見もの・読みもの日記

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海外と国内での歴史戦/海を渡る「慰安婦」問題(山口智美他)

2016-09-25 23:58:17 | 読んだもの(書籍)
○山口智美、能川元一、テッサ・モーリス-スズキ、小山エミ『海を渡る「慰安婦」問題:右派の「歴史戦」を問う』 岩波書店 2016.6

 「歴史戦」と称して、日本の右派が「慰安婦」問題を中心とした歴史修正主義のメッセージを海外に向けて発信する動きが活発になっているという。確かにこの数年、特にリベラルな立場の在外研究者のSNSなどで、そうした動きを伝え聞くことは多かった。

 はじめに能川元一氏は、「歴史戦」の誕生と展開を歴史を遡って解説する。画期となったのは、1996年から1997年の時期で、歴史教科書に日本軍「慰安婦」問題が記述されるようになったことで、右派論壇から反論・反発が噴出した。同時期に中国系アメリカ人アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』と、ドイツ人ジョン・ラーベの日記が刊行された。慰安婦を戦時性暴力の事例と認めた「クマラスワミ報告」が提出されたのも1996年である。これらが右派勢力には、歴史認識問題に関する「反日包囲網」と認識され、中国系アメリカ人の市民運動が「敵」として発見される。

 政治ゲームでは「声の大きいものが勝つ」「論証において怪しくとも、熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱えるのが有効である」と、ある右派の論客が書いているが、なんだか宗教の勧誘みたいだ。そして、どうして歴史戦に勝たなければいけないかというと、「南京大虐殺」や「慰安婦強制連行」が真実として定着したら、日本人は未来永劫「犯罪国家」「犯罪民族」の咎を負うことになるというのだが、私は申し訳ないが、この論理が全く分からない。論理としても感覚としても、サッパリ理解できない。

 アメリカ在住の小山エミ氏は、2014年、カリフォルニア州グレンデール市に始まった「慰安婦」碑をめぐる騒動をレポートする。日本人の子どもに対するいじめが頻発しているという報道が週刊誌等であったが、何の根拠も見つからなかったこと。日本の保守派が組織した「慰安婦」否定のイベントに対して、さまざまなグループが連携して抗議運動を展開するようになったこと。

 看過できないのは、2014年末から翌年1月にかけて、アメリカで使用されている世界史の教科書について、日本政府が著者や出版社に記述の修正を求めたという件。いや、もしかしたら歴史戦の仮想敵国は、そのくらいえげつないことをやっているのかもしれないが、それでも文明国たる日本がやってはいけないことでしょうに。2015年5月には、米国の日本史専門家、日本研究者による、日本政府による歴史研究への介入を非難する声明が発表された。翻訳された著作を愛読している研究者の名前もあって、強い衝撃を受けたことを記憶している。

 テッサ・モーリス-スズキさんの著作は、好きでいくつも読んできた。日本の歴史のとらえ方、過去への向き合い方について、いつも教えられることが多かった。そして本書への寄稿は、静かだが強い怒りに満ちている、と感じた。安倍首相は「七〇年談話」で河野談話を継承するとしながら、その実、河野談話に示された「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題(※慰安婦問題)を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を全く捨ててしまった、と断じる。

 2015年10月には、著者のもとに参議院議員であり国際政治学者である猪口邦子氏から二冊の本が送られてきた。のちにこれは、自民党が「積極な情報発信」のために、英語圏のジャーナリストや研究者に向けて送付したものと分かるが、「戦前のプロパガンダそのまま」「恥ずかしい歴史修正本」と著者の評価は厳しい。そして、著者のように、時には厳しい批判も呈するけれど、研究対象としての日本の歴史や文化に深い理解と愛情を持っている人たちが、日本からこんな仕打ちを受けて、どれだけ憤懣やるかたないかを想像すると、本当につらい。

 山口智美氏によれば、自民党の議員らが訪米する際も、これらの書籍を持って(持たされて?)面会する要人などに配布しているのだという。やめてほしい。本気で恥ずかしい。右派が海外をターゲットにした英語による情報発信を強めている背景には、「日本国内では『慰安婦』問題は勝利した」という確信があるらしい(能川元一氏にも同趣旨の記述あり)。

 しかし、本書の例証を見るだけでも、日本の右派の主張が国際社会に受け入れられる現実的な見込みがないことは分かると思う。にもかかわらず、日本国内では、確かに右派の「歴史戦」が成果を上げつつあることを認めざるを得ない。世界と逆方向に進んでいく日本が、すごく心配である。
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