位置する、天台宗総本山延暦寺の末寺。我が国最大を誇る坐仏の十一面観音(秘仏)のほか、平安時代の木造仏を多数所蔵する。仏像好きには愛されているお寺だと思うが、全国的に、どれだけ知られているか…。
私は、2004年に一度だけ現地を訪ねたことがある(※当時の記録)。「何度かガイドブックで写真を見たことがあった」と書いているけど、何を見たのか忘れてしまった。かなりマニアックなガイドだと思う。『見仏記:親孝行篇』(2002年)に櫟野寺の記事があるというから、直接には、そのへんに影響されたのではないかとも思う。油日の駅から長い道のりを歩き、櫟野寺の集落が見えてきたときのわくわく感は今でも思い出すことができる。のちに職場で、この近隣の出身だという女性に会って「櫟野寺に行ったことがある」と言ったら、ものすごく驚かれたことも、楽しい思い出である。
さて、展覧会の会場は、本館の大階段の裏の特別5室。入口を入ると(正確には目隠しのパネルに沿って少し歩くと)金色に輝く巨大な十一面観音菩薩坐像に正対する。像高3メートル余りとのことだが、高い蓮華座に座っているので、結跏趺坐した膝が、ようやく目の高さくらいにくる。柿の葉のような縦長の光背が、さらに視線を上方に誘導し、光背の頂上までの総高は5メートルを越える。初めて見たときも思ったが、手が大きく、指も太い。目・鼻・口も大きくて、顔の造作がはっきりしている。ただ、正面からの写真だと太めの腹まわりが強調されるが、会場で下から見上げると、もう少しすっきりした印象になる。
会場では、みうらじゅん&いとうせいこうの音声ガイドを、ぜひお使いいただきたい。ご本尊については、表情のはっきりした、頭上の十一面に注目を促す。会場には頭上面全てのアップ写真も展示されているが、「一番の見どころは真後ろの暴悪大笑面。横からちょっと見える」とのアドバイスにしたがって、左側面にまわってみると、確かに少し見える。ほとんどの観客が気づいていないものを盗み見るようなスリル。そして、瞋怒面×3も牙上出面×3も、ぞくぞくしていいわー。
本尊同様、金色の輝きを失っていないのが、おだやかな定朝様の薬師如来坐像と、腹帯地蔵とよばれる、腹のリボン結びがかわいい地蔵菩薩坐像。ほかに、金箔や彩色のほぼ落ちた、大小の木造仏が17体。右手に宝棒、左手に宝塔を捧げ持つ毘沙門天立像はかなり個性的。目の高さに掲げた宝塔をじっと覗き込むポーズを、音声ガイドの見仏コンビが「ワイングラスを持った裕次郎」と表現していて、吹きそうになった。この毘沙門天像が好きだったという、先代住職・三浦皎英(こうえい)さんの思い出話も楽しい。確かに住職さんって、お寺の魅力の一部だと思う。
櫟野寺とその周辺に残る仏像は「甲賀様式」と呼ばれ、細身長身で目の吊り上がった厳しい表情の「前期様式」(11世紀前半)と、ずんぐりした体型でおだやかな表情の「後期様式」(11世紀後半~12世紀)があるという。私は、後期様式のほうが好み。ぽってりした唇が魅力的な吉祥天立像とか、利かん気の金太郎みたいな二重顎の観音菩薩立像とか。あと、ずんぐり体型ではないが、年代的には後期に入るのだろう、両腕を肩から失っている十一面観音菩薩立像や、顎の細い逆三角形顔の吉祥天立像も好きだ。
この展覧会には、本尊を含め、櫟野寺が所蔵する平安仏20体が全てお出ましになっているが、実は、唇美人の吉祥天立像は、ずっと東京国立博物館に寄託されている。それが再び一堂に会したこの会場は「the perfect 櫟野寺」であると、いとうさんいわく。すかさず、みうらさんが、故人となった先代住職・三浦皎英さんを思って「the perfect 櫟野寺 without 皎英 だけどね」と言い直すところが好き。さらっと「コーエイさん上から見てるよね」と言い添えるところも好き。思わず、会場の高い天井をちらっと見上げてしまった。現在の住職は三浦密照(みっしょう)さんとおっしゃるそうだが、私が2004年に拝観したときに案内してくださった方かなあ。
落ち着いた赤と黄色を配した会場の装飾もゴージャスでよかった。ひとつ不満をいうと、グッズの「Tシャツrakuyaji」が購入できなかったこと。売り切れとは考えにくく、未入荷なのだろうか? それから、図録の解説によると、櫟野寺には、平安時代の男神坐像と鎌倉時代の獅子・狛犬像もあるそうで、今回、展示されなかったのは残念。現在、本堂・文化財収蔵庫(宝物殿)の改修をおこなっているというので、それが済んだ平成30年(2018)10月、ご本尊十一面観音の33年に一度の大開帳にぜひ行ってみたいと思う。その頃、私はどこで何をしているかしら。