○エヴァン・オズノス著;笠井亮平訳『ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』 白水社 2015.7
読む前の予想とはずいぶん異なる内容だったが、面白かった。まず、新刊だと思ったら2015年(1年前)の刊行だった。原著は2014年刊。著者が2005年から2013年まで「ニューヨーカー」の特派員として中国で暮らしたときの体験と取材がもとになっている。中国という国の変化があまりに速いので、5年~10年前の社会状況は、もはや遠い昔話のような感じがした。私は「ネオ・チャイナ」という邦題から、もっと直近あるいは近未来の中国について書かれた本かと思っていたので、余計に時代錯誤に戸惑った。
また、オーソドックスな評論集かと思ったら、小説に近いスタイルだったことにも驚いた。著者は今世紀初頭の中国を叙述するにも、まず彼らの生きて来た軌跡を振り返ることから始める。本書の冒頭は、1979年5月16日、台湾の若き陸軍大尉・林毅夫が、馬山という小さな岩礁の駐屯地から、海を泳いで大陸に亡命するところから始まる。彼は、期待していたような英雄扱いはされなかったが、中国の生活に順応し、北京大学に入学を許可されて経済を学ぶ。そして本書の後半で、世界銀行のチーフエコノミスト(2008-2012)として再登場し、著者のインタビューを受ける。こんな人がいるとは全く知らなかったので、びっくりした。
本書には、老若男女、有名無名、本当に多数の中国人が登場する。男女のマッチングサイトを立ち上げて成功した実業家の龔海燕(女性)。企業の不祥事などを暴いて雑誌「財経」を育てた元編集長の胡舒立(女性)。「クレイジー・イングリッシュ」に心酔し、自らも英語を使って世に出ようとしている張志明。愛国主義的な動画をインターネットに投稿し、幅広い支持を集めた大学生の唐傑。ブロガー、小説家、レーサーとして若者の人気を集めた韓寒。日本語に翻訳された『上海ビート』の作者だ。彼らは、本書の前半で登場したあと、また後半で著者の前に登場する。その間に10年あまりの歳月が流れており、13億人の暮らす大国で、変化の波に乗ること、あるいは乗り続けることの難しさを感じさせる。
天安門事件以降も民主化運動を続け、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波も知っていた。盲目の弁護士にして人権保護活動の陳光誠のことは、本書で初めて詳しく知ることができた。壮絶だなあ。そして支援者たちの機智に富んだ運動(サングラスをかける、カーネルおじさんに似せたFree CGCのステッカー)も面白かった。芸術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)も名前くらいしか知らなかったが、作品も本人も面白いなあ。映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が数行だけど登場していたのは嬉しかった。
日本では紹介されないような人物に光が当たっていて興味深かったのは、マカオのカジノで莫大な財産を築き、ギャングに狙われた「賭神」蕭潤平。無学な農民の息子から鉄道部長(大臣)に成り上り、絶大な権力を手にした劉志軍。急速な高速鉄道網の整備を実現して「劉跨越」(大躍進の劉)と呼ばれたが、温洲鉄道事故によって責任を問われることになる。この人は功罪ともに巨大で、大運河を開いた煬帝みたいだと思った。こうした、ギラギラした野心にあふれた人々を取り上げる一方で、温洲鉄道事故で生活を一変させられた人々、四川大地震の被害者(手抜き工事によって、多くの子供たちが命を落とした)なども取材している。
2011年10月、広東省仏山市で、小さな女の子が車に轢かれて倒れたあと、しばらく生きていたにもかかわらず、周囲の人々が放置していた様子が近くの監視カメラに録画されていて、中国の人々に衝撃を与えた。日本でも「だから中国人は」的な取り上げられ方をしたのを見た記憶がある。著者は、最初に女の子を轢いたが気づかず通り過ぎてしまったバンの運転手、「見て見ぬふりをしていた」ことで、後に国民の非難の対象になった人物の言い分、最後に女の子を救おうとしたことで時の人扱いになった老女などを丁寧に取材している。そこから浮かび上がるのは、余計なことをすれば、たちまち生活の基盤が崩れてしまう不安を抱えて、余裕なく生きる人々の姿である。中国って、いつまでも皇帝と庶民の国なのかもしれない、と思った。
著者は北京の孔子廟近くに家を借りていたらしく、ときどき生活圏の描写が入るのは楽しい。あのへん、古い王城らしくていいところだよねえ。また、途中に中国人向けのパッケージツアーに参加して欧州を旅行したときのルポルタージュも挟まれて面白い。著者は、あらゆるタイプの中国の人々に冷静で公平な関心を向け続けている。中国の民主化に掉さす心情の読者は、そのことを物足りなく感じるかもしれない。最後には、新しい指導者・習近平の登場が、帰国間際の著者の目にどう映ったかが語られており、わりと好意的な言葉が並んでいた。
最後に思ったこと。もし外国人記者が、こんなふうに「日本の現在」を書くとしたら、どんな人々に取材するだろう。どんな本になるだろうか。
読む前の予想とはずいぶん異なる内容だったが、面白かった。まず、新刊だと思ったら2015年(1年前)の刊行だった。原著は2014年刊。著者が2005年から2013年まで「ニューヨーカー」の特派員として中国で暮らしたときの体験と取材がもとになっている。中国という国の変化があまりに速いので、5年~10年前の社会状況は、もはや遠い昔話のような感じがした。私は「ネオ・チャイナ」という邦題から、もっと直近あるいは近未来の中国について書かれた本かと思っていたので、余計に時代錯誤に戸惑った。
また、オーソドックスな評論集かと思ったら、小説に近いスタイルだったことにも驚いた。著者は今世紀初頭の中国を叙述するにも、まず彼らの生きて来た軌跡を振り返ることから始める。本書の冒頭は、1979年5月16日、台湾の若き陸軍大尉・林毅夫が、馬山という小さな岩礁の駐屯地から、海を泳いで大陸に亡命するところから始まる。彼は、期待していたような英雄扱いはされなかったが、中国の生活に順応し、北京大学に入学を許可されて経済を学ぶ。そして本書の後半で、世界銀行のチーフエコノミスト(2008-2012)として再登場し、著者のインタビューを受ける。こんな人がいるとは全く知らなかったので、びっくりした。
本書には、老若男女、有名無名、本当に多数の中国人が登場する。男女のマッチングサイトを立ち上げて成功した実業家の龔海燕(女性)。企業の不祥事などを暴いて雑誌「財経」を育てた元編集長の胡舒立(女性)。「クレイジー・イングリッシュ」に心酔し、自らも英語を使って世に出ようとしている張志明。愛国主義的な動画をインターネットに投稿し、幅広い支持を集めた大学生の唐傑。ブロガー、小説家、レーサーとして若者の人気を集めた韓寒。日本語に翻訳された『上海ビート』の作者だ。彼らは、本書の前半で登場したあと、また後半で著者の前に登場する。その間に10年あまりの歳月が流れており、13億人の暮らす大国で、変化の波に乗ること、あるいは乗り続けることの難しさを感じさせる。
天安門事件以降も民主化運動を続け、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波も知っていた。盲目の弁護士にして人権保護活動の陳光誠のことは、本書で初めて詳しく知ることができた。壮絶だなあ。そして支援者たちの機智に富んだ運動(サングラスをかける、カーネルおじさんに似せたFree CGCのステッカー)も面白かった。芸術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)も名前くらいしか知らなかったが、作品も本人も面白いなあ。映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が数行だけど登場していたのは嬉しかった。
日本では紹介されないような人物に光が当たっていて興味深かったのは、マカオのカジノで莫大な財産を築き、ギャングに狙われた「賭神」蕭潤平。無学な農民の息子から鉄道部長(大臣)に成り上り、絶大な権力を手にした劉志軍。急速な高速鉄道網の整備を実現して「劉跨越」(大躍進の劉)と呼ばれたが、温洲鉄道事故によって責任を問われることになる。この人は功罪ともに巨大で、大運河を開いた煬帝みたいだと思った。こうした、ギラギラした野心にあふれた人々を取り上げる一方で、温洲鉄道事故で生活を一変させられた人々、四川大地震の被害者(手抜き工事によって、多くの子供たちが命を落とした)なども取材している。
2011年10月、広東省仏山市で、小さな女の子が車に轢かれて倒れたあと、しばらく生きていたにもかかわらず、周囲の人々が放置していた様子が近くの監視カメラに録画されていて、中国の人々に衝撃を与えた。日本でも「だから中国人は」的な取り上げられ方をしたのを見た記憶がある。著者は、最初に女の子を轢いたが気づかず通り過ぎてしまったバンの運転手、「見て見ぬふりをしていた」ことで、後に国民の非難の対象になった人物の言い分、最後に女の子を救おうとしたことで時の人扱いになった老女などを丁寧に取材している。そこから浮かび上がるのは、余計なことをすれば、たちまち生活の基盤が崩れてしまう不安を抱えて、余裕なく生きる人々の姿である。中国って、いつまでも皇帝と庶民の国なのかもしれない、と思った。
著者は北京の孔子廟近くに家を借りていたらしく、ときどき生活圏の描写が入るのは楽しい。あのへん、古い王城らしくていいところだよねえ。また、途中に中国人向けのパッケージツアーに参加して欧州を旅行したときのルポルタージュも挟まれて面白い。著者は、あらゆるタイプの中国の人々に冷静で公平な関心を向け続けている。中国の民主化に掉さす心情の読者は、そのことを物足りなく感じるかもしれない。最後には、新しい指導者・習近平の登場が、帰国間際の著者の目にどう映ったかが語られており、わりと好意的な言葉が並んでいた。
最後に思ったこと。もし外国人記者が、こんなふうに「日本の現在」を書くとしたら、どんな人々に取材するだろう。どんな本になるだろうか。